国公立医学部に合格する人はめちゃくちゃ勉強を努力しているというのは本当か?

 

勉強を頑張って努力するということ。

国公立医学部に合格する人はめちゃくちゃ勉強を努力しているというのは本当か?

・国公立医学部合格に必要な勉強時間
・医学部に受かる人は勉強を“努力”なんて思わない
・勉強がイヤなものだというのは本当か?
・人間というものはいつも思い込みが激しい

・国公立医学部合格に必要な勉強時間

一般的に国公立医学部は難関であり、東大や京大と同じくらいか、最近はそれよりも難しいと言われることさえある。そんな国公立医学部に入るためには、どれくらいの勉強量が必要なのだろうか。

国立医学部に合格したぼくの受験期の勉強時間は、1日10時間以上の勉強を普通に毎日続けていたように思う。周囲の国公立医学部を目指す友人たちもそれくらいは当たり前のように勉強してたので、自分が他に比べて特別長く勉強時間を確保しているという意識はなかった。

このように1日10時間以上勉強しているというと、関係のない人からは「すごく勉強を頑張ったんだね!」とか「すごく努力したんだね!」とかたまに言われるが、ぼくはまったく自分が勉強で努力したと思ったことはない。

 

 

・医学部に受かる人は勉強を“努力”なんて思わない

勉強というものはぼくにとって楽しいものだしやりがいのあるものなのだ。そのような種類のことをどんなに長時間やったって、自分が頑張っているとか努力しているなんて感じる人はいないだろう。ただ面白いからやるし、楽しいからやっているだけだ。それに加えて「学生は勉強するもの」という社会通念があるので、自分が面白いと感じることをやっているだけなのに社会通念にも自動的に乗れるので勉強とは一石二鳥だと考えていた。

国公立医学部に合格できた人の中で、10時間以上の勉強を苦に思っている人なんてほとんどいないのではないだろうか。みんなそれなりに知的好奇心があり、世界のことや学問のことを知りたいという思いが前提として当たり前のように存在しているし、それをこなすことはわりかし楽しいことなので、たくさん勉強することをしんどいとか疲れるとか大変だとか嘆いている人はぼくの周囲にはひとりもいなかったように感じる。

逆に10時間以上勉強することを、大変だとかつらいとか嫌だと感じてしまうような人は難関を目指すのに向いていないかもしれないし、医学部に入ったとしても大変な思いをすることになるかもしれない。医学部に入ってからも試験前には同じくらいかそれ以上の勉強時間を確保しなければならないこともよくあるからだ。しかも受験勉強と違って医学の勉強は暗記ばかりになってくるので勉強がつらいという思いに拍車がかかるかもしれない。

 

 

・勉強がイヤなものだというのは本当か?

勉強というものは世間で言われているほど大変で嫌なものなのかと激しく疑問に思って次のような記事を書いたこともあった。その中では、この世には解決したくてもどうしようもなく解決できずに苦しみを味わう人生や運命がある中で、勉強という答えの与えられることに集中して取り掛かることができるなんてむしろとても楽なことではないかと書いた。

勉強がイヤなものだというのは本当か? 〜勉強嫌いののび太くん〜

また、英語や国語や社会や理科など、勉強というものはこの世界を深く知ることに他ならない。もっと言えば世間では勉強と対になっている遊びや趣味でさえも、すべては勉強のひとつなのではないだろうか。勉強とは世界を深く知りたいと願う心そのものに他ならない。そのような願いの欠如した勉強が嫌いという人々は、世界と向き合わずに自分の人生を生きていくというのだろうか。そのような人生の軌道に入っていくように仕向けられた運命ならば、それを全うするのもひとつの人生なのだろう。

 

 

・人間というものはいつも思い込みが激しい

人間というものはいつも思い込みの激しいものである。勉強というものは大変で苦しいものだと思い込み、自分がそう感じるからと、また世間でも一般的にそう言われているからと、他の人もそうに違いないと思い込む。そして勉強することをまったく苦にも思わないし努力とすら思わない人々に、たくさん勉強で努力してえらいねと様子を伺う。そして勉強を苦とも思っていない人々は、そのような人に適当に相槌をうちながら軽く受け流し、特に努力したと自分では感じない勉強によって成果を上げていく。

大切なのは思い込みや常識を本当なのかと疑う心ではないだろうか。ぼくたちは知らず知らずのうちに、植えつけられたおそれに支配されていないだろうか。みんなはそう言ってはいるけれど本当は自分はそうは思わない、みんなが思い込んでそう言っていることは本当に正しいのかと、多数派に向かって自分の感性を思いのままにぶつける度胸こそが求められるのではないだろうか。

本来は勉強という世界を深く知ることを好きになれる人が、思い込みや常識によって勉強を嫌なものだと信じ込み、勉強から離れていくことはとてももったいないことであるように感じる。そのような人は、他人の思い込みや常識を疑わずに信じ込むという時点で、あまり賢くない可能性もあるが、そのような人にとっても本来の自分の感性にそぐう道を見つけられるように整えられた世界が訪れるに越したことはないと思うのだ。

 

 

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