魂が生まれ変わるための島根県秘境神社!人は死なないと生まれ変われないというのは本当か?

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もしも人が生きながらにして生まれ変われたならば。

魂が生まれ変わるための島根県秘境神社!人は死なないと生まれ変われないというのは本当か?

・出雲大社に心を奪われる運命
・島根県「韓竈神社」の詳細説明文
・韓竈神社への参拝はさながらハイキング
・韓竈神社は古代日本の岩石信仰の気配を感じる荘厳な聖地
・日本の古代からの岩石信仰の風景の記事
・韓竈神社の入り口の岩石の狭路は、生まれ変わるための女性器(産道)
・ぼくたちは韓竈神社で、生きながらにして生まれ変われる
・秘境神社の記事一覧

・出雲大社に心を奪われる運命

「九州一周の車中泊の旅」をした後で関西に帰る途中、ぼくは人生で初めて島根県の出雲大社に立ち寄った。出雲大社の辺りは、特に素晴らしい特産品や美味しい食べ物、楽しい娯楽施設があったわけでもないのに、またもう一度ここへ帰って来たいと思えるような不思議な魅力に満ちていた。

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ただ単に物質や人間が集まり群れをなしている場所を「都会」と呼び、称賛し、その都会を中心として回っていると言われている現代社会において、大して”何もない”とされる出雲にひどく心惹かれるのは奇妙な感覚だった。しかし人間や物質の群れに価値を置かずに、”何もない”ところにこそ神聖な神の気配を見出すということこそ、日本人が古来から心の中に宿している本来の純粋な感受性ではないだろうか。

たった半日の滞在だった1度目の訪問が忘れられず、ぼくはまた今回の「日本海沿いを北上する旅」でも絶対に出雲大社を訪れようと決めていた。しかも今度は出雲大社周辺の地域も深めてみたいと計画していた。出雲地方は出雲大社だけではなく、出雲大社を中心とした場合のまさに辺境の地にも、不思議な伝説や幻想的な聖地で満ちあふれていた。

 

 

・島根県「韓竈神社」の詳細説明文

島根県出雲市にある「韓竈神社(からかまじんじゃ)」は、まさに出雲大社の”裏”の山奥にひっそりとたたずむ秘境神社である。主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。出雲風土記(733年)には「韓銍社(からかまのやしろ)」として、延喜式神名帳(927年)には「韓竈神社(からかみのかみのやしろ)」として記載されており、非常に古い由緒を持つ神社だが、古すぎて創立は不明だという。

神社の前の看板には、韓竈神社という名前の由来として次のように書かれている。

社名の「からかま」は朝鮮より渡来した「釜」を意味するという。素盞嗚尊が御子神とともに新羅に渡られ、我が国に「植林法」を伝えると共に「鉄器文化」をもたらしたと伝えられていることと、何か関係があるだろうと推測される。韓竈神社より奥部の北山山系が、古くから産銅地帯と言われ、金掘り地区の地名や、自然銅、野タタラ跡などが見られることと、鉄器文化の開拓と深い関係があると言われる。

ぼくはこれを読んで、結構色々推測とか予想しているが、結局のところ名前の由来も古すぎてよくわからないということなのでは?と感じた。多くの古い神々が残されているこの出雲地方ではあまりに古代から受け継がれてきたものだから、神々の由来すら忘れられて、一体何の神様なのかわからなくなっている神社も多いのかもしれない。それでもなお、理由や意味を忘れ去られても、絶えることなく祈り続けられているという日本人の風景に、不思議な感動を覚えずにはいられない。

あまりに古すぎて研究や科学でも解明できないというのなら、この国に住む自らの直下や感性を頼りとして、この神社における神々の風景を紐解いていく他はないだろう。そんな風に感じながら参拝を始めた。

 

・韓竈神社への参拝はさながらハイキング

 

