ルールを守らなければならないというのは本当か?

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

ルールを支配しなければならない、ルールに支配されてはならない。

ルールを守らなければならないというのは本当か?

・バレエに縁のなかった人生
・ロシア旅で初のビーフストロガノフ
・あまりに感動的だった人生初のバレエ鑑賞
・支配しなければならないもの 〜ルールの正体〜

・バレエに縁のなかった人生

バレエというものを、今まで見たことなかった。バレエというものは、普通に日本人として生きていて人生の中で普通に見ようという流れになるものなのだろうか。周囲でも見た人がいるというのを聞いたことがなかった、というか、バレエの話題などになったことがなかった。

テレビでちびまる子ちゃんだなんとかの少女漫画のアニメの中にバレエが出てくることはあっても、だからと言って実際に見てみたいと願うこともなかった。そのままバレエというものに縁がまったくないままに人生を歩んできたが、特に不都合もなく生きてこられた。

今回、ロシアを人生で初めて訪れることになった。ロシアといえばバレエである。バレエを見ないわけにはいかないという思いがぼくの中に確かに目覚め、バレエというものについて何も考えてこなかった人生にピリオドを打った。

これまで触れてこなかった、触れようとも思いもしなかった芸術作品に、新しく触れられる機会を得ることは、旅の中の意義深い醍醐味のひとつである。旅のさなかでの新しい芸術との巡り合いが、これからの人生における芸術鑑賞の方向性に大いに影響を与えることもあり得る。興味がなかったからといって、実際に見てみるととんでもなく心がひきこまれ、それ以来とりこになってしまうことだってあるかもしれない。

とにもかくにも直感的にバレエを鑑賞したくなったぼくは、まずモスクワの有名なボリショイ劇場を訪れたが、安いチケットが打ち切れで入ることができなかった。とてつもなく高価なチケットなら売られていたが、いいのか悪いのか好きなのか嫌いなのかわからないバレエというものに対してそこまで支払える勇気はなかった。

モスクワの次に訪れたサンクトペテルブルクでは、マリインスキー劇場を訪れようと決めてチケットを検索してみた。モスクワで、実際に劇場に足を運ぶよりもインターネット上でチケットを予約した方がはるかに簡単だと学んだぼくは、サンクトペテルブルクの宿の中でマリインスキー劇場のホームページを訪れその演目を確認していた。

他の劇場でもそうだが、マリインスキー劇場でも日によってバレエの日があったりオペラの日があったりする。ぼくはぜひバレエが鑑賞したかったのだが、日にちによってはバレエの演目がなかったりあっても売り切れで入れなかったりするのだ。もう訪れる日にちが決まっていて、絶対にバレエを見たいという方がいらっしゃれば、早め早めに予約することをオススメする。

ぼくの場合は、幸運なことに、滞在中に「眠れる森の美女」のバレエの演目があった。これならばディズニーの映画で見たことがあるし、ストーリーもわかるから安心して見ていられる。値段も3400ルーブルと、手頃だ。あとでロシア人に聞いたことだが、こんなに直前で安いチケットが残っていたなんてかなり幸運だと聞かされた。モスクワでバレエを見られなかった分、神様がサンクトペテルブルクでバレエを見られるように配慮してくださったのだろうか。

オンライン予約のページを先に進めていく。しかしここからが大変だった!大抵ロシアのどのホームページも、ロシア語と英語で必ず予約できるものだが、どういうわけかこのバレエの予約ページだけ、どうしてもすべてがロシア語になってしまい英語表記に変換することができない。どうにもこうにもいかないので、サンクトペテルブルクの宿のロシア人のお兄さんに助けてもらって、翻訳してもらいながらなんとかチケットを入手することができた。

日本でひとりでインターネット上で予約していても、きっとできなかったに違いない。ロシアにいてよかった自分の身の上を噛み締めながら、きちんとチケットをプリントアウトし、あとはマリインスキー劇場を訪れるだけだ。

 

 

・ロシア旅で初のビーフストロガノフ

マリインスキー劇場でのバレエ鑑賞の当日、ぼくは夕食にロシア料理のビーフストロガノフを食べた。このロシア旅で初めてのビーフストロガノフだ。これまでにロシア料理といえばボルシチやピロシキなどしか食べてこなかったので、ちょっと贅沢したような気分だった。そして美味しい。ロシア料理はなんでも美味しいなぁと心から思った。

ビーフストロガノフを食べたのは、ネフスキー大通りにあるエルミタージュ美術館の近くのレストランだったが、広くて美しいのに空いていて快適で、いつまでもここにいたいような気分だった。マリインスキー劇場までここから歩いて行こうと考えていたので、早めに店を出て歩き出した。

夜のサンクトペテルブルクも治安が悪いとは全然感じなかった。というか、ロシアで治安が悪いなどと感じたことがなかった。なんとなく、日本人はロシアといえば危険なイメージを抱くことも少なくないような気がするのだが、まったくそんなことはなく。これも実際に訪れないとわからないことだなぁと深く感じた。実際に来てみないとわからないことは本当に多い。というか、実際にはそんなことばかりではないだろうか。

