将来の夢を持つのはいいことだというのは本当か? 〜過去や未来を見ない生き方〜

 

幼い頃に大人に聞かれませんでしたか?将来は何になりたいのと。お花屋さんやケーキ屋さんやサッカー選手やお医者さん、期待する大人たちの視線が時に不自然に時に不気味に、子供たちの瞳には映っていた。

将来の夢を持つのはいいことだというのは本当か?

・あなたの夢はなんですか?
・今という瞬間を生きろ
・過去や未来を見通す瞳の曇り
・自作詩「火焔の柱」

・あなたの夢はなんですか?

大人たちの「あなたの夢はなに?」という、とても幼い頃から尋ねられる質問が、知らず知らずのうちに、子供たちに夢を持たなければならないという強迫観念を与えてはいないだろうか。そもそも大人たちにそのように問われなければ、子供たちが将来に夢を抱くことなどあるのだろうか。

子供たちは常に今を生きている。過去を振り返ることもなく、未来を思い煩うこともなく、燃え上がるような魂の中を、今という一瞬の刻にかけながら、力いっぱい生きているのだ。それが子供というものだ。しかしそのような子供たちの視線を、大人たちは未来へ向けるように仕向ける。

「将来は何になりたいの?」「あなたの夢は何なの?」

今という瞬間を精一杯生きることしか知らなかった魂たちは、そこで戸惑う。なぜ未来のことを考えなければならないのだろう。どうして今という瞬間を生き抜くだけでは報われないのだろう。胸の中に違和感を覚えながらも、言葉にできる能力もなく、ただただ大人たちの言われるままに今ではない時空へと、視線を伸ばし始めてゆく。

大人たちから言わせれば、未来でどのように金を稼ぐか、将来どのように生計を立てるつもりなのか、密かに子供たちの心を探るとともに、できるだけ金を稼ぐためには早いうちに目標を立てて幼い頃から準備しておいた方がいいという打算が、そんなつもりはなかろうとても潜在的に渦巻いている。金を稼ぐことは幸福に繋がることだと大人たちは確信し、子供の金銭的な豊かさが自分自身の幸福にもつながるだろうという計算、また自らの子孫の繁栄のための密かで自然な企みの本能さえ、そこには垣間見えているのかもしれない。

しかし、純粋な子供たちの魂は、そんな打算や計算、損得や合理性などを追求するはずもない。子供たちの魂の役割は、本来すべての人間の魂にとってそうであるように、ただ美しくたくましく、今という瞬間を生き抜くのみである。けれどもそのような純粋さを、危うい子供じみた脅威だと感じる大人たちは、少しばかりの羨望と郷愁の念を胸に秘めながら、早くその瞬間・瞬間を生きる魂から卒業させ、合理と打算の世界へと迎え入れようと躍起になるのである。果たしてどちらが人間にとってふさわしい姿なのだろうか。

 

 

・今という瞬間を生きろ

仏教やキリスト教など、多くの宗教の中で言われていることは、今という時間を生きろということである。これはまさに子供たちの魂の色彩、または肉体が大人になっても純粋な魂を保ち続けている者たちの心の風景と合致するであろう。

人間というのはとかく、過去や未来のことを無駄に考えてしまうものである。あああの時ああすればよかったなあと過去を後悔する、ああ明日嫌なことがあったらどうしようと未来を思い煩う、それは多くの人間の習性であるようだ。

しかし、そのようなことを考えても仕方ないのではあるまいか。過去のことを後悔したって、タイムマシンに乗ってそれを取り消しに行けるわけもなく、また明日のことをいくら思い煩ったって、天命に逆らえるはずもないのだから、過去や未来を考える時間のほとんどは無駄な徒労の時間であると言えよう。さらには過去や未来のことを考え思い悩むことによって、本来生きるべき今という時間の質を下げてしまうことにもなりかねないのだから、それならば最初から今という瞬間を精一杯生き抜いていた方が賢明であると言えはしないだろうか。

 

 

・過去や未来を見通す瞳の曇り

しかし肉体の年齢、精神の年齢が上がるにしたがって、今という瞬間を生きるということが不可能になってしまうのはどうしてだろう。

生きる度に、傷つき果てたゆえだろうか。浮世に生きて、苦しみ抜いたゆえだろうか。自らの周囲には危険な獣がいつも潜んでいる。恐ろしい罠が仕掛けられている。だから今という現在地だけではなく、前も後ろも、過去も未来も見通していなければ、心配で心配で気が済まなくなってしまうのだろうか。それゆえに今という現在地を見つめることを疎かにし、さらに魂が危うい荒野へと突き進んではいないだろうか。

ぼくの魂はまだ旅のさなかで、今という瞬間を生き続けている。将来という時空や、目標という打算、夢という言葉の意味もわからない。過去を省みる感性や、未来に囚われる感覚もわからない。今を生きるために、ぼくは生まれてきたのだ。それがよいことか悪いことかはわからない。生きやすいか、生きづらいかは、とうの昔に知っている。

 

 

・自作詩「火焔の柱」

 

青色が好きなのに
根源にはいつも火焔が燃えていた
絶えることのない火焔の柱

もしも一生を超えるものが
あるとするならば
この熱に他ならない

肉体は滅びるだろう
精神は崩れるだろう
火焔だけが 火焔だけが

生まれる前から燃え盛るだろう
死んだ後も引き継がれるだろう
火焔だけが 火焔だけが

わたしはわたしの火焔に焼かれ
この命を失うだろう
けれどほんとうはなにひとつ
失っていないことに気がつく

 

 

 

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