しずかちゃん「時々理屈に合わないことをするのが人間なのよ」
ドラえもん鉄人兵団の名言!しずかちゃん「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」というのは本当か?
・しずかちゃん「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」というのは本当か?
・いつか死ぬのに今頑張って生きる矛盾
・木村弓「いつも何度でも」
・「命を大切に」と言うけれど、たくさんの命を奪って美味しそうに食べる矛盾
・中島みゆき「I love him」
・人を愛することの矛盾
・矛盾をまとってこそ人生は美しい
目次
・しずかちゃん「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」というのは本当か?
ドラえもんの映画作品は数多くあれど、一番の最高傑作は何かと問われればぼくは「ドラえもん のび太と鉄人兵団」だと答えるだろう。この映画はロボットの大群と戦うというワクワク感、現実世界とそっくりだが無人の鏡の世界への冒険感、しずかちゃんとロボットの少女リルルとの心の交流と哲学的問いかけ、最終的なしずかちゃんの大活躍など見所が満載で、それがすべてひとつに繋がってゆくという物語の展開も目が離せない大傑作である。
「ドラえもん のび太と鉄人兵団」の物語の中では、人間がひとりもいない遠い宇宙の果てのロボットの星メカトピアから、地球人を奴隷にするためにロボット少女リルルがスパイとして遣わされる。リルルはスパイとすて怪しまれないために人間の少女そっくりに作られたロボットだった。そんなリルルが地球で事故に遭い大怪我を負ってしまう。しずかちゃんはメカトピア星の地球人奴隷作戦の事実を知った上で、リルルを家のベッドに寝かせて付きっ切りで治療を行う。合理的な思考しかできないリルルは純粋な疑問をしずかちゃんにぶつける。
「人間のすることってわからない。どうして敵を助けるの?」
その論理的な問いかけに、しずかちゃんは笑顔でこう答える。
「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」
このセリフはドラえもん映画史上最高に心に響く言葉として、ぼくの心の中に深く刻み込まれている。こんなにも深遠で哲学的な答えが、子供向けの映画の中でしかも小学校5年生のしずかちゃんから発せられるところに、日本のアニメ映画の面白さがあると言えるだろう。単純な勇気ではなく、言葉だけの愛ではなく、まるで成熟した大人が解き放つような含蓄に富んだ答えに、映画「ドラえもん のび太と鉄人兵団」に向けられた真剣な情熱が感じられる。
・いつか死ぬのに今頑張って生きる矛盾
確かにどう考えても矛盾していたり、合理的ではなかったり、理屈に合わない行動をなぜかしてしまうのが人間の性質だと言うことができるだろう。数学では「背理法」などと言って”矛盾”を指摘することによって証明を導き出すという手法が存在するが、無機質な数学の世界とは異なり、ぼくたちの生きている世界は常に大きな矛盾に満ちており、その矛盾の中を泳ぎ切っていくことこそが人生だ。
最も大きな矛盾は、人間は自分がいつか死ぬとわかっているのに今も頑張ってみんな生きていることである。この矛盾は、ぼくが幼少時代に「人間は必ず死ぬのだ」とお母さんから教えられたその日から抱いているとてつもない不思議である。
動物の中で帰納法を使って「自分たちはいつか必ず死ぬ」という法則を作り、信じているのは人間だけだろう。他の動物たちは自分たちがいつか死ぬことを言語として論理として知らないでいるから、自分たちは永遠に生きられるだろうとなんとなく信じて元気に楽しく生きることが可能だろう。しかし人間は自分が必ず死ぬということを知っている唯一の動物だ。自分がいつか死ぬとわかっているのに、笑顔で平気な顔をして生きられる大人たちが幼少時代には信じられなかった。