韓竈神社の駐車場は、韓竈神社自体からやや離れた場所にあった。駐車場は広く、訪れる人は少なく、満員になることはないだろう。駐車場に車を止めて、グーグルマップの案内に従いながら車も通れそうなほど広い川沿いの山道をしばらく歩く。その先に山の上まで続いていく細い階段と鳥居が出現する。どうやらここが韓竈神社の入り口のようだ。韓竈神社は、この果てしない階段の上にあるらしい。

ぼくは何の下調べもせずに来てしまったが、韓竈神社への参拝は気軽に神社に入ってお参りしてハイさようならというような種類の一般的なものではなく、長く細い階段をひらすら上へとのぼっていくという、軽いハイキングかもしくは修行とも言えるような形態だった。韓竈神社に参拝するときは、運動靴など山で動きやすい格好をすることをお勧めする。

 

ぼくはまさかこんなに長い階段をひたすらのぼっていくとは夢にも思わず、思いもよらずにいきなり始まった山登りに戸惑ったが、この階段を制覇しなければ秘境神社の韓竈神社へとたどり着けないので不満も言わずに黙々と上り続けた。誰も訪れる人はなく、すれ違う人もない。細く険しい階段を、転ばないように注意しながらひとり韓竈神社への足を進めていく。すると10分も経たないうちに、巨大な岩石が目の前に立ちふさがっていた!

 

・韓竈神社は古代日本の岩石信仰の気配を感じる荘厳な聖地

 

どういうことだろう?韓竈神社へ参拝するための細い道の先には、巨大岩石が横たわっている。神社は一体どこにあるのだろうか。よく見ると2つの巨大岩石の間にはかろうじて人が通れるか通れないかくらいの細い道が開いており、なんとここを通らないと韓竈神社へはたどり着けないようだった!えーこんな狭い岩と岩の間を通らないとたどり着けないのか!どうしよう!でも行くしかない!

 

 

ぼくは意を決してかなり狭い岩石と岩石の間を、岩に肌と服を擦り合わせながらなんとか通り抜けた。するとそこに待っていたのは、まさしく韓竈神社だった!あの岩と岩の間の狭き道は、韓竈神社への入り口だったのだ。

 

 

韓竈神社はまさしく山奥の秘境神社という風格を醸し出す、神秘的で荘厳な神社だった。日本人の本来の祈りの形態である、岩石信仰の雰囲気に満たされている。日本人は古代信仰として、石や、水や、木に根源的な祈りを捧げていたことを、ぼくは「紀伊半島一周の旅」で感じ取ったが、まさに紀伊半島だけではなく日本中の祈りの形として、このような岩石信仰は存在しているらしかった。日本人の感性は古代においても日本各地で共通し、繋がり合っていたようだ。

 

 

この神社で働いている人はおらず、神殿の前にお札やお守りが箱の中に入って売られている。お札やお守りが欲しければ、自分で正直にお金を入れるシステムのようだ。

 

神殿の奥へと進んでみると、そこにもまた巨大な岩石に囲まれた風景が広がっていた。人間には到底動かすことができないほどに巨大な岩石群の真ん中に、異様な圧迫感を感じながらたたずむとき、古代の日本人は神聖なパワーを感じ取っていたのだろうか。

 

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・韓竈神社の入り口の岩石の狭路は、生まれ変わるための女性器(産道)

しかしなんでこんな訪れにくい辺鄙なところに神社を建てたのだろう。辺鄙なのはいいが、神社への入り口がめちゃくちゃ狭い岩石と岩石の間だったことが最も衝撃的だった!こんなに狭くて通りにくい大自然によって作られた入り口があるだろうか!入り口というものは普通訪れる人のこと考えて、通りやすくしておいてくれるものではないだろうか。この韓竈神社の入り口は通りやすくしておいてくれるどころか、人がかろうじてやっと通れるくらいの狭路で道を阻んで、まるで通るなと嫌がらせをしているようでもあった。あまりに通りにくい不思議な入り口、この得体のしれない入り口に、何か意味でもあるのだろうか。

