松任谷由実の名曲「スラバヤ通りの妹へ」がインドネシアのスラバヤの歌だというのは本当か?

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

妹みたいね15のあなた…。

松任谷由実の名曲「スラバヤ通りの妹へ」がインドネシアのスラバヤの歌だというのは本当か?

・松任谷由実さんの名曲「スラバヤ通りの妹へ」
・実際に見たスラバヤは“土埃り 馬車のゆくスラバヤ”では全くなかった
・「スラバヤ通り」はジャカルタにある通りの名前
・主人公はジャカルタもスラバヤも訪れた?

・松任谷由実さんの名曲「スラバヤ通りの妹へ」

ぼくは以前インドネシア横断の旅をした。まずは日本からバリ島へと飛行機で渡り、バリ島からジャワ島までフェリーで移動し、東の果てのバニュワンギという町で青い溶岩が噴出するというイジェン山を見学した後に、列車でスラバヤ、ジョグジャカルタを経て、インドネシアの首都ジャカルタへとやって来たのだ。インドネシアを実際に初めて訪れる前、ぼくの中ではインドネシアの知識といえば松任谷由実さんの名曲「スラバヤ通りの妹へ」の中の歌詞にしかなかった。

“妹みたいね 小さなあなた
髪を束ね前を歩いてく
カゴの鳥や不思議な果物に
埋もれそうな朝の市場”

まるでインドネシアの不思議な風景を美しい絵に描くように語られる歌詞は情緒深く、インドネシアの現地の少女との交流も微笑ましくて、旅という経験をこのようにまとまった歌という芸術作品に昇華する才能は目を見張るものがある。

“土埃り 馬車のゆくスラバヤを
思い出せる 遠くても”

この歌を聞いてスラバヤという不思議な名前のインドネシアの場所はどのような場所かを想像し、インドネシアに渡った際には絶対に訪れたいと思うようになった。

 

 

・実際に見たスラバヤは“土埃り 馬車のゆくスラバヤ”では全くなかった

そしてついにインドネシア横断の旅をしようと決意し、その旅の途中でスラバヤを訪れた。しかし実際のスラバヤは“土埃り 馬車のゆくスラバヤ”では全くなく、そのような情緒が残っている街というよりはむしろ近代的なビルが立ち並ぶ大都会だった!それもそのはずでスラバヤはインドネシア第2の都会だというのだ。

松任谷由実さんの「スラバヤ通りの妹へ」の歌は1981年の楽曲なので彼女が実際にインドネシアを訪れたのはその前なのだろう。インドネシアの急速な発展により、風景もガラリと変わってしまったということなのだろうか。

 

 

・「スラバヤ通り」はジャカルタにある通りの名前

しかしよくよく考えてみるとおかしなことだが、「スラバヤ通り」というのはインドネシアの首都ジャカルタにあるのだ!「スラバヤ通り」とはジャカルタにある骨董品店が立ち並ぶストリートの名称であり、この歌はジャカルタを訪れた時のスラバヤ通りの思い出を彼女が歌にしたものだろうと思われる。

だから「スラバヤ通りの妹へ」はスラバヤの歌ではなくジャカルタの歌なのだ!それなのに松任谷由実さんは歌の中で“土埃り 馬車のゆくスラバヤを思い出せる”と歌っているのは一体どうしてなのだろう。ジャカルタの中の「スラバヤ通り」という街の一画を訪れた歌なのに、どうして歌の主人公はジャカルタから遠く離れたスラバヤを思い出すのだろうか。深く追求してみると結構謎な歌である。

 

 

・主人公はジャカルタもスラバヤも訪れた?

彼女はインドネシア旅行の中でジャカルタもスラバヤも訪れていたのだろうか。だからジャカルタの「スラバヤ通り」のことを思い出す際も「スラバヤ」という名前に感化され、一緒に訪れたスラバヤも思い出すということなのだろうか。そんな具体的な出来事は知る由もないが、ひとつ言えるのはこの「スラバヤ通りの妹へ」がちょっと謎な歌詞でも、名曲には変わりないということである。

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

 

関連記事