生殖は卑猥で不潔でいやらしく、赤ちゃんの誕生は神秘的だというのは本当か?
・人間はいつだって矛盾をはらむ生き物
・尿や便は汚いのに、それを大量に含む人の体は美しい
・生殖は卑猥で不潔でいやらしく、赤ちゃんの誕生は神秘的だというのは本当か?
・赤ちゃんの誕生が神秘的であるのと同様に、生殖や生殖器も崇拝されるべきだ
目次
・人間はいつだって矛盾をはらむ生き物
ぼくは人間として今まで生きてきて、人間って意味不明で変な生き物だなぁとしばしば感じる。それは人間というものはたくさんの矛盾にまみれながら生きているからだ。そのくせほとんどの人間は、自分は一切矛盾なんかしていませんよというような正しそうな堂々とした顔つきをして歩いているのだからおかしくてたまらない。しかしぼくの観察している限りは、矛盾して生きていない人間などこの世にいないのではないだろうか。
・尿や便は汚いのに、それを大量に含む人の体は美しい
例えばぼくたちは自分の尿や便などの排泄物を、当然のように汚いと感じる。自分の尿や便になんか触りたくないし、それが自分のではなく他人のものならなおさらである。尿や便を忌み嫌い避けるという習性は、人間が排泄物を媒介として感染症にならないために、太古より次第に獲得してきた生き残りの本能なのかもしれない。
しかし尿や便なんて触るのも嫌なくらいに汚いと感じているのに、その尿や便がわんさか蓄えられている自分自身の肉体を全く汚いと思わないのは不思議なものだ。ぼくたちは尿や便をあんなにも汚くて気持ち悪いと感じているのに、それがたくさん詰まっている自分の体については全く汚いと思わないどころか、むしろ綺麗で清潔で美しいものだと感じている節がある。
尿や便をとんでもなく汚いと感じるのに、それをたくさん生み出しさらにそれを大量に含んでいる人間の体というものを、綺麗で美しいと感じるのはどう考えても矛盾に満ちている。しかしそんな矛盾など気にも留めないで、人間はそんな矛盾に違和感を覚えることなく平然と生きていられるというような鈍感な感性を持ち合わせている。数学では矛盾を指摘して結論を導き出す「背理法」という証明方法があるが、現実の世界は矛盾を指摘したくらいでは結論がひっくり返ることなんてない寛容さと適当さと鈍感さに満ちている。
・生殖は卑猥で不潔でいやらしく、赤ちゃんの誕生は神秘的だというのは本当か?
ぼくがもっとおかしいのは生殖についてだ。ぼくが観察する限り、若い人間というのは(年老いてもなおそうかもしれないが)生殖という行為に夢中になっているし、常に生殖のことを考えていることもしばしばだ。それは生殖器がもたらす快楽が人生で最上級のものだと感じるように、人間の体が最初から作られているのだから仕方のないことだと言えるだろう。
しかしぼくが気になるのは人間の生殖のとらえ方だ。人間たちはほとんどの場合、生殖や生殖器のことをいやらしいものだとか、卑猥なものだとか、不潔なものだとか、変態的なものだとか、スケべなものだとか、恥ずかしいものだと見なし、笑い物にしたり見下したりする傾向がある。生殖器周辺の話題を日本語では「下ネタ」などと呼ぶが、ここに「下」という文字が入っているという点でも、生殖器はなんとなく見下された下位に位置しているような印象を与える。
人間として人間社会に生きている限り、このような生殖に関する雰囲気を感じずに生きることは不可能だろう。生殖や生殖器は笑い物だし、見下されているし、卑猥なのだ。少なくとも尊重されているとか、神聖視されているとか、真剣にとらえられているというような風潮はほとんど感じることがないだろう。
にもかかわらず生殖や生殖器の結果として、赤ちゃんがこの世に誕生する際には、人間たちはコロッと態度を変える。すなわち赤ちゃんの誕生は神秘的だし、感動的だし、素晴らしいし、この世で最も尊いものなのだ。しかしあらゆる赤ちゃんというものは、卑猥で、不潔で、いやらしい、生殖という変態的な行為から生み出されたものなのだ。
「生殖」に対するものの考え方から「赤ちゃん」に対するものの考え方の変わりようと言ったら、それはまさに天地もひっくり返るような天変地異並みの激変であり、その掌返しは人間の適当さやチャランポランさを如実に表していると言わざるを得ない。よくもまぁそんなに都合よく華麗になんの疑問もなく考え方を一気に真逆に変えられますねと感心する次第である。しかしあらゆる人間はこの掌返しを何の躊躇もなく即座にできるようにインプットされており、それはもはや遺伝子として本能的に組み込まれているほど自然なものなのかもしれない。
・赤ちゃんの誕生が神秘的であるのと同様に、生殖や生殖器も崇拝されるべきだ
赤ちゃんは尊く、神秘的なのに、赤ちゃんを生み出す生殖や生殖器が卑猥で、下品で、不潔で、いやらしく、見下されるべきだと考えるのはあまりに意味不明だし、滑稽だ。また赤ちゃんというのはあらゆる人間の生命そのものだと言い換えることもできるだろう。誰もがこの世に赤ちゃんとして生まれついて、大切に大切に育てられながら大きくなったのだ。ぼくたち人間の生命は赤ちゃんと同様に、尊く、神秘的であり、かけがえのないものだという意見に、反対する人はほとんどいないだろう。
だとすればそんなにも素晴らしい全ての人間の生命を誕生させる根源的な行為である生殖や生殖器が、卑猥で下品で不潔でいやらしく見下されるべきだという風潮の方が間違いであると考えるのはとても自然なことのように思われる。ぼくの意見では、生殖や生殖器は現代という時代において、あまりに不条理に見下されすぎているのではないか。生殖や生殖器はあらゆる人間の尊い生命を生み出す原動力として、もっと尊敬され、崇拝されても罰は当たらないのではないだろうか。
ぼくが日本一周の旅をして驚いたのは、日本人が密かに生殖器を崇拝していたという事実だった。男根や女陰を祀っている生殖器崇拝の姿を、日本各地で満遍なく確認することができぼくはその迫力に圧倒された。そして生殖器を繁栄の象徴としてきちんと神として尊く感じ、崇め続けてきた日本人というのはしっかりと生命の根源と向き合っていて素晴らしいと心から感じた。古代より生殖器をきちんと信仰し続けてきた日本人の態度は、現代の生殖や生殖器を見下す不条理な風潮よりもよっぽどまともなのではないだろうか。
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