サンクトペテルブルクの華やかさと美しさも、実際に来てみるまでは知らなかった。

 

 

・あまりに感動的だった人生初のバレエ鑑賞

入場前のマリインスキー劇場の入り口は超満員だった。係員のおじさんに「眠れ得る森の美女」のバレエのチケットを見せながら、これの入り口はどこかと尋ねても全然違うような場所を指し示されたりして全然あてにならなかった。やっとの思いで入場し、コートを預け、席に着席した。劇場はサンクトペテルブルクの街並みのように、華やかで美しく、まるで宮殿にいるような夢のような光景だった。

席は後ろの方だが、ボックスの中だったので快適だった。そしてたとえ席が後ろの方でも舞台が全然よく見える。これで3400ルーブルなら満足で、この席をとれて本当に幸運だったなと思った。バレエが始まるまでは、劇場のあまりの美しさを写真に収めるなどしていた。

そしていよいよバレエの演技が始まる。それはなんて華やかで、美しく、可憐で、繊細な芸術なのだろうと感動せずにはいられなかった。これがロシアかと感銘を受け、これまでバレエに縁がなかった自分の人生が不幸だったと思ってしまうほどに、それは素晴らしいバレエ鑑賞となった。

「眠れる森の美女」時はストーリーを完璧に知っているので、理解するというエネルギーを使わずにすんなりと心地よく作品鑑賞することができた。そして何よりバレエというもの自体に驚愕し感嘆した。

男のバレエダンサーは華麗ではあるものの、やはり女性に比べて体重が重い分、ジャンプして床に着地したときにわずかにドスッ!ドスッ!と音がしていたが、それに対して女性のバレエダンサーは、床に着地した際も物音ひとつ届かず、本当に宙を舞っている妖精のようだった。ふわふわふわ〜〜〜とまるで妖精のように、重力を持たないように宙に浮き、さらに着地した際もまるで本当は床に足が着いていないのではないかと思うくらいの軽やかさで、この世に本当に妖精はいるのかもしれないと信じ込んでしまうほどだった。

そして上品で華麗な衣装や、美しい音楽、芸術的な舞台のすべてに、魅了されて止まなかった。こんなにも素晴らしい総合芸術に巡り会えたことに感動し、ロシアに感謝した。

 

 

・支配しなければならないもの 〜ルールの正体〜

面白かったのは、チケットに演技中は舞台の写真撮影は禁止と書かれていたことだった。そんなこと当然だろうと日本的な感覚から考えていたが、それでも公演中にスマートフォンで写真撮影をしていたロシア人が何人かいたことが印象的だった。

写真撮影禁止は、日本のように厳格なものではないようだ。日本では写真撮影禁止の舞台で写真撮影しようものなら、罰則でも加えられんばかりの厳しさだが、ロシアはもっと適当な、寛容さやおおらかさが感じられた。写真撮影は一応禁止だが、それでもどうしても写真撮影したいという人はすればいいのだ、そんな空気が感じられた。そしてぼくもその空気に賛成である。

写真撮影をして、傷ついたり悲しんだりものすごく困る人がいるのならば話は別だが、そのような人はごく少数だろう。最近は宇多田ヒカルなどの先進的なアーティストはコンサートで写真撮影どころか動画もオッケーらしく、日本の無駄な厳密さも見直されるべきではないだろうか。

よくお寺や教会で写真撮影禁止となっている場所があるが、本当にそのようなことが必要なのだろうか。近所の人ならばいいが、はるか遠くの国からやってきて、入場料まで払って、それで写真撮影禁止となればさぞかしがっかりなさることだろう。その人々の落胆を上回る意義や利益が、本当に写真撮影禁止にあるのだろうか。

ルールだから絶対的に守らなければならないというのはおかしい。なぜそのルールが生じたのか吟味し、思考し、それが現代の世の中に合わないと判断される場合には撤廃すべきではないだろうか。ルールは人間が作り出すものであり、人間が作り出すからには絶対的に正しいもの、移り変わらないものなどありえない。

ルールも、お金も、時間も、言葉も、人間が発明したにもかかわらず、人間がそれらを支配することを忘れて、人間が逆に支配されてしまっている。それに支配されることを善だと尊びながら、思考しない人々はそれらに支配され従おうとする。ぼくたちは思考し、支配されてはならない。自分たちが支配すべきものに、支配されてはならない。

ルールを可変的にとらえる気配のある、ロシアの人々が禁止されながらもバレエを撮影している姿を見て、ぼくはなんだかあたたかな気持ちになった。そして最後の舞台挨拶では誰もが写真撮影を行なっていた。そして誰も注意する人なんていない。ルールとはそのように形式的なものであり厳密ではなく、人が傷つくことがない限り可変的であるべきだ。彼らを見ている限り、ここではルールは生き物のように蠢いており、生命的な躍動感を持っているのだと感じた。ルールを博物館の中のガラスのケースに入れることは危険だと悟った。

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

関連記事