中島みゆきとジブリの宮崎駿に関係がないというのは本当か?

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ジブリといえば松任谷由実!

中島みゆきとジブリの宮崎駿に関係がないというのは本当か?

・宮崎駿といえば松任谷由実(荒井由実)
・怒りの色彩の中島みゆきと宮崎駿
・「もののけ姫はこうして生まれた」での衝撃の発見
・宮崎駿は中島みゆきの歌を聞きながら「もののけ姫」を作っていた

・宮崎駿といえば松任谷由実(荒井由実)

ジブリ映画や宮崎駿と関係の深い歌い手として真っ先に名前が挙がるのは松任谷由実ではないだろうか。彼女はこれまでに、魔女の宅急便に「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」や風立ちぬに「ひこうき雲」など、荒井由実時代の名曲たちが次々に抜擢されており、ジブリ映画の世界観との見事な親和性を見せつけてきた。

昔は中島みゆきと松任谷由実はライバルと言われていたらしく、元々中島みゆき好きのぼくはなんとなく松任谷由実を聞かない方がいいのかなーなどと思い過ごしてきたが、実際に彼女の歌を聞いてみるとさすが中島みゆきのライバルと言われるだけあってその楽曲のほとんどは素晴らしく、特に絵画的な歌詞と情緒深いメロディーが印象的な荒井由実時代には名曲が多いと感じた。

周知の通り、松任谷由実とジブリ映画、宮崎駿との関係は深いが、それではそのライバルと呼ばれた中島みゆきとジブリ映画、宮崎駿との関係性はないのだろうか。

 

・怒りの色彩の中島みゆきと宮崎駿

ぼくは中島みゆきも宮崎駿もどちらも好きだ。そのふたりはなんとなく同じ種類の人間のような気がする。どちらも何歳になっても絶えることなき創造の泉源を内側に隠し持っており、創造することを天職としてこの世に生まれてきた種類の人物だろう。

ぼくはこのふたりの魂の内部に、天を貫かんばかりの激しい怒りの炎のような、ドロドロとした膿のようなものを感じる。喜怒哀楽の中で、怒りこそが最も美しいというぼくの感性はこのふたりにも通じ共鳴する部分があるし、その怒りがあるからこそ、創造の手は止むことなくこれからも続いて行くことだろう。

喜怒哀楽の中で怒りが最も美しいというのは本当か?

 

・「もののけ姫はこうして生まれた」での衝撃の発見

このふたりに通じるものを感じていたぼくは、このふたりの作品が混じり合ってしまえばとんでもない濃厚なドロドロした作品になってしまいそうだから、このふたりの感性が出会っていない点はそれはそれで必然なことだろと思い、気にも止めていなかった。

しかしぼくは、なんとなく「ものの姫はこうして生まれた」という、宮崎駿珠玉の名作「もののけ姫」の製作風景という、ものすごく面白くて見応えのあるDVDを見ている時に、衝撃的な事実を発見した。なんと宮崎駿は、中島みゆきの歌を聞きながら「もののけ姫」を作っていたのだ!

 

 

・宮崎駿は中島みゆきの歌を聞きながら「もののけ姫」を作っていた

これは本当に中島みゆき好きでないと絶対にわからない種類の発見だった。「ものの姫はこうして生まれた」の中で、宮崎駿が淡々と語りながらもののけ姫の絵を描いている最中のシーンでのことだ。ものすごく小さい音量で、聞こえるか聞こえないか怪しいほどの歌声だが、ぼくは確かに中島みゆきのようなメロディーと歌声を聞き取った。

しかし、なんとも聞こえづらい。その歌声は、宮崎駿の製作現場全体にBGMとして流れているものであるらしかった。これは中島みゆきの歌だと思う!なんとか聞き取れないだろうか…ぼくは必死に耳をすませた。

消えかけのそのBGMを集中して聞き続けると、ぼくはある確信を得た。これは中島みゆきの夜会の曲を集め合わせたアルバム「10WINGS」に入っている「生きていくおまえ」の曲に違いない!!!

なんと宮崎駿は中島みゆきの夜会「シャングリラ」で歌われた大曲「生きていくおまえ」というなんともマニアックな歌を聞きながら「もののけ姫」という名作を作っていたのだ!ぼくはこの事実が感動的で仕方がなかった。ふたつの似たような感性は、知らず知らずのうちに重なりあっているのだということに、底知れぬ縁を感じてしまったのだ。

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中島みゆきの「夜会」と宮崎駿の「もののけ姫」。どちらも目が離せなくなるほどに熱量が注ぎ込まれた名作である。このふたつが深いところで関係し合っていることなんて、おそらく誰も気がつかないだろう。

中島みゆきのディープなファンの方は、ぜひ「ものの姫はこうして生まれた」を買って宮崎駿が「生きていくおまえ」を聞きながら製作している場面を発見してみてください!

 

 

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