セーラームーンが最終回に全裸で戦う理由を徹底考察!暴力は暴力によってしか対抗できないというのは本当か?

 

セーラームーンは最後の最後に、最強の敵を全裸で打ち砕く!!!!!

セーラームーンが最終回に全裸で戦う理由を徹底考察!暴力は暴力によってしか対抗できないというのは本当か?

・セーラームーンが最終回に全裸で戦う謎
・セーラームーン最後の敵は銀河系最強のセーラーギャラクシア
・武器を喪失し次第に全裸へとなりゆくセーラームーン
・宇多田ヒカル「Deep River」
・中島みゆき「 EAST ASIA」
・無所有のセーラームーンと完璧装備のセーラーギャラクシアの美しき対比!
・暴力は暴力によってしか対抗できないというのは本当か?

・セーラームーンが最終回に全裸で戦う謎

セーラームーンのアニメは全部で5年間放送されており、1年ごとにセーラームーン無印、セーラームーンR、セーラームーンS、セーラームーンSuperS、セーラースターズに分かれていた。それぞれの物語にそれぞれ強そうな敵がおり、それぞれの最終回では最強のボスを倒すために大迫力の戦いが展開されていたような記憶がある。そんなセーラームーンシリーズの最後の最後の敵は、セーラースターズにおける銀河系最強にして伝説の戦士セーラーギャラクシアだった。

セーラームーンの最終回では、セーラームーンが前世の月のプリンセスの姿である美しい純白のドレスになって戦って敵を倒すとだいたい相場が決まっているのだが、セーラースターズの最終回で衝撃的だったのは、セーラームーンが何も着ずに全裸に羽根の生えた状態だけで最強の敵に挑んでいくという姿だった!

一体どうしてセーラームーンは最後の最後に全裸で戦うことになっているのか、その最終回を見たときにはとても不思議だった。これってただのエッチなサービス?もはや5年間続いたセーラームーンの流行も終わり、人気も落ちてきたところでアニメも終了になるから、最後の最後には小さな女の子たちのためにではなく、自分たちの好きなように、大人の男たちが大いに喜ぶようなシーンで幕を閉じてもいいじゃないかとアニメを作る人が考えたのだろうか。それとも何か深い意味でも込められているのだろうか。しかしそんな深い意味も見出せないまま、やっぱりただのエッチな演出だったのかもとぼんやり考えていた。

 

 

・セーラームーン最後の敵は銀河系最強のセーラーギャラクシア

 

しかし月日が経つごとに徐々にその意味が自分の中で不意に整理され、理解され始めた。やっぱりセーラームーンは意味もなく最後の最後に全裸になったわけではないのではないだろうか。

セーラームーンシリーズ最後の敵は、黄金色に輝く銀河系最強にして伝説の戦士セーラーギャラクシアだった。セーラーギャラクシアは最後の場面で、銀河創世の昔に邪悪の根源たるカオス(混沌)を封じ込めたという何やらめちゃくちゃ強そうな封印の剣を召喚し、その最強の剣を使ってセーラームーンと戦っていた。

 

 

セーラームーンは自らの武器であるムーン・パワー・ティアルでセーラーギャラクシアのうちに潜む暗黒の混沌を浄化させようと試みるが、その最強の剣の攻撃によって敢えなくムーン・パワー・ティアルは切り刻まれてしまう。

 

ムーン・パワー・ティアルを喪失した後は、希望の光によってセーラームーンも封印の剣を手に入れ、今度はその剣を使ってセーラーギャラクシアに立ち向かう。しかし銀河系最強のセーラーギャラクシアが「力で私を倒すことはできぬ」と言うように、セーラームーンの剣はセーラーギャラクシアの剣によって粉々に砕かれてしまう。希望の光から意味深に与えられた剣にしては、ちょっと簡単に砕かれすぎでは?と感じてしまうくらいにあっけなく脆い。

 

・武器を喪失し次第に全裸へとなりゆくセーラームーン

ムーン・パワー・ティアルもへし折られ、希望の光からの剣も砕かれ、もはやセーラームーンに残された”武器”は何もない。「剣」とは自らを守るだけではなく、相手を傷つけ、争い、殺すための攻撃的な”力”の象徴だった。「力で私を倒すことはできぬ」というセーラーギャラクシアの言葉は、今この局面を解決するのはセーラーギャラクシアの剣に対抗する”剣”でなく、積極的で攻撃的な”力”ではないのだということが暗に示唆されているかのようだ。

”武器”を何もかも失ってしまったセーラームーンと、銀河系最強の力と剣を手にして自らを武装しているセーラーギャラクシア。その対比はまるで「何ひとつ力を持たない者」と「全ての力を宿している者」という、対極に位置する者同士が相見えているかのようだ。常識的に、一般的に考えれば無力なセーラームーンに勝ち目はないと誰もが思うだろうが、それでもセーラームーンは”希望の光”を胸に抱き続け、決して諦めたり絶望することがなかった。

さらにそこからセーラームーンは突如として全裸となり、まさしく武器だけでなく何ひとつ持たない”無所有”の姿となり、「何ひとつ力を持たない者」という立場をさらに極限にまで高めていく。全裸の彼女は何ひとつとして攻撃的な力を持たないし、何ひとつとして守るための力さえない。全裸は他人を傷つける全ての武器を完全に持たない、そして自分を守る盾すらも持たずに、今全ての肉体と全ての魂を明らかにして純粋な気持ちで相手に対峙していくという、美しい覚悟の象徴だったのだ。

 

 

・宇多田ヒカル「Deep River」

”剣と剣がぶつかり合うことを
知るために託された剣じゃないよ
そんな矛盾で何を守れるの”

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・中島みゆき「 EAST ASIA」

”そんな力だけで心まで 縛れはしない”

 

・無所有のセーラームーンと完璧装備のセーラーギャラクシアの美しき対比!

