精液や性欲によってのみ人間は結び付きつがいになるというのは本当か?

 

果たしてぼくたちは、何によって結びつくのか。

精液や性欲によってのみ人間は結び付きつがいになるというのは本当か?

・人間は結びつき結婚する
・クレヨンしんちゃん「新婚さんのケンカだゾ」
・人間は性欲や精液によってつがいとなる
・「人が本当に欲しいのは、恋よりもきっとこんな夜なんだ」
・記憶というものに結びつけられる人間の深い縁
・混迷の世界を解き放て

・人間は結びつき結婚する

人間は結婚をする。しない人もいるが、する人の方が多いようである。結婚とは例外もあるが、普通は男性と女性が縁によって結びつくことを指すようだ。

人が結婚するにはさまざまなきっかけがあるようだ。古風にお見合い結婚することもあれば、無邪気な恋愛からの続きで結婚する場合もあるし、本当は結婚なんてしたくないけれどみんな結婚しているのに自分だけ結婚していないのが不安で急いで相手をさがす場合もあれば、ひとりで生きていくのは経済的にも老後的にも不安なので打算的に結婚するなど、人間には様々な形があるようだ。

しかし普通に考えて全く異なる環境で育ってきた別の人間のふたりが同じ家に住むなんて、結婚とは大変そうな儀式である。そのような共同生活を営むためには、どちらともが様々な点で我慢して妥協して、お互いがよりよく生活していけるように努力していかなければならないように見受けられる。我慢できる種類の人間同士ならばいいが、自己主張の強い自我の強い者同士が結婚すると、お互いの自己主張の折り合いをつけるのに苦労することになるだろう。

ましてや男と女というものは全く別の生き物だ。子供の頃から周囲の男女の思考回路を観察していればありありとわかることだが、男のものの考え方と女のものの考え方はまったく異なっていて相容れない。男は女の考えていることがいつまで経ってもわからないし、女は男の考え方がいつまでも理解できないのに、一緒に住むという「結婚」をするという運命に巻き込まれてしまうから、男と女はいつの世でもどこの世でも迷い、心さまよい、苦しみ、そのせいで占い師がよく儲かるのではないだろうか。

 

 

・クレヨンしんちゃん「新婚さんのケンカだゾ」

 

昔のクレヨンしんちゃんに「新婚さんのケンカだゾ」というエピソードがある。

 

 

結婚したてのおケイおばさんが旦那と喧嘩してスーツケースを片手にしんのすけの家に転がり込んでくる。喧嘩の原因はおケイおばさんが作った料理を口にしなかったのが原因だという些細なものだった。

 

 

新婚のおケイおばさんの悩みに対応して、結婚して5年は経っているみさえとひろしは丁寧に対応する。「そのくらいのことどこの新婚家庭にもあるもんさ」「育った環境が違うんだから当たり前よ」と結婚生活に達観したようにアドバイスしていくみさえとひろし。クレヨンしんちゃんがただの下品な子供番組ではなく、結婚して大変な思いをしている大人の心にも染み渡る精巧なつくりをしていたことが伺える。クレヨンしんちゃんが長寿番組となっているひとつの秘訣かもしれない。

 

 

結局はしんちゃんが「ダメだな2人とも、吉永先生がいつも言ってるよ。喧嘩したらちゃんと謝って上手に仲直りしなさいって!」という一言がきっかけでおケイおばさんの夫婦は仲直りする。最後にしんちゃんがポツリと「うんうん、結婚って、大変だな」という一言もなかなか趣深いものがある一作だった。

 

そんな大変で面倒くさい結婚というものを、これまでの数えきれないほどの人類がしてきたからこそ、生命は受け継がれ、ぼくたちの人間世界が発展してきたことは言うまでもない。大変なことを成し遂げ続けてきたご先祖様に感謝である。

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・人間は性欲や精液によってつがいとなる

それにしても一体どうして、人間というものは家庭の環境も違ってただでさえ理解しにくい他人と、それも性別も異なってさらに理解不能となる生物と結婚するような運命へと仕向けられるのだろうか。それはやはり生命にとって根源的な力、性欲によって結び付けられるからに他ならないのではないだろうか。性欲という我慢できないどうしようもない欲望が生命の根源からとめどなく湧き上がってくるから、ぼくたちは理解できない意味不明な他人でも理解しようと努力し、相容れない魂でもなんとか妥協点を見つけようと試み、恋愛し結びつき結婚へと至るのではないだろうか。

