経済を発展させることが偉大だというのは本当か? 〜美しい慈悲の心と対極にある商売の正体〜

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見返りを求めない美しい心は世界のどこにあるだろうか。

経済を発展させることが偉大だというのは本当か? 〜美しい慈悲の心と対極にある商売の正体〜

・見返りを求めることなく与えるという心
・同じ価値を返されなければ気が済まない
・商売の正体と資本主義の疑い
・本来人の持つ美しい心とは真逆の方角へと傾き切る世界

・見返りを求めることなく与えるという心

ぼくたちは不意に他人から与えられると感動する。特に感動するのは、見返りを求めることなく、損得を考えることなく、ただ思いやりの慈悲の心から与えられる場面だ。世界を旅していると、そのような場面に時々出くわす。ぼくはそのひとつひとつを、決して忘れることができない。

タイのアユタヤからバンコク行きの電車で席を譲ってくれた汚れた服を着た地元のタイのおじさんたち、チェコの地下鉄で空港へ行くために重い荷物を持っていたぼくに席を譲ってくれたチェコのおじいさん、ベルリンでオーケストラを鑑賞している際にこの席が空いているよとわざわざ教えてくれたドイツ人のおばあさんたち、台南のバスステーションから鉄道駅までの道を無料でバイクで送ってくれた台湾の青年、イランでドライブしていろんな場所へと連れて行ってくれたイラン人の大学生、ロシアのシベリア鉄道でたくさんの食べ物やおかずや笑顔を与えてくれた素朴なロシアの人々。

シベリア鉄道に乗る人々から教えられた「与えること」の本質

世界の片隅を見てみれば、そこには無償の愛であふれている。そしてぼくたちはそれに心動かされる。そしてぼくたちもそれを他者へと与えられたならと思う。

 

 

・同じ価値を返されなければ気が済まない

そのような尊い人の思いやりの心、見返りを求めない与えの心から最も遠いものとは何だろう。しかし世の中をふりさけ見れば、人々の心はそれらから最も遠いもので満たされているような気がしてならない。

他者に何かを与えてもなにひとつ返されなくてもいいと思える美しい心は、稀有なものである。大抵は誰もが、他者に与えたのならばそれと同等の価値のものを返されなければ不満に思うようにできている。なにか同じくらいのものを返されなければ与えてやった甲斐がないと感じてしまう。人は与える時でさえ、思いやりの心ではなく損得勘定で誰に与えればいいのか、どれくらい与えればいいのかを小賢しく計算してしまう。

 

 

・商売の正体と資本主義の疑い

悲しいことに、与えた分と同じ分だけ返して欲しいと考えることは、まだマシな方なのかもしれない。ぼくたち人間の世の中は、何も返されないというのは到底考えられず、同じ価値だけ返ってくるだけでも飽き足らず、さらにもうひとつ上の欲望、与えたもの以上に与え返されなければ気が済まないという段階まで来ている。

何も返されなくてもいいという慈悲の心を通り過ぎて、同じ分の価値だけを見返りとして求める心すら通り過ぎて、与えたもの以上を奪わなければ気が済まないという社会的行為を、人間の世の中では商売という。

ぼくたちの資本主義の世の中では、商売というのは当然正当な行為として認められている。商売をして儲けたお金からさらにお金を儲け、最終的には国家や世界の経済を発展させて行くことが人間の人生の目的であるとされる。資本主義で生まれ資本主義に育ったぼくたちは、それを当然のこととして受け入れながら生きているが、ふと立ち止まった時に、本当にそうなのかと疑わしく思う時がある。

ぼくたちの生命は本当に、上手にお金を稼ぐために生まれてきたのだろうか。与えた分よりも多くのものを見返りとして相手から奪い取ることにより、自分を富ませることが人生の目的だとしたら、なんと寂しく虚無に満ちた人生ではないだろうか。

 

 

・本来人の持つ美しい心とは真逆の方角へと傾き切る世界

ぼくの生命は見返りを求めない思いやりの心に触れた際に生命の底から感動するようにできている。損得を数えない慈悲の心が、人とはどのように生きていくべきかを教えてくれるような気がするし、それは一種の直感的確信でもある。そして人間の心とは、本来そのような素朴さであふれていたのではなかったのだろうか。

しかし世界はそれとは真逆の、与えたならば同等以上のものを返してもらわないと気が済まない、正常ではないという心模様へと傾ききっている。見返りを求めずに与えるという純粋で素朴な美しい心を捨て去って、世界はもっと欲しいもっと見返りをと富を貪るような次元へと突入し、それは力を付けもはや後戻りなどできない。

経済を発展させなければならないのだと植えつけられたぼくたちの心は、金を稼げば稼いだだけ偉大な人間でありそれこそが人生の目的だと教え込まれたぼくたちは、正常でふさわしい道を突き進んでいたような気分で実は、人の心の正しさとふさわしさとは真逆の道を逆走しているだけではないだろうか。

日本は敗戦の焼け野が原から一変し、努力したご先祖様のお陰で一時は世界で1番の経済大国となった。ぼくたちの生活は豊かになり、その感謝の気持ちを忘れることはできないが、果たしてそれでぼくたちが幸福になっているのかどうか、答えに戸惑う人も多いのではないだろうか。それはもしかしたら経済の発展を手に入れた代わりに、その対極にある与えるという人の純粋で素朴な思いを喪失し、心がさまよっているからなのかもしれない。経済が発展したということは、本来人が持たなければならない、誰もが持っていたはずの慈悲の心が欠如しているということを意味しているのかもしれない。

 

 

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