本当の自由の意味とは?お金持ちになれば人間は自由になれるというのは本当か?

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

本当の自由の意味とは?お金持ちになれば人間は自由になれるというのは本当か?

・中島みゆき「能書き」
・お金持ちになれば自由になれるというのは本当か?
・ぼくのような放浪の旅人が自由であるというのは本当か?
・あらゆる人間は数えきれない宿命に閉じ込められ不自由に生きざるを得ない
・宇多田ヒカル「Wait&See ~リスク~」
・人間が自由になるためにはどうすればいいのか
・魂の孵化
・浜崎あゆみ「Alterna」

・中島みゆき「能書き」

「自由」という能書きがもてはやされた頃もあったなぁ
その前は「思想」というのもあった
「平和」というのもあった
「明るい」というのが流行った頃もあったなぁ
それから「個性」というのもあった
「ゆとり」というのがとりだたされた頃もあったなぁ
「自分らしい」というのもあった

遊びだよ ないものを言い当てる遊びだ
結局どれもないものねだり
実際に人間がやることは 何の変わりもありはせんなぁ

 

(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)

 

・お金持ちになれば自由になれるというのは本当か?

巷ではFIRE(=Financial Independence Retire Early=経済的自立と早期リタイア)がブームになっているという。FIREとは簡単に言うと若いうちにとっとと資産形成を完了して、その多額の資産を運用したり受け取る配当金を利用することによって、若い年齢でも労働をすることなく生活していくことだという。もちろん常識では考えられないようなそんなFIREを目指すためには若いうちからかなりの資産を形成することが必要となり、平均的な給料や普通の節約では到底達成は不可能だろう。人それぞれ生活にかかる費用は異なるので一概には言えないが、ざっと1億円くらいは必要なのだろうか。1億円もの大金を、給料が高くなる高齢ではなく若い時代から貯められる人間なんて本当に少数だろう。

ではなぜみんなそんなにFIREしたいのだろうか。その根底には健康でエネルギーに溢れ美しく、しようと思えば何でもできる人生の若い時代の尊い時間のほとんどを、労働によって無理矢理消費させられるという現代社会システムへの疑問があるのではないだろうか。ぼくもせっかくこの世に生まれてきたのに、なぜ貴重な若い時代を労働に奪い取られなければならないのか、なぜ自分の人生のほとんど全ての時間を自分自身のためではなく他人に役立つ行動(=労働)に使わなければならないのか、ずっと腑に落ちなかった。きっとぼくと同じような根本的な違和感が世界中の先進国の若者の心の中で嵐のように巻き起こり、FIREというムーブメントとして表出しているのだろう。

FIREをするためには、若い頃から多額の資産を形成する必要がある。もっと簡単に言ってしまえばFIREしたいという願望は、若くしてお金持ちになりたいという願いに言い換えられるのかもしれない。「お金持ちになりたい」と言い換えてしまえば今の時代に限らず、FIREは古今東西誰もが願ってきた単純な願いだと言うことができるだろう。ではなぜみんなそんなにお金持ちになりたいのだろうか。お金持ちになりたいと言っても、誰もお札という紙切れやコインという金属が大量に欲しいわけではあるまい。そのお金に宿っている価値を引き出し、最大限に自分の人生を幸せにするために活用したいからこそ、誰もがお金というものを追い求めているのではないだろうか。

FIREを達成すればその他大勢の人々とは異なり、若い時代に労働から解放され、自分の人生を自由に生きられるようになるという。自由に生きられるという言葉は非常に魅力的で耳障りがよく、それが若者の間で人気となるのも納得できるだろう。しかしFIREを達成して自由に生きようと、軽々しく啓発している人にもぼくは違和感を抱いている。果たしてお金持ちになったりFIREしたからと言って、人間はそう簡単に自由になれるのだろうか。

フリーランス医師が旅人系FIREを目指す!永遠に世界一周の旅ができる永久機関はいかにして実現可能か具体的に考察した

 

・ぼくのような放浪の旅人が自由であるというのは本当か?

確かにお金があれば自分の好きなことを自分の思い通りにすることができるようになる。ぼく自身もそれは痛感しており、今も医師としてコロナワクチンバイトで貯めたお金を利用して、労働を終了した後でアフリカ縦断の旅を継続させている最中だ。お金がなければこのような大冒険を成し遂げることはできないし、少しの貯金だけでは生活するのに精一杯となるので労働を辞められず旅になんて出られないだろう。やはり旅に出るためにはある程度まとまったお金が必要となってくる。さらに「旅」というのはスナフキンのように自由で気ままなイメージがあるらしく、放浪の旅人であることをブログなどで発信していると、ぼくが自由な生き方をしていると他人からは映るようだ。