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ぼくたちがこの世界に生まれついた時には、まだ性欲の精液も植え付けられていなかった。もしもそのままの透明な時代が続いたのならば、性欲や精液を肉体に植え付けられることがなかったら、ぼくたちは理解できない他人とつがいになり、究極的には分かり合えない他人とつながりあい、そのような他人と家も財産も共有するという奇妙な技が成立するのだろうか。果たして結婚というものがこの世に存在したのだろうか。

ぼくたちは理解できない他人や、分かり合えない異性と一緒になり、それでもなんとか無理に理解しようと努力し、我慢し妥協しながら共同生活を営んでいくし、それが普通のことだと見なされている。なぜならば性欲や精液が人間の肉体に働きかける根源的な力があまりに強いので、それに従いながら他人と結びつくのはいかなる人間にとっても当然の結果だと諦めているからだ。

しかしはるか昔を思い出してみれば、性欲や精液を植え付けられる前の幼い少年たちは、本来何を望みながら透明な世界を生きていただろうか。異性や同性の区別なく、生と死の区別もなく、光と影の区別もなく、境界線によって分け隔てられない美しき世界をただ走り回っていたのではないだろうか。性欲に支配されて注ぎ込む相手をさがすために生きるわけではなく、ただ美しく見えるものを美しいと信じ、分かり合える魂とただ生命を分かち合い、そのようにして部品ではなく「全体」としての世界を慈しみ生き抜いていたのではないだろうか。

はたしてぼくたちの生命は、性欲や精液によってのみ結び付けられるだけの、ただの機械的なつがいの存在だろうか。性欲や精液を植え付けられる前の、恋とも結婚とも異なるはずの、本当に欲しかった魂の色彩を思い出してみないか。

 

・「人が本当に欲しいのは、恋よりもきっとこんな夜なんだ」

性欲や精液によって絡み取られるものとは別の、人間同士のつながりの示唆を提示しているひとつに谷山浩子の「電報配達人がやってくる」という不思議な物語がある。

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主人公のワイチのもとには、いつも夜中12時50分に電報が届けられる。

ワイチは電報の中でイチコという見知らぬ人物から「丘の上の満月屋コンサート」に招待される。イチコのことを全く知らないにもかかわらず、ワイチはイチコという名前を見るや否や誕生パーティー前夜の子供のようなすごくワクワクした気持ちになってしまう。

「丘の上の満月屋コンサート」へと向かうワイチは、丘を目指してゆっくりと歩いていく。真夜中の少し冷たい空気を吸い込むと、なんとも言えない懐かしい思いが胸の隅々まで入り込んでくる。丘の上へと歩きながらワイチはつぶやく。

「こんないい匂いの夜、こんな切ないような夜を、誰かとふたり、どこまでも歩いたことがあった。あの夜は、恋よりも素敵だった。人が本当に欲しいのは、恋よりも、きっとこんな夜なんだ

この発言は、ぼくたちの心を驚かせるのではないだろうか。なぜならば、ぼくたちは恋や恋愛がこの世で最も重要なものだと思い込まされているからだ。流行の音楽を聞けば恋や恋愛の歌ばかりで満たされている、物語を覗きみればあらゆる話に恋や恋愛の要素が詰め込まれているこんな世の中において「人が本当に欲しいのは、恋よりも、きっとこんな夜なんだ」と堂々と言ってのけるワイチの発言は、なんと不思議な輝きを世界へ向けて放っていることだろう。ぼくたちに最も大切なものは恋じゃない、恋よりもぼくたちには、本来欲しいものがあったのだ。

 

 

・記憶というものに結びつけられる人間の深い縁

「電報配達人がやってくる」の中の主人公、ワイチとイチコには離れ難い運命的な結びつきがあり、その縁の糸の絡まりはどこまでも深まっていく。しかしその結びつきは、性欲や精液によって結びつけられた動物的な恋愛模様ではない。

ワイチはイチコの水族であり、イチコはワイチの水族なのだ。「水族」の説明は以下の通り。

物語の中で主人公のワイチは、電報配達人に導かれて変な水族館を訪れる。そこにあったのは、硝子箱の水中摩天楼。その変な水族館には、青白いランプを灯した四角い硝子の箱が海の底にいくつもいくつも積み上げてあった。大きな水槽、小さな水槽、立方体、直方体。驚いたことに水槽の中にいるのは魚ではなかった。壊れかかった椅子や机、鉛筆自動車、その他大きさも種類のまちまちの日用品の類、そしてそういうものに混じって人間がいる。ひとつの水槽にひとつずつ、身動きもせずに目を閉じて静かにうずくまっている。

ワイチ「あれれ、おかしいな、どうもこの人たちに見覚えがあるぞ。人間だけじゃない、机にも椅子にも、ほかの何もかもに見覚えがあるような気がする。とっても微かな、さわれば消えてしまいそうな微かな記憶。多分ずっとずっと昔の…ああだめだ、どうしても思い出せない!」

水族1「やあ、元気かね。ここだよ、君の後ろの水槽の中」

ワイチ「ああ、驚いた!口を聞けるんですか?」

水族1「当然さ。君と同じ人間だからな。まあ同じと言っても、まるで同じというわけじゃない。君は単なる人間だが、私たちは少し違うのだ」

ワイチ「単なる人間じゃないとしたら、なんなんです?」

水族1「我々は、水族じゃ。失われた思い出の水族だ」

水族2「人間が誰かの記憶の底に沈んで、すっかり忘れられてしまった時、初めて水族になれるのです。わたくしのことも、あなたはお忘れでしょうね」

ワイチ「どこかでお会いしましたか?」

水族2「この水族館に入れられたものは、忘れられる定めなのです。」

ワイチ「名前を!名前を教えてくれたら思い出すかもしれない!」

水族2「無駄です。水族は思い出されることがないから水族なのです。顔を見ても名前を聞いても、たとえどんな話をしてもあなたは私を思い出すことはできません。」

ワイチ「教えてください!いつ頃ですか?」

水族2「それを申し上げても、あなたにはわかりません。」

ワイチ「そんなぁ。」

水族1「そもそも水族とは何か。君は知っているかね?」

ワイチ「いいえ。なんなんですか?」

水族1「君は、なぜ自分が自分なんだろうと考えたことはないかね?人間は誰でも、その人が忘れてしまったものでできているんだ。水族はいわば、人間の存在の材料なんだ。

ワイチ「存在の材料??」

水族3「そうです。人間が自分というものに執着するのは、海の底にすっかり忘れてしまった水族館を持っているからなのです。

水族2「ある日の黄昏時、わけもなく寂しくなったり、憂鬱な気分になることがあったら、それは思い出の水族がほんのひと時目を覚ましたから。」

水族3「初めて会った人に妙な懐かしさを覚えたり、自分の分身のように感じることがあれば、それはお互いの水族がどこかで出会っているから。」

水族1「思い出せない思い出が、君の人生を目に見えない力で支配しているのじゃ。」

水族3「水族になってしまったものは、永遠に思い出されることがないのです。」

水族2「あなたもどこかの海の底で、誰かのための水族になっているはず。」

ワイチ「ぼくが、誰かの水族に?」

水族2「誰かがあなたのことをさがしているわ。あなたのことをどうしても思い出せない、でも胸が締め付けられるように懐かしい、そんな思いを持て余して、どこか遠くの街でひとりため息をついている」

ワイチ「それは誰です?!誰なんですか?!…そうだ、ぼくをこんなところに呼び出したイチコって人は、一体どこにいるんだ?」

水族2「その人もきっとあなたをさがしているわ」

結局、ワイチはイチコの水族で、イチコはワイチの水族だった。ふたりは運命的に、水族を共有し分かち合い、水族を取られた片方が水族になってしまうことを永遠に繰り返しながら深い結びつきの縁のもとで夢の輪廻の中を暮らしているのだった。

 

 

・混迷の世界を解き放て

ぼくたちは見つけ出すことができるだろうか。精液や性欲から解き放たれた先に取り戻す「恋よりも素敵な夜」を。ぼくたちはもう一度思い出すことができるだろうか。精液や性欲のよらない本来の人間同士の結びつきを。

それを解き放つことは難しい。それはぼくらの一部となって、ぼくたちに深く深く根付き、ぼくたち自身と成り果て、もはやそれを取り除くことはぼくらがぼくらでなくなることを意味する。ほとんどすべての人にとって、自らを完全に解放することは不可能だろう。

しかし深い眠りの底でぼくたちは本当は覚えているはずだ。光に満ちた透明な世界を。その世界に帰って行くために、今混迷の世界を泳いでいるのだということを。ぼくたちは支配されたままで、本当に心から望んだものを忘れ去ったままで、果たしてこの一生を終えられるだろうか。

 

 

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