変な味っていうか味がない!!沖縄のアダンの実が食べられるというのは本当か?

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沖縄の野生のアダンの実を食べてみたー!!!!!

変な味っていうか味がない!!沖縄のアダンの実が食べられるというのは本当か?

・沖縄離島で身近となったアダンの木の存在
・アダンに縁の深い運命
・中島みゆきコンサート「一会」での「阿檀の木の下で」の感動的演出
・アダンの実はパイナップル風味の無味だった

・沖縄離島で身近となったアダンの木の存在

ぼくは沖縄に10年間住んでいた。うちほとんどは本島で過ごしたが、1年半くらい離島の宮古島で過ごした。宮古島で過ごしているとその他の離島に行く機会も多く、石垣島や与那国島など様々な離島を巡った。

沖縄本島で過ごしていた時は気にも留めなかったが、離島に来て海が本当に身近な存在になってくると気づくことがある。海辺のギザギザの痛くて固そうな針葉の中に、大きな木の実がなっているのだ!最初はこれはなんだろうと疑問に思っていたが、なにを隠そうこれがあのアダンの実だった!

 

 

・アダンに縁の深い運命

宮古島に移住した年は何かと「アダン」に縁の深い年だった。このようにして離島でアダンというものの存在に気づいたし、アダンの実を美味しそうに食べるヤシガニという世界最大の陸生甲殻類のヤシガニと多く触れ合った。アダンの存在を意識していると、なんと沖縄出身のCoccoが「アダンバレエ」というアルバムを発売した!この年の中島みゆきのコンサートは「一会」と名付けられ、そのクライマックスで歌われたのは「阿檀の木の下で」という歌だった。

 

・中島みゆきコンサート「一会」での「阿檀の木の下で」の感動的演出

「阿檀の木の下で」はオリジナルアルバム「パラダイス・カフェ」の中に収録されている静かで地味なアルバム曲といった位置付けだったのに、ひとたびコンサートで歌われればその表現力に圧倒され最も印象に残る演出となるのは、表現者中島みゆきの天性の凄みゆえだろう。この歌は北海道出身の彼女が唯一歌った沖縄の歌だと言われる。

遠い昔のあの日から
この島に人はいない
みんなみんな 阿檀の木になった

波の彼方から流れてくるのは
わたしの知らない国歌(くにうた)ばかり

遠い昔にこの島は
戦に負けて貢がれた
誰も誰も 知らない日に決まった

波の彼方から流れてくるのは
わたしの知らない決め事ばかり

沖縄から「一会」を見るためにわざわざ東京を訪れたぼくは、「一会」の真ん中に沖縄の歌が設置されていたことに感動し驚愕した。

 

 

・アダンの実はパイナップル風味の無味だった

そんなアダンの実は、実は食べられるらしい。正確には食べられるけれどみんな全然食べないらしい。こんなに野生でいっぱいなっているのに、どうしてみんな食べないのだろうか。宮古島に住んでいるとき、実際に野生のアダンの実を自分で食べて確かめてみることにした!

アダンの実は実際に手にとってみるとパイナップルに似ている。沖縄=パイナップルというイメージがあるが、アダンはパイナップルの亜種だろうか。パイナップルは大人気なのに似ているアダンは食べられないとはこれいかに。

実際にカットしてみると、匂いもパイナップルに似ていていい香り!これは絶対に美味しく食べられるに違いないと期待が高まる!実はパイナップルくらい美味しいのにみんな見逃しているだけでは?!

大きな期待を胸にカットしたアダンを口に入れてみる!美味しいはず!おいしい…は………ず……???ん………味が………ない………。

なんとアダンには味がなかった!いや正確にいえば、ほのかな、ほんとにかすかなパイナップルのような風味があるのだが、究極的に無味に等しい味わいだった。「味」というより本当に「風味」だ!しかし食感はやはりパイナップルによく似ている。アダン=パイナップルの無味バージョンというのが真実だった。

やはり昔の人はアダンを実際に試しに食べて、こりゃあんまり美味しくないわと思ったのでアダンを食べる食文化が根付かなかったのだろう。今の食文化にも色々と理由があるようだと、無味のアダンの実を噛み締めながら思った。

 

 

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