 

最後の場面では何ひとつ所有することをやめた全裸のセーラームーンと、完璧なまでに最強に武装されたセーラーギャラクシアが対決する。普通常識的に考えれば、最強の剣と立ち向かうためには最強の剣を自分も手に入れて、互角の力を持ったままで相手に立ち向かっていこうと考えるだろう。しかし銀河系最強の攻撃的な力を目の前にして、セーラームーンはそれと同等の最強の力や武器を手に入れようと計画するどころか、あらゆる自らの力も武器も衣も、あらゆる所有さえすべて彼方へと手放して、まるで必要とされているもの(完璧な武装)とは真逆の、全裸の格好で相手へと立ち向かっていく。なんて矛盾に満ちた芸術的な姿勢だろうか!

さらに矛盾することに、何ひとつ武器を持たない無所有のセーラームーンが、完璧に武装され最強の剣を手にしたセーラーギャラクシアを最終的には打ち負かすというのだから、この物語の荘厳さと美しさは計り知れない!打ち負かすというのは適切な表現ではなく、セーラーギャラクシアの心の奥底にわずかに残っていた”希望の光”をセーラームーンが”無所有の力”によって覚醒させ、セーラーギャラクシアを支配していたカオスを取り祓い浄化することに成功したという方が正しいだろう。

 

完璧に武装された用心深い人の心の奥底へと到達するには何が必要だろうか。完璧な武装すら打ち砕くための、さらに強力な剣だろうか。確かに守っている盾を貫くほどの強力で攻撃的な剣を手にすることができたなら、盾を打ち破りその人の内部へと剣を進入させていくことは可能だろう。しかしそのようにして無理矢理に強力な暴力で通路をこじ開けられたところで、人間は決して本心や心の奥底を、こじ開けてきた相手に見せはしないだろう。そしてまた新たな憎しみと苦しみが繰り返し発生するに違いない。

人の心の奥底に到達するために必要なのは、人の心に立てかけられた盾を突き破る強力で攻撃的な剣ではなく、その真逆の、何ひとつ武器を持たずに裸のままの明らかな心であなたへと純粋に向き合っているのだと示す清らかな覚悟ではないだろうか。セーラームーンはだからこそ全ての武器を喪失して最終的には裸となり、完璧に武装されたセーラーギャラクシアに立ち向かっていったのではないだろうか。

全裸になったセーラームーンは決してそれを隠したり恥ずかしがったりしなかった。むしろ包み隠さず堂々と全裸でセーラーギャラクシアに対峙し、自分自身の魂と肉体の全てを相手にぶつけて語っているのだという潔い覚悟が感じられた。日本人は温泉が好きでよく「裸の付き合い」などと言われるが、全裸になるということはそれだけで自分自身のすべてを語らせるという重要な意味を持つのかもしれない。

 

 

・暴力は暴力によってしか対抗できないというのは本当か?

このセーラームーンの最終回は人間世界にも重要な提言を投げかけるものではないだろうか。人間は進化しているように見せかけて、依然として古代の人々や動物と同じように、暴力が支配している世の中に生きている。戦勝国という人殺しや暴力が得意な国家たちが世界の正しさや罪を決定し、偽りの正義や悪を裁いてはその概念を世界中に浸透させてゆく。まるで暴力が得意なジャイアンが暴力の不得意なのび太を力で支配している素朴な子供時代の構図と、何ひとつ変わるところはありはせぬ。

暴力が得意でなければ世界を支配できないと、暴力が得意でなければ自分の国家が滅ぼされると人間たちは躍起になり、他の国に負けないほどの強力な武器を準備し、その動きが世界中に連鎖して、世界はより暴力的にそして攻撃的になってゆく。しかし相手に最強の剣があるならばこちらも最強の剣を用意して立ち向かえばいいというわけではないのだということを、セーラームーンの最終回は教えてくれる。相手が負けたくないと怯えながらひどく暴力的な剣を振りかざすならば、こちらは矛盾するように、全ての剣を手放し、あらゆる武器を手放し、全裸にすらなって、暴力的な相手に全存在と全魂で立ち向かっていけばいいのだ。なりふり構わずに怯えて強力な剣を振りかざす者と、何も持たないと潔く居直り全裸で立ち向かっていく者と、果たしてどちらか”強き”者だと言えるのだろうか。世界を真に救済し浄化するのは、武器ではなく裸ではないだろか。

ぼくたち地球人がやるべきことは、地球を国家などという実際にありもしない小さな村に分裂させ比較し、争い合い、相手の侵略に怯えて強力な武器を着実に隠し持つことではなく、いっそのこと全裸になって、一緒に仲良く温泉でも入ることではないだろうか。

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