不安や恐れが大きな力により無尽蔵に垂れ流されている。注目されたいがために、そして金を儲けたいがために。
日本の未来は不安や恐れに満たされて絶望的だというのは本当か? 〜今の時代に必要なのはメディアを無視する能力〜
・ニュースには不安や心配な内容がいっぱい
・人々は幸福よりも不安や恐れに反応し注目する
・注目されるための不安と恐れの大量生産
・日本の未来は絶望的だというのは本当か?
・不安と恐れにより保険屋は儲かり人は我を見失う
・大きな権力から明るいニュースたちが垂れ流されたならば
・大切なことは大きな権力を無視する能力
目次
・ニュースには不安や心配な内容がいっぱい
新聞やテレビや、インターネットでは、人々が不安でいっぱいになるニュースであふれている。将来年金がもらえなくなるかもしれないから大量の貯金が必要となることや、日本が少子化することでいずれ国力が落ちていくだろうこと、異常気象で地球にこれまでになかった現象が起きていること、隣国で新しい病気が出現してどこまで広がるかわからないこと、若く健やかであるべき人が死に至る病を患ったこと、遠い異国で戦争が起きようとしていることなど、それらを挙げれば枚挙にいとまがない。
逆に不安や心配になるニュースに比べて、楽しいニュースや幸福なニュースは極端に少ない。見知らぬ人の悲惨な殺人や恐ろしい誘拐が起これば必ずニュースになるが、見知らぬ赤ちゃんが誕生したり人が人にささやかに優しくしたというニュースは決して流れない。ニュースは人々の幸福よりも、不幸や不安や恐れをはるかにより多くはらんでぼくたちに情報を提示してくる。
しかしこれはおかしなことである。普通に考えてぼくたちの世の中には、いいことや悪いこと、幸福なことや不幸なことは、およそ同じくらいの量が生じているはずだ。人間が成熟した意識を用いて本来境界線などない世界に幸福と不幸をわける線引きをしているというのなら、幸福と不幸は表裏一体の鏡の世界であり、その2つが同量であるというのは当然のなりゆきである。それならば本来流れてくるニュースも、幸せなニュースと不幸なニュースは同じ量であるはずだ。それなのにどうしてこんなにも、不幸で不安で恐ろしいニュースがはるかに多いのだろうか。
・人々は幸福よりも不安や恐れに反応し注目する
それは不幸なニュースの方が、人間たちがそのニュースに即座に振り向くからに他ならない。自分たちの将来は安心です心配しないでくださいという知らせよりも、自分たちの将来は不安でいっぱい今後どうなるのかさえわからずに、きちんと生き延びられるかどうかわかりませんと言った方が、人間たちは慌てふためいてはるかに注目するに違いない。臆病で心配性で自信がなくて怯えながら生きている人間ほど、不安に満ち溢れたニュースに常に反応し精神を彷徨わせるだろう。
ニュースなんてブログと同じで、とにかく見られなければ意味がない。みんなに見られて、注目されて、視聴率やページビュー数を稼がなければ、そのニュースの評価は低くなり打ち切りになってしまうことだろう。とにかく見られるためにはどうしたらいいだろうか。楽しい話題や幸せな話題を提供するよりも、誰もが心配し誰もが不安になる内容のニュースを大量に作成し垂れ流すしかないのではないだろうか。
・注目されるための不安と恐れの大量生産
ニュースを世間へと垂れ流す新聞やテレビやインターネットのニュース機関は、それぞれ莫大な影響力を持っており、権力があり、どのような生活スタイルの人においてもそれに触れたり見ないということは不可能なほどだろう。そのような国民に多大な影響力を持つ権力者たちが、注目され、見られ、その結果として金を稼ぐために、不安や恐れを大量生産し、国民たちがその不安の津波にさらされた時にはどうなるか。人々の気分は将来への不安と恐ろしさでいっぱいになることだろう。そしてそれが今の社会を取り巻く空気の正体ではないだろうか。
・日本の未来は絶望的だというのは本当か?
