不安定な生活の方が、毎日ははるかに楽しい!!!!!
安定なんてつまらない!安定した職業と生活をゲットした方が人生は幸せだというのは本当か?
・宇多田ヒカル「Keep Tryn’」
・安定した職業と生活をゲットした方が人生は幸せだというのは本当か?
・医者は安定した職業の代表的な例のひとつ
・安定した職業である医者を辞め、ぼくは世界一周の旅に出た
・新型コロナワクチン業務と旅する炎の親和性
・ワクチンバイトは極めて不安定な職業
・世界一周の旅で培われた能力がワクチンバイトで悉く役立った
・不安定な縄文的生活と労働観こそが、ぼくを幸せへと導いてくれた
・中島みゆき「齢寿天任せ」
・いいワクチンバイトの案件をゲットした幸福感は、きっと原始人の幸福感と同じだ
目次
・宇多田ヒカル「Keep Tryn’」
将来国家公務員だなんて言うな
夢がないな
・安定した職業と生活をゲットした方が人生は幸せだというのは本当か?
世の中の人々は、しばしば安定した職業に就きたいと考えているようだ。安定した職業に就いてさえいれば、激動の浮き沈みや思いがけないアクシデントに見舞われることのない安定した生活を享受することができ、心安らかに人生を過ごせるということらしい。
安定した職業の代表的な例と言えば、公務員が挙げられるだろう。今の時代となっては一流の大企業に就職したとしてもいつ潰れたりリストラされるかわからない。公務員といえば国家や市町村に属しているので、民衆から自動的に税という名目でお金を奪い取れるシステムが確立されているから、潰れることもなく安泰と言えるだろう。
安定した職業に就いていれば、激動の時代の中で不安定な状況になって心惑わされることもなく、明日の生活やお金のことを心配する必要もなく心にも余裕ができるから、人生を楽しく過ごせる可能性が高まるのかもしれない。また継続的にコツコツとお金を稼ぐことができるので、甲斐性があると見なされて異性からモテることにも繋がりやすい。
・医者は安定した職業の代表的な例のひとつ
ぼくも医者という職業なので、安定した職業のひとつだと言えるだろう。医師免許という永久に持続する国家資格を持っているということも安定の要素のひとつだし、さらに病院という巨大な組織に属していればさらにその安定性は高まると思われる。
人間は科学技術を発達させて自分たちは優れた動物だと思い上がっているが、よくよく見ていると人間の人生というものは太古より少しも変わらず、ただ生まれて、老いて、病んで、そして死ぬのみである(仏教的に言えば生老病死)。人間というのは必ず人生の中で病気になって死ぬものであり、その絶対的な運命が変わることがない限り、病院という組織は人間にとって必要不可欠だし、医者という資格も求められなくなることは決してないだろう。
・安定した職業である医者を辞め、ぼくは世界一周の旅に出た
ぼくも昔は病院という巨大組織に属しながら人々の病気を治す手助けをしていた。それは多忙ながらもきっと安定した生活の日々だったのだろう。しかしぼくは自らの根源から迫るように燃え盛る「旅に出たい」という願いに魂を支配され、結局医者として労働し貯金したお金で世界一周の旅に出ることになった。
2年間ほど世界旅行に出ていたが、新型コロナウイルスの影響により海外へは出られなくなったので、日本へと帰国し、今度は車中泊で日本一周の旅をしながら1年間を過ごした。九州から北海道の北端まで日本海沿いを北上し、さらにそこから太平洋沿いを南下するという壮大な旅路は、ぼくに祖国の奥深さを思い知らせてくれ、それぞれの1日が新鮮で大きな感動の連続だった。
そんなこんなで一旦は祖国の旅をし尽くしたと思ったところに、新型コロナウイルスのワクチンを摂取するというニュースが舞い込んできた。それには当然医師の助けが必要であり、バイトで労働すれば1日で10万円〜20万円の給与が出るという。ぼくはワクチンの仕事なんて全くしたことがなかったが、世界中を混乱に貶めているコロナウイルスに脅