みさえとひろしの離婚原因は男女差別!男女差別反対が世の中を平和にしているというのは本当か?

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クレヨンしんちゃんが「男女差別反対」の怪しさを教えてくれる!!!!!

みさえとひろしの離婚原因は男女差別!男女差別反対が世の中を平和にしているというのは本当か?

・クレヨンしんちゃんの野原家は理想的な家族
・「野原家のリコンだゾ」のあらすじ
・「野原家のリコンだゾ」はありふれた夫婦の日常風景を描いている
・男女差別反対が世の中を平和にせずに男女を分断させている
・中島みゆき「清流」

・クレヨンしんちゃんの野原家は理想的な家族

おバカで能天気なしんのすけ5歳が主人公の「クレヨンしんちゃん」は、近年家族愛を伝えるアニメとして評価が高まっているようだ。そんなお互いを思いやり家族を大切にしているイメージの野原家も、何度か仲違いし離婚の危機に遭遇してきたようだ。仲のいいみさえとひろしの離婚のきっかけとなる原因とは、一体なんだったのだろうか。

 

 

・「野原家のリコンだゾ」のあらすじ

みさえとひろしの離婚危機の物語は「野原家のリコンだゾ」いうそのまんまのタイトルの回で披露されている。最初の場面では、ひろしとみさえとしんのすけの3人で家族団欒でテレビを見ている。テレビの中では主張の強そうなコメンテーターの女性がヒステリックに「だいたいね!!女が料理しなきゃいけないって、一体誰が決めたわけ?!家庭に関していえば共働きしている夫婦はもうなおさら、男も女も働いてることに変わりないでしょう!!平等なわけでしょう!!」と主張している。女性がヒステリックであるばかりに、テレビの中の男性のリポーターもコメンテーターも呆れてドン引きして困惑している様子が見て取れる。

 

 

ひろしもテレビの中の男性の反応と同様に「嫌だよなーこういう女!」と言ってぼやく。しかし女性であるみさえはヒステリックな女性コメンテーターに共感し「そうだそうだその通り!」「この先生は男女差別のある社会をなくしましょうって言ってるのよ!どうして嫌な女とか言うの?!」とひろしにつっかかる。ひろしは「男女差別がどうとかじゃなくてこの評論家が気に入らないって言ってるだけだろ!」と反論する。

 

 

みさえはそれに対し「正しいこと言ってるから気に入らないんでしょう!いやねー!男って自分の立場が悪くなると、すぐに女は黙ってろとか言うのよねー!」と言い返す。ひろしとみさえはその後も口論を繰り返し、挙げ句の果てにはどちらから結婚のプロポーズをしたのかという過去の話にまで遡り、どっちからプロポーズしたかわからないなんて最低!もう離婚だ!という結論に行き着いてしまう。

 

 

次の日ひろしとみさえは離婚した場合しんのすけが自分について来てほしいという理由で、みさえはご馳走を、ひろしは豪華なおもちゃをしんのすけにプレゼントし、しんのすけの取り合い合戦を繰り広げる。

 

 

しかしその日の夜、離婚のために荷造りをしていると、しんのすけの赤ちゃんだった頃の小さな服や写真が出てくる。それを見た2人はしんのすけがこんなにも小さかったという記憶が蘇り、加えて夫婦が本来とても仲良しだったことを思い出し、頭が冷やされた。そしてお互いに「ごめんなさい」と仲直りし、再び仲良しの野原家に戻るのだった。

 

 

 

・「野原家のリコンだゾ」はありふれた夫婦の日常風景を描いている

「野原家のリコンだゾ」という回は、本来仲良しの夫婦であっても一度や二度くらい喧嘩して離婚の危機に陥ることくらい普通にあるということが示唆されているのかもしれない。生まれも育ちも別々の他人同士で狭い家の中で暮らしているのだから、ちょっとくらい喧嘩したって当たり前だと言えるだろう。

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しかしぼくが気になるのは、ひろしとみさえの離婚危機騒動のきっかけとなった原因についてだ。

 

 

・男女差別反対が世の中を平和にせずに男女を分断させている

テレビの中のヒステリックな女性コメンテーターの「男女差別反対」という主張をそもそものきっかけとして、ひろしとみさえは離婚にまで話が発展してしまったことは印象的だ。この「男女差別反対」という過激な強い主張が、人間の男女を分裂させているという風景は、そっくりそのまま現代の日本社会の風景と変わらないのではないかと思われるからだ。この野原家の分裂は、まさに現代日本の男女の分裂の縮図ではないだろうか。「野原家のリコンだゾ」という回はまだひまわりも生まれておらず3人家族なので、絵柄から考えても90年代前半の作品だ。90年代前半においても「男女差別反対」という過激な主張は人間社会や家庭の平和を乱す結果となるとクレヨンしんちゃんから示唆されていることは非常に興味深い。

「男女差別反対」と言うとすぐさまそれは完全に正しいことだと、何の思考もなく世の中で判断されてしまう危険なワードだ。しかしきちんと0から考えてみれば、男という生物と女という生物は肉体も物の考え方も異なる全く違った生き物なのだから、お互いがお互いを完全に理解することは不可能であり、そんな中で共存していくにおいて、お互いに多少の差別や偏見を持っていることは至極自然な成り行きだ。それなのに絶対になくなるはずもない差別や偏見を消滅させようとヒステリックに主張することにより生じているのは、心地よく住みよい世界ではなく野原家に見られるような、男と女の分断である。

「男女差別反対」がもしも本当に完全に正しい主張なら、それによってとても住みよい素晴らしい世界や環境が実現されることだろう。しかし実際に「男女差別反対」というワードを過剰に主張することによって訪れる世界は、野原家を見ても、今の世の中を見てもわかるように、男女が分断され和を失った乱れた世界である。本当は男と女が協力しあって人間の生活や文化を築いていかければならないのに、男女の分断という全く逆の現象が起こっているとはどういうわけか。それは「男女差別反対」という主張が、世の中で認識されているほど正しいものではないということが強く示唆されているのではないだろうか。

ぼくたちはなんとなく正しそうな言葉に惑わされて、思考停止して自分で物事を0から考えずに、社会や世の中に植え付けられ洗脳されている「正しさ」を易々と安易に信じ込みそうになるが、それはよくない。「正しさ」は、その正しさが絶対的で有無を言わせないほどに強固で固定されたものであるという印象が世の中で共有されていればいるほど、危険で怪しい。人は生きているといつも怪しい「正しさ」の波に飲み込まれ、自分の立ち位置がわからなくなる。得体の知れない「正しさ」の津波に襲われそうになったときにはいつでも、一度立ち止まって自分の脳で0から本当に正しいのかゆっくりと考えていく必要があるだろう。

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・中島みゆき「清流」

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