未来の日本を語れば、高齢化社会や少子化、年金など「もはや日本はもうだめだ」という空気に満ちあふれることがよくある。本来楽観的に希望を抱いているはずの若者でさえ、日本の未来には希望などないと絶望している場合すらある。少なくとも不安を抱いていない若者はいないという状況だろう。
しかし本当に日本の未来は、彼らが感じるほど絶望的な状況なのだろうか。それはただ大きな権力が金儲けのために垂れ流した絶望的なニュースに大量にさらされ、いたずらに不安を煽られた結果として感じられる虚構の絶望なのではないだろうか。本当は絶望的な物事と同じくらい毎日希望に溢れる出来事が日本では生じているのに、希望溢れる幸福なニュースでは視聴率やページビュー数が稼げないからという理由で、幸福や希望は隠され、不幸と不安が助長され発信される。大きな権力が垂れ流す情報の性質がそのようなものであるから、末端にいるぼくたちは日本という国が、絶望と不安に満ちているのではないかと見間違う。しかしそれはただ、大きな権力者たちがひどく注目されたいからという理由だと知ったなら、これはどれほどくだらない状況だろうか。
・不安と恐れにより保険屋は儲かり人は我を見失う
未来への不安と絶望が募ると、ぼくたちは保守的になり、燃え盛るように生きることができなくなり、うつむきながら暗く塞ぎ込んで過ごさなければならなくなる。未来へのえも言われぬ不安により、せっせと休むことなく労働し大量に貯金をする。何かしたいことがあるわけでも使いたいものがあるわけでもないのに、「ただ不安だから」という理由でとりあえず貯金のために生き、最期には自分の情熱のために使うこともなくたくさんお金を余らせて死んでいく。
今後どうなるかわからない未来のために、膨らみ上がる自らの中の不安を抑えきれずに、全く必要のなかった保険金をかけながら、結局無駄にお金を消費させられて終わっていく。地震が起きたらどうしよう、火事が起きたらどうしよう、重病になったらどうしよう、津波に流されたらどうしよう、盗難に遭ったらどうしよう、未来に向けて心配すればきりがなく、不安に思えば思うほどに保険屋は儲かる。
また日本はこんなに借金があって大変なのだから、景気が悪いのだから少子化なのだからと不安を煽れば、税金が上がってしまうのは仕方のないことだとニュースが語れば、国家の権力が言うままに、まんまと消費税を10%にまで上げられてしまうことも容易な状況となり得るだろう。
そして人々は、危険を冒し、冒険し、自らの根源の炎に従って最も困難な道を選択しようとすることをためらう。未来には不安がいっぱいあるのに、日本の将来には絶望しかないのに、挑戦などしていられる余裕はないのだと言い訳し、自らの直感に従ってまっすぐに誠実に生きることを見失う。自分に正直に生きられない精神の歪みと不満がやがて他者への恨みと妬みと化し、その闇はいつの日か毒となり自らを飲み込む。
・大きな権力から明るいニュースたちが垂れ流されたならば
しかし今のこの日本を包む閉塞感が大きな権力から流されるニュースが不安で暗いものばかりであるというのが理由ならば、逆に世の中の明るい側面ばかりを流せば世の中は明るくなっていくのだろうか。
たとえば全然有名人じゃない人の赤ちゃんが生まれたことを「生まれましたー!」とたくさんニュースで流したりすれば、単純な人々は、ああたくさんの人が子供を作っているんだなぁ私も流行に乗って作ろうかしらという気分も起こるのだろうか。たとえば暗く不安ばかりを語る人々をテレビに映すのをやめて、幸福に生きていると感じる人々やその哲学ばかりを集めてテレビで流せば、国の雰囲気も幸福になっていくのではないだろうか。
未来が不安だからといってそれを大きな権力が拡大して流せば、一部の人々の不安や恐れがすべての人々に行き渡り、不幸が感染し蔓延するのではないだろうか。今の日本の雰囲気が暗いのだとすれば、それは本当に暗いのではなくて、大きな権力が暗くなるように選択しているのではないだろうか。
・大切なことは大きな権力を無視する能力
今の時代で大切なことは、大きな権力を無視する力ではないだろうか。テレビも新聞で言われていることをよく知っている方が物知りで偉いという考えはもはや過去の遺産となり、逆にテレビや新聞の言うことなど上手に無視できてそれらの権力的な思想から退いている人々の方が立派な時代ではないだろうか。
テレビや新聞も、インターネットの台頭により以前よりはるかに力を失っている時代にでさえ、大きな権力というのは完全に無視するというのはなかなか難しい。インターネットのニュースにも大きな権力たちは遍く満ちて人々の心に入り込もうとしている。完全に無視することはできなくても、たとえ見てしまっても心が無視すること、気にしないこと、影響を受けないこと、自分が影響を受けないように努めることで大きな権力の影響力を徐々に弱めることが必要ではないだろうか。
大きな権力というものはいつも、既得して久しくなれば腐敗が進行する。ぼくたちはどんな時代においても、権力の新陳代謝をする必要があるのではないだろうか。
大きな権力を無視すれば、自分が本当に幸福なのか不幸なのかがはるかにわかりやすくなる。そして大きな権力の言うことを真に受けて未来や現在への不安や恐れに苛まれていたけれど、実際に自分というものをしっかりと見定めて心の声に耳を傾ければ、極めて幸福に生きている自分自身の鏡の中の姿に気がつくのかもしれない。