しかしぼくは労働を終了し旅人になったからと言って、自分が自由であると思ったことは一度もない。自由というものはただ単にお金持ちになったり資産形成したからと言って、それだけでそう簡単に到達できるような生易しい境地ではないのではないだろうか。確かに今はアフリカ縦断の旅をしており、どのような旅路を進もうと次にどこの国に行こうと完全にぼくの自由だし、好きな時に好きな場所へ赴くことができるので、そのような観点から言えばぼくは自由気ままな放浪の旅人と言えるだろう。しかしそれはただ単にこの肉体を思い通りに移動することができるといった類の限定された自由に過ぎず、人間の精神の問題を完全に置き去りにしている。ぼくたちはどこの国へ行こうと何をしようと、自分自身に”宿命”という不自由な装置が重くのしかかっているのを忘れてはいないだろうか。

 

 

・あらゆる人間は数えきれない宿命に閉じ込められ不自由に生きざるを得ない

人間にはそれぞれ、様々な変え難い宿命が課せられている。最も簡単な例で言えば、ぼくが男であるということだ。ぼくが男である事実は、なかなか変えられるものではあるまい。自分が男であるという宿命に閉じ込められている時、旅の中でも女であれば得られたであろう多くの利益を享受できずに終わっているのかもしれない。例えば重い荷物を持っている時に男が優しく助けてくれるとか、ご飯を食べに行ったら男が奢ってくれるという確率は、自分が女である場合に比べればもちろん格段に低くなってくるに違いない。しかしまた自分が男であるがゆえに、旅のさなかで発情したしつこい男に付きまとわれて怖い思いをしたという経験も少ないはずなので、閉じ込められた宿命の中にも一長一短があるはずだ。

ぼくが日本人であるというのも、また変えられない宿命である。アフリカを旅していると、他の誰もが黒人であることから黄色人種というのはかなり目立つ。アフリカ人の頭の中では、黄色人種=中国人だと思い込んでいるのでいつも旅の道中で「ニーハオ!」と声をかけられるが、自分は中国人ではないことを表現するためにわざと「ハロー」と返したりする。こういう時、自分が中国人だったならそのまま「ニーハオ」と挨拶を返すことができて楽なのにと思わないこともない。また黄色人種を見かけると黒人の子供たちが追いかけてくることがありそれがあまりにしつこいと、自分が黒人だったなら付きまとわれなくて都合がいいのにと思ったりもする。しかしどんなに頑張ってもぼくが日本人であることや黄色人種であることは変えられないし、どんなに日焼けしても黒人のような肌にはなるまい。

男であること、日本人であること、黄色人種であることはあまりにも広い枠組みの中の話だが、その他にも誰にも共感されることのない細やかな宿命が、それぞれの人間には密かに潜んでいるに違いない。たとえばイケメンであるとか不細工であるとか、背が高いとか低いとか、頭がいいとか悪いとか、年収が高いとか低いとか、行動力があるとかないとか、歌が上手いとか下手だとか、家庭環境が安定しているかとかそうでないかとか、何かしらの病気や異常を抱えていないかなど、他者から見てそれが明らかに見えようと見えまいと、人間というものは数えきれないほどの宿命によって構成されている多面的な光を解き放つ生き物なのではないだろうか。

変え難い宿命というものがどこから来るのか、それを誰もが知らない。科学的に言えば遥か遠くの過去から細胞内の遺伝子が運んできた偶然なのかもしれないし、信仰的に言えば前世や自らの過去の行いが招いた因縁から生じる必然なのかもしれない。しかしたとえそれがどこから来ようと、ぼくたちは宿命というものに閉じ込められ、宿命というものに従ったり突き動かされたりしながら生き抜くしかない定めにあるのだろう。誰にも見えない、誰にも言えない自分だけの暗く冷たい宿命が自らの背に乗りかかり、それが自分自身をまともに幸せに生きることを妨げるという悲しみの嵐の中で、人はそれぞれに宿命から押し寄せる人生の難題に向き合い、よろけながらも挫けながらも小さな歩みを進めていく。

異国へ旅立ったからと言って、ぼくから消え去る宿命はない。それはすなわちどんな旅人であろうとも、自らの宿命に閉じ込められながら、自らの宿命の中で何とかかろうじて必死に生き抜くしかないということを意味している。お金を貯めて旅に出たからと言って人間が即座に自由になれるというのは、旅人というイメージに惑わされた浅はかで愚かな幻想に過ぎない。お金持ちになってこの世でできることがたとえ増えたとしても、お金がぼくたちを囲っている檻のような宿命を破壊し、ぼくたちの魂を解放してくれるということは決してないだろう。その宿命がその魂にとって深刻であればあるほど、その宿命がその魂に深く根差していればいるほど、お金はただ無意味なものとして人間にその無力さを突き付ける。

 

 

