新聞やテレビやニュースを見ないと立派な大人になれないというのは本当か?

 

大切なのは、もはや無視することではないだろうか。

新聞やテレビやニュースを見ないと立派な大人になれないというのは本当か?

・おばあちゃんから言われた新聞の提言
・新聞やテレビを見ていると人間は愚かになる
・思想の偏らない人間の集団はない
・流れくる大きな権力の情報を無視しよう

・おばあちゃんから言われた新聞の提言

ぼくは小さい頃おばあちゃんに「新聞を読まないとダメだよ、新聞を読まないとあかん子になるで」と教えられた。幼いぼくはそうかそうかとおばあちゃんの話を聞いていたが、今思い返してみると本当にそうだろうか。ぼくはおばあちゃんのことは大好きだが、今思い出してみてもこの意見は、完全に間違いであると言い切りたい思いがする。むしろ新聞なんて読む方が愚かしい人間になるのでは?

おばあちゃんから言わせれば、常識や世の中の動きを新聞を通して孫に知ってほしいという古典的な願いなのだろうが、そのようなことは別にわざわざ月額のお金を払って大量の紙を家に届けられる新聞のシステムなど活用しなくても、無料で簡単に手に入るような世の中になって来ているのだ。

 

 

・新聞やテレビを見ていると人間は愚かになる

新聞を読まないと今世の中で話題のことがわかりにくくなるというのは事実かもしれない。インターネットの無料ニュースだと興味があって自分から能動的に見たいと思うような特定のニュースしか見なくなる可能性があるからだ。世間でも話題のニュースについて知らないとダメな奴だと見なされる風潮が未だにあるように思うが、ぼくからしてみれば今世の中で話題の物事を知っているということの方がダメな人間なような気がする。

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それは暗に、その人がテレビや新聞の大きな権力から「今これが話題だ」と伝えられることをそのまま鵜呑みにし、操られ、支配され、大きな権力が話題に“したい”だけのことを本当に話題だと思い込んで周囲に宣伝するだけの、大きな権力に都合のよいただの伝道者に成り下がっているに過ぎないだろう。

自分自身で何が人生にとって大切で生きていく上で重要なのかを見極める力がないから、テレビや新聞の言うことが自分にとって大切なことだと思い込み、それらを話題にすることが生きていく上で重要なことなのだと信じ込み、自分の生命にとって本当に必要であるものを探し出すこともできないまま、テレビや新聞からの情報についてだけを考えあぐねて人生は終わっていく。

しかし実際には、テレビや新聞が生命にとって大切で重要なことを伝えていることはほとんどない。テレビや新聞が「これが重要です!」と民衆に派手に働きかけている間に、本当にぼくたちに必要な出来事が裏で起こっており、テレビや新聞の目的はぼくたち民衆から重要なことを隠すことにあるのかもしれないのだ。実際にインターネットを見ていれば、本当に大切なことを権力や金や癒着の都合でテレビや新聞はきちんと報道していないという事象は明白にいくらでも確認することができる。

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それは言語学で言えば、ぼくたちはひとつの文章の中でその軸となっている最も大切な「主語と述語」を探し出さなければならないのに、愚かな力に惑わされて、また自分で見極める力がなくて、文章のあってもなくても大して重要ではない「修飾語」だけに着目ししがみついて無為に人生を終えることに似ている。

 

 

・思想の偏らない人間の集団はない

テレビや新聞や雑誌、インターネットのニュース記事に書かれている言葉には大きな影響力がある。近頃は若者は一方的に押し付けられるそれらの言葉に怪しさを感じるようになっている気配もし、だんだんとその権力は落ちて来ているようだが、それでも大多数の老人や一部の中年は、まだテレビやニュースの言うことがすべて正しいとそれらを信仰している場合も多いことだろう。

テレビやニュースと言えば、情報を伝えることをゆるされているきちんとした機関なのだから常に正しい情報を流してくれると思い込みそうになってしまうが、思想の傾かない人間がいないように、思想の傾かない集団はない。そのテレビやニュースがどのような思想に偏っているのかを常に意識しながら、自分の思想を誘導されそうになっていないか考慮する必要がある。

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また芸能人などを崇め奉ってやたらと褒めたりいいように書かれている記事がインターネット上の「ニュース」として出されている場面が散見されるが、これも「ニュース」だから正しいかのように見せかけて、本当はその芸能人がニュースを書く人にお金を払っていいように書いてもらっている単なる宣伝に違いない。そのような洗脳のような記事に、本当に読む価値などあるのだろうか。

真剣に世間のことを知ろうとするとき、真面目に世界に向き合おうとする気持ちがあるときに、大切なことはテレビや新聞やニュースを見ることではなく、自らの肉体で行動し、自らの感性で感受し思考する能力ではないだろうか。見知らぬ怪しい他者に広いものを教えてもらうことを期待する前に、自らの感性によって受け取る身近なものをもっと尊重してみないか。

 

 

・流れくる大きな権力の情報を無視しよう

すべては集団の思想と金の癒着によるものならば、ぼくたちはそれを正しきものとして受け取り続けるべきなのだろうか。権力や金を行使して信じやすい民衆に思想の傾きを植え付けることがテレビや新聞やニュースなど大きな権力の目的ならば、ぼくたちはそれをなるべく避け、見ないようにし、自らの泉源から溢れ出る清流により心を洗い流す必要があるのではないだろうか。

本当に生命にとって大切なことは、テレビも新聞もニュースも教えてくれない。それらはただ大して重要でもない情報たちをあたかも重要であるかのように見せかけて、ぼくたちの心を惑わし命を脅かし続けるだけだ。話題でないものを話題だと言い切り、流行にしたいものを流行だと言いふらし、それに操られて消費を繰り広げる惨めな人々に、ぼくたちはなってはならない。

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本当に生命にとって大切なものをこの人生をかけて探し求めたいのならば、大きな権力から流される情報を遮断することはできなくても、見てしまっても“無視する”心を持つことは大切だろう。このように情報が流されているけれど、それを真剣に受け取らずに、大して重要なことだと見なさずに受け流すことだ。そのようにして自分という世界の中で、世間では重要だと思われているけれど真実はまったく重要ではないものたちの影響力を著しく下げることは、ふさわしく人生を全うするのに適した姿勢であると思われる。

 

 

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