この世で命が最も大切だというのは本当か? 〜車社会からわかる人間の本心〜

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「命は最も大切だ」と言い放てば、誰だって正常な人になれる。

この世で命が最も大切だというのは本当か? 〜車社会からわかる人間の本心〜

・最近気付いた車の真の価値
・車という暴走する機械の危険性
・命が最も大切だというのは本当か?
・人間は命よりも効率や利益を重視し始めている

・最近気付いた車の真の価値

ぼくは車が大好きだ。もっと詳しく言うと、最近大好きになった。それまでは車なんてただの移動機械なので、移動させてくれさえすればいいと思って愛着もなかったし、移動するだけでいいので洗車という行為もしたことがなかった。雨である程度汚れは落ちるので、それできちんと動いてさえいれば満足していたのだ。早い話が車に全くこだわっていなかった。

しかし最近日本で車中泊の旅を始めてからというもの、車というものの便利さに改めて気づき始めた。ただの移動機械だと思っていたのに宿にもなるなんてなんと素晴らしい機械だろう!車中泊さえすればホテルの予約なんて取らなくていいのだ!ぼくが日本の旅で困っていたことは、日本は物価が高く宿代も他国に比べてべらぼうに高価なことだ。これでは外国のように節約の旅ができない。そんな国内旅行の重大な障害をやすやすと乗り越えてしまう手段を、自分で既に持っていただなんて思いもよらなかった。それこそが車である。

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車中泊をしてしまえば、日本で最低3000〜5000円/泊ほどかかる宿代をそのまま支払わなくていいのだからこんなにいい旅行手段はない!確かにガソリン代はかかるがそれも移動代と宿泊代を考えれば絶対に安いものだ。浮いた宿代で現地の美味しいものを食べてもまだお釣りが出るくらいで、車中泊とは、車とはなんと素晴らしい機械だろうと心は車に対する絶賛の嵐だった。それでも車種にこだわったりとか部品にこだわったりするわけではなく、ただ軽自動車を乗りこなしているだけなのだがぼくにとってはそれで十分だ。

自動車の素晴らしさに気づいてからというもの、自分の車が愛おしくなり、この前初めて自分の車を洗車してみた。自分の部屋を掃除すれば気持ちいいのと同じように、車を洗車するのもとても気持ちがいいものだと知った。汚れなんて雨で落ちるのに洗車する人の気が知れなかったが、今となっては洗車が趣味というおじさんの気持ちもわかるというものだ。乗せてくれてありがとう、宿になってくれてありがとうと慈しみながら自分の車を洗ってあげる時間は素晴らしい!

 

 

・車という暴走する機械の危険性

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ぼくは北スペインの800kmに渡るキリスト教の聖なる道を歩くという「スペイン巡礼」の旅を実行したことがある。800km、1ヶ月間に渡り車にもバスにも電車にも乗らないという人生で初めての期間は、不思議で幻想的で独特だった。スペイン巡礼では周囲の誰もが歩いているので、人間はみんな歩くものだろうと心が感じ始め、久々に車という機械が走っているのを間近で見かけた時には恐怖すら感じた。あんな暴走機械に轢かれたら死んでしまうではないか!

ぼくはスペイン巡礼で、車を当たり前のように利用している人間社会に疑問を感じた。なんと危険な機械を、人間は使いこなして生活していることだろう!この機械は確かに便利であるものの、交通事故で年間に実に多くの人々を傷つけたり殺したりしているはずだ。昔のように人々が歩いているだけの社会では決して失われることもなかった多くの命が、車社会になることによって失われているのではないだろうか。

 

 

・命が最も大切だというのは本当か?

人々は何よりも大切なことは「命」だという。命を救うことは究極的に正しいことだという思想を前提として医学や病院は稼働しているし、新型コロナウイルス騒動でも、命に代えられるほどの大切なものはないからということで、お金を稼ぐための経済活動を犠牲にしてウイルスの感染拡大の防止に努めていた。おかげで初回の感染拡大は抑えきれたものの、経済活動は停滞したままである。しかしこれでいいのだ。なぜなら人間にとって最も大切な「命」を守れたのだから。日本の死亡者数の割合は世界的に見ても少なく新型コロナウイルスの被害を食い止めるのに最も成功している国のひとつだろう。経済がどんなに停滞して人々が困っていても、「命」さえ助かっているのだから満足だ。

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しかし本当に人はテレビやインターネットでさも正しそうに言うように、「命」が最も大切だと思っているのだろうか。

 

 

・人間は命よりも効率や利益を重視し始めている

本当に「命」が最も大切だと心から思っているのならば、人間は車社会なんか発達させないのではないだろうか。車なんかがそこらへんに自由に走り回っている社会だから、交通事故で毎年多くの人が死亡している。あんな巨大な機械が猛スピードで道を駆け回っているのだから、それに接触して傷ついたり命を落とす人がある程度出てくるのは当然の結果だ。今調べてみると交通事故の年間死亡者数は、新型コロナウイルスの死亡者数よりもはるかに多かった。新型コロナウイルスよりも多くの人を死亡させている車という機械がをなくそうという運動は全く起きずに、新型コロナウイルスだけは撲滅させようという強い人々の意思が感じられるのはどうしてだろう。「命」を最も重要だと感じている人間たちのはずなのに、命を多く奪う機械に対して何の疑問を抱かないのはなぜだろうか。

それはもちろん、車が便利だからに他ならない。便利で、効率的で、あらゆる物事のスピードを速めて経済を活性化させて人々に利益をもたらしてくれる。新型コロナウイルスなんてちっとも便利じゃないし、人間を病気にしたり死亡させるだけの不要物だ(それが真実がどうかは不明だが)。しかし車はぼくたちの生活を便利にし、豊かにし、成長させてくれる。既述したように猛スピードで合理的に空間を移動してくれるだけではなく、宿にさえなってくれる優秀な機械だ。「とてつもない便利さや合理性や経済成長のためならば、多少の人々の命が犠牲になるのは止むを得ないし別に構わない」それこそが人間が車に出した答えであり、車社会がなんの疑問もなく発達している理由ではないだろうか。

しかしこれではぼくたち人間は「命を最も大切にしている」と胸を張って言うことができない。ぼくたちの人間社会は少数の命が不運にも消滅することを許しながら、効率と合理と経済成長を選択したのだ。本当に「命」を最も大切に思っているならばこんな選択ができるのだろうか。ぼくたちは誰に当たるかわからない、くじ引きのように交通事故のために消滅する命の悲しみよりも、効率や合理や経済を優先して思いやったからこそ、車社会の中に生きているのだ。ぼくたちが命を最も大切にしていたのはもはや過去の話で、今となっては命よりも「効率」や「利益」を重視するように人々の精神が組み立てられているらしい。それがよくないことかどうかは、ちょっとよくわからないが。

 

 

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