そんな風に感じながら韓竈神社の岩石に囲まれてしばらく休んでいると、急に直感で、古代の人がどうしてここに神社を建てたのか、まさにわかったような気がした。確かな証拠なんてないので確定することはできないが、ぼくはぼくの中で、この神社の存在にものすごく納得がいったのだ。それは不意に古代の日本人の祈りが自分自身の精神に降り注ぐような、古代の日本人の心と今を生きる自分の心がつながり合うような神聖で不思議な感覚だった。

あのあまりに狭くて通りにくい、巨大な岩石と岩石の間をくぐり抜けたときに、なんとなく懐かしい、根源的な感覚がした。その感覚の正体を、ぼくは韓竈神社の中で直感した。あの岩石の入り口は、女性器だったのだ。あまりに狭い女性器という道を通り抜けて、ぼくは韓竈神社という神の国へと生まれ変わったのだった。

人間は誰もが、女性器から生まれた。ブッダは脇から生まれたというが、そういう意味不明な伝説を後付けされていない限り、すべての人間は産道を通してこの世にやって来た。今の時代では帝王切開という技術もあるが、韓竈神社ができた古代の日本ならなおさら、あらゆる人間は産道から生まれることしかなかっただろう。ぼくにとって自然と懐かしいと感じられたあの岩石の狭路は、まさに産道だったのだ。だからこそぼくは、この世に初めて生まれてきたその瞬間を思い出し、懐かしくなったのだ。

岩石と岩石の間をかろうじて通るという、あの産道の感触があったからこそ、古代人たちはここを聖域として祀ったのではないだろうか。

 

 

・ぼくたちは韓竈神社で、生きながらにして生まれ変われる

ぼくたちは死んだらどうなるのかわからない。世界中で様々な説が唱えられているが、結局死んだ人に実際はどうでしたかと尋ねることなどできないから、どれが正解かわからないままで、不安を抱えながら人間はこの世を去ってゆく。

死んだ後の説のひとつに、輪廻転生というものがある。人は死んだら、また生まれ変わって生きられるよという説だ。しかしぼくは思っていた。死ななきゃ、生まれ変われないのだろうかと。もしもこの世界に、どうしようもなく苦しい運命が与えられた状態で生まれて来て、不幸になることが定めとして決められていて、その一生を生きている限りはどうしようもなく絶望に打ちひしがれるような場合は、人は生まれ変わりたいと生きているうちに願っても、じゃあ死ぬしかないのだろうか。別の人生を生きたいと切に願った場合に、人は死ぬしか道は残されていないのだろうか。

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生まれ変わる産道をさがしていた。本当は死ななければたどり着けない産道を、この世の中にさがしていた。生きながらにして、もう一度生まれ変われたならばと。切なる願いを乗せた魂はさまよい、やがて秘境の果てに産道を見つける。岩石の間の狭路を通り抜けるとき、ぼくたちは別の世界へと生み出されることをゆるされる。

もしもこの肉体が生まれ変わることが叶わなくても、せめて魂だけは新しく生まれ直そう。産道に見立てた懐かしい通路を超え、厳かな聖域へと足を踏み出そう。その聖域では、今までのあらゆる悲しみが悲しみではなく、浮世のすべてのおそれがおそれではなくなる。どうしようもない運命を抱えて絶望した旅人たちが、どうしようもない運命を超えて、死を通さずに、生きながらにして魂を洗い、生まれ変わる。

そんな願いを古代の日本人たちも見出していたのではないだろうか。今のぼくがまさにそのように祈りを見出したように。

人は自らのどうしようもない運命に対して、死ななければこの人生は治らないのだと絶望し、生まれ変わるために死を選び、自殺をする。しかしぼくたちの国の古代の人々は、ぼくたちにきちんと残してくれていた。生きながらに、生まれ変わることのできる通路を。それがただのまじないだとしても、それがただの空想だとしても、韓竈神社で生きながらにして生まれ変われ。この国の古代の神々と、この国の古代の人々と、そして今を生きたいと願うあなた自身の洗われた魂を信じて、生まれ直したこの国の土の上を、新しく這うように生きよう。

 

 

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