・宇多田ヒカル「Wait&See ~リスク~」

どこか遠くへ逃げたら楽になるのかな
そんなわけないよね
どこにいたって私は 私なんだから

created by Rinker
ユニバーサル ミュージック (e)
created by Rinker
ユニバーサル ミュージック

 

・人間が自由になるためにはどうすればいいのか

お金があれば自由に生きられるというのは、程度の低い浅はかな幻想に過ぎない。しかしお金を稼げる人が最も偉く、お金を稼ぐことが生きる目的となっているようなこの資本主義の世の中では、お金と自由が密接に結び付けられたこの”お金=自由”という単純な観念は、偽物であろうと憧れとしてもっともらしく受け入れられやすいのかもしれない。ではお金が自由というものへの確実な通路ではないと分かった今、ぼくたちはいかにして真の自由を獲得すればいいのだろうか。

ぼくたちはあらゆる宿命に閉じ込められ、がんじがらめにされてとても自由とは言えない状態にある。しかしその宿命を変えることは難しく、変えることが難しいからこそぼくたちはそれを宿命と呼ぶのだろう。それならば自由になることを諦め、ただ宿命に従いながら生きることで人生を終えてしまっていいのだろうか。

宿命を破壊する方法を、ぼくだってもちろん知らない。宿命を破壊し自由を獲得するということは、仏教で言えば悟りを開くような、ほとんど誰もが到達することができない神聖な領域に位置しているのかもしれない。しかし大量の物質やお金というものが、人間を自由へと導くわけではないことは理解している。自由というものは物質的なものではなく、極めて精神的な解脱だ。

 

 

・魂の孵化

重要なことは生きている時間の限り、自らの宿命と必死に向き合うことだ。宿命に向き合って向き合って向き合い続けると、無数にある宿命の中で、やがてどの宿命が自分の魂にとってそれほど大切ではなく、どの宿命こそが自分の魂にとって深刻で、重要で、かけがえのないものなのか分かってくるだろう。その深刻な宿命は愛のような光でもあり、同時に魂を殺す毒にでもなるような矛盾した存在であるに違いない。そして最後まで残ったその宿命こそが、ぼくたちに永遠に人生への難題を投げかけてくる。その難題は1日や2日で終わるような学校の宿題ではなく、おそらく一生をかけてやっと1問解けるか解けないかの気が遠くなるような見果てぬ問いかけだ。

魂にとって大切ではない宿命と、深刻な宿命を区別する能力は非常に重要だ。あらゆる人間の宿命の中で、そのほとんどが魂にとっては取るに足らない大切ではない宿命だろう。その大切ではない宿命を見抜き、大切ではない宿命にとらわれることなく生き抜くことで初めて、魂にとって深刻な宿命に全集中して向き合うことができる。

この世の中には大切ではない宿命を大きな問題であるかのように見せかけて、人々の心に欠乏感や劣等感を生み出すことで、注目されようとしたりお金を儲けようとする仕組みが多すぎる。大切ではない宿命を大きな問題であるかのように思い込ませる呪いや洗脳を無視したりすり抜けることができるということこそ、真実の自由への第一歩となるだろう。ぼくたちの大切ではない宿命のほとんどは相対的な観念(高いとか低いとか、美しいとか醜いとか、優れているとか劣っているとか、勝ったとか負けたなどの二項対立)で埋め尽くされ、相対的な世界を抜け出して今、この瞬間を生きている自分自身にのみ着目する絶対的な世界を取り戻すことは自由を獲得する重要な要素となり得るはずだ。

あなたの容姿が醜く不細工だというのは本当か? 〜洗脳により欠落を作成され金を搾取される不憫な人々〜

本当は尊い幼児的万能感!ぼくらは幼児的万能感を克服し、覆い隠し、打ち砕くべきだというのは本当か?

ぼくが旅に出る理由6:この世のあらゆる境界線の融解

そしてその先に立ちふさがる難題という名の巨大で深刻な宿命を、ぼくたちは誰に教えられることもなく、ひとりきり手探りのままで解き明かしていく。その濃厚な宿命に閉じ込められたままの魂は決して自由にはなれず、まるで厚い卵の殻を中から鳥の雛が突き破ろうとするように、いつか外の世界で自由に飛び立つ日を夢見て、少しずつ少しずつ難題を読み解いていく。宿命に閉じ込められながら生きた方が、被害者の顔ができるから気楽だし安全かもしれない。けれど卵から出ることを目指さない雛がいないように、ぼくたちは宿命を破壊するエネルギーをいつからか植え付けられている。この一生では間に合わないかもしれない、どんなに頑張っても無意味かもしれない、約束された未来を持たないままで、それでも卵の殻は必ず、雛がいつか割ることができるように与えられていると信じながら。

 

・浜崎あゆみ「Alterna」

運命でも宿命でも
変えてってみせようじゃない
怖いものならもう十分
見尽くしてきたんだから

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

 

関連記事