大人たちは死ぬのが怖くないのだろうか。自分が絶対死ぬとわかっているのに、どうして頑張って今生きているのだろう。もしかして大人というものはものすごく鈍感で何も考えていない種類の生き物で、だからこそ死ぬことがわかっているのに平気な顔して違和感なく生きられるのだろうか。様々な疑問が幼少時代のぼくの頭の中に浮かんでは消えていった。「どうせ死ぬのになぜか頑張って生きている」というぼくも含めて全ての人間の生命が、とてつもない矛盾を解き放っているように思えてならない。
なお、自分が死んでも子孫を残して種を残せるからいいじゃないかという考えもあるだろうが、未来には太陽が膨張し地球を飲み込み、全ての生物は死に絶えてしまうと科学的測定により決まっているらしいので、ぼくの脳内でその説は却下された。
・木村弓「いつも何度でも」
”さよならの時のしずかな胸
ゼロになる身体が耳を澄ませる
生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も町もみんな同じ”
・「命を大切に」と言うけれど、たくさんの命を奪って美味しそうに食べる矛盾
「命を大切にしなければならない」と誰もが正しそうに言い放つのに、みんな牛肉や鶏肉をムシャムシャ美味しそうに食べているのも面白い矛盾だ。本当に「命を大切にしなければならない」と心の底から信じているのならば、牛さんや鶏さんやキャベツさんから命を奪い取って殺して食べるべきではない。しかしそんなことになれば人間は誰も生き延びる事ができなくなるだろう。
ぼくも「命を大切にしなければならない」と心から思うが、それでも牛肉をムシャムシャと食べてあぁ美味しいと感じる自分を発見する。これは全ての人間にとって生き延びるために仕方のない矛盾だと言えるが、せめて命を奪い取った者として目の前の食料に向かって「いただきます」と感謝するくらいの習慣はあってもいいだろう。その点から言えば「いただきます」という言葉を発明した日本人は立派な民族だと言える。
・中島みゆき「I love him」
”愛そうなんて思わなければ
失うものは何ひとつない
与えられる愛を待つだけならば
もらい損ねても悪くてもゼロ
マイナスはない
それならばわたしは何も
失わずに生きていけた
でも何か忘れたことがある
でも誰も愛したことがない
それで生きたことになるの?
それで生きたことになるの?
長い夢の後 本当の願いが 夢の中目を覚ます”
・人を愛することの矛盾
損得勘定や論理的思考からすれば「人を愛すること」も矛盾に満ちていると中島みゆきは歌う。人を愛したならば、両思いになって同じだけ愛を返されればプラスマイナス0で済むが、片思いに終わり愛のお返しをもらい損なったならば、実質損をしてしまう。しかし人を愛さずに愛されるのを待つだけならば、愛してくれる人がいればこっちが得で儲けものだし、もしも愛してくれる人がいなくても損得は0で済むから損失はない。合理的なのは愛されることを待つことであり、人を愛するなんて損か0かの無為な行為だからしないに限るだろう。
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しかしそんな論理的思考や合理的判断など退けて、ぼくたち人間は人を愛するようにできている。どんなに損得感情が合わなくても、どんなに論理的ではなく矛盾しているように見えても、ぼくたち人間は誰かを愛したいと願うようにできているのだ。そしてそのように矛盾を貫き、人を愛してこそ人は生きたことになると中島みゆきは歌う。逆に愛されることを待っているだけならば、生きたことにすらならないと愛する意味を強く主張する。
・矛盾をまとってこそ人生は美しい
矛盾に満たされて歩き始めた時、人は本当の人生を歩き出す。論理を飛び越えて理屈に合わないような生き方を始めた時、人は美しい生命の輝きを取り戻す。論理的な人物が賢く見えるだろうか、理屈を語る者こそが正しそうに聞こえるだろうか、論理や理屈にひたすらに守られて、それを超越した人生へとたどり着けない者たちが、本当に聡明な生命を生き抜いていると言えるだろうか。生命の底からの熱量を感じるだろうか。
矛盾をまとってこそ人生は美しい。生命の矛盾を事細かに指摘する背理法の信者たちを軽やかに無視して、ぼくたちは矛盾に引き裂かれながら運命の海を生きよう。どんなに傷つきながらでも、どんなに噛み締めながらでも、ぼくたちは矛盾へとおそれずに飛翔し、うねる矛盾の泥の中にこの身を投じよう。