松任谷由実「スラバヤ通りの妹へ」の歌がインドネシア人に通じるというのは本当か?

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らっさ〜さ〜やんげ〜。

松任谷由実「スラバヤ通りの妹へ」の歌がインドネシア人に通じるというのは本当か?

・中島みゆきのライバル松任谷由実
・松任谷由実の名曲「スラバヤ通りの妹へ」
・「スラバヤ通りの妹へ」の野望
・「スラバヤ通りの妹へ」はインドネシアで歌い継がれていた!

・中島みゆきのライバル松任谷由実

松任谷由実の歌は素晴らしい。ぼくのお母さんが中島みゆきファンだったが、昔、松任谷由実は中島みゆきのライバルと言われており、お互いにその才能を認め合っていたらしい。ぼくもお母さんの影響で幼い頃から中島みゆきファンになったものの、松任谷由実の音楽とはまるで縁がなかった。むしろライバルと言われているくらいだから聞かない方がいいのではないかと思い、積極的に彼女の音楽を聞くこともなかった。

しかしふとしたことで彼女のベスト版を聞くと、それもこれも素晴らしい楽曲にすっかり魅了されてしまい、ツタヤでオリジナルアルバムをすべて借りて聞くほどまでになってしまった。さすが中島みゆきと才能が互角と言われただけあって、その才能はただものではなかったのだ。

 

・松任谷由実の名曲「スラバヤ通りの妹へ」

松任谷由実のオリジナルアルバムの中には、4曲入りという短い不思議なアルバムがある。その名前は「水の中のアジアへ」だ。中国の大連や香港など、アジアが舞台となってアルバムは展開されていくのだが、その最初の曲はインドネシアが舞台となっている「スラバヤ通りの妹へ」という歌だ。

“妹みたいな15のあなた
髪を束ね前を歩いてく
カゴの鳩や不思議な果物に
埋もれそうな朝の市場”

という情緒深い歌詞から始まるこの歌は、まるで水彩画を描くかのような彼女の作詞の才能が十分に発揮されている。この節を聞いただけで、東南アジアの街の中に自分が迷い込んだかのような錯覚さえ抱かせる。その前奏も、まるでジャカルタに降り注ぐ余すことのない木漏れ日を表現しているようで、編曲者である彼女の夫の才能を追加することで、さらに見事な作品へと昇華されている。しかしこの情緒ある歌詞も一変し、この先には重い政治的な事実が突きつけられハッとする思いがする。

“痩せた年寄りは責めるように
わたしと日本に目を背ける”

この美しい風景から人の政治的な恨みの情感へのジェットコースターのような歌詞の内容の変わり具合は、彼女が狙ってのことなのだろう。彼女の感性は野性的であるというよりもむしろ器用でどうすれば人が心を動かすのかをわかってその心の機微を巧みに動かせるような節があり、そこが中島みゆきとの違いだと思わせる。そして歌はサビの部分へ。ともすればものすごくヘンテコな楽曲になりそうな歌詞を、彼女の繊細な歌声と作曲能力で見事にカバーし名曲へと昇華されている。

“でも ラッサ ラッサーサーヤンゲー
その次を教えてよ
少しの英語だけがあなたとの架け橋ならさみしいから
ラッサーサーヤンゲー”

ここで突如として出てくる「ラッサーサーヤンゲー」という外国語は、インドネシアの童謡の歌詞のようだ。おそらく歌詞の内容からして、主人公の女性の前を行くインドネシア人の現地の15歳の少女が口ずさんでいた楽曲だろう。この「ラッサーサーヤンゲー」と歌う楽曲が何であるかは特定されており、インドネシア語(マレー語?)のその童謡をぼくたちはYouTubeで聞くことができる。下がその歌である。

 

・「スラバヤ通りの妹へ」の野望

ぼくはこの松任谷由実の「スラバヤ通りの妹へ」の曲を聞いてからずっと、本当にインドネシアでこの「ラッサーサーヤンゲー」という楽曲が現地の人に知られて今でも歌い継がれているのかを知りたかった。しかし別にインドネシアへ行く用事もなく、敢えなくその計画は遂行されることもなく人生は流れた。

しかしやっと転機は巡り、バリ島に旅行しようという計画が立ち上がったので、せっかくバリ島へ行くのならせっかくだしインドネシア横断でもしようと思い立ち、バリ島からジャワ島へ船で渡り、そのままジャカルタまで鉄道で言ってしまおうという計画を立てた。その途中であの「ラッサーサーヤンゲー」の歌について、インドネシア人に聞けるかもしれない。

 

 

・「スラバヤ通りの妹へ」はインドネシアで歌い継がれていた!

その機会はなんとスラバヤの滞在中に訪れた。

この「スラバヤ通りの妹へ」の歌はスラバヤ通りの歌であり、ややこしいがスラバヤ通りというのはジャカルタにある骨董品の立ち並ぶ通りのことである。だからスラバヤ通りの歌はスラバヤの歌ではなくジャカルタの歌だと推測されるが、それでも歌詞の中に「土埃馬車がゆくスラバヤを思い出せる遠くても」という歌詞もあるので、なんだかスラバヤ通りとスラバヤを混同しているようでよくわからない。それでも「スラバヤ通りの妹へ」の歌についてスラバヤの都市で聞くことができたのは何かの運命を感じさせる。

それはスラバヤのホテルで朝食を食べている時のことだった。日本に興味のありそうなジャカルタ在住のインドネシア人の20歳前後の青年が話かけてきて、ぼくたちは朝食を共にすることにした。そこでこの機会を逃すまいとしてぼくは聞いてみた。「ラッサーサーヤンゲー」の歌って知ってる?

しかしぼくの発音が悪いのか音程が違うのかなんのことやらいまいちよく伝わらないという感じだったので、仕方なく先ほど載せたYouTubeの歌を聞かせてみた。すると、おー知ってる知ってる!これはみんな知っているよ!という反応が返ってきたので、「ラッサーサーヤンゲー」の歌は本当に有名でインドネシアでまだ歌い継がれているのだということに感動した。松任谷由実がその昔インドネシアを訪れた際に、15の少女が口ずさんていた曲が、発展目覚ましいインドネシアでまだ歌い継がれているのだと思うと、とても感慨深いものがあった。

その後、松任谷由実の「スラバヤ通りの妹へ」の歌を実際に彼に聞かせるととても驚いていた。この歌はインドネシア人に第2の国歌と言わしめるほどに大ヒットした五輪真弓の「心の友」のようにインドネシア人に知られることはないようだが、それでも日本にインドネシアの歌があることを知って嬉しかったようだ。

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インドネシアはこれからも発展し続けていくことだろう。世界はどんどん姿を変えて、伝統的なものや個性的なものが消失し、どの場所を歩いていても同じに見えてしまうほどに均一化されている殺風景な未来がもうそこまで来ている。しかしどんなに人の社会が金という価値手段に飲み込まれようとも、人の心の表層が発展という欲望に囚えられようとも、すべての人の心の最も奥底に流れている民族的な原点とその風景を、どうか忘れずにいられたらと思う。激流のように、濁流のように、飲み込まれてしまいそうなぼくたちの心をなんとか保とうとすがりつけるひとつの藁が、歌という道しるべなのかもしれない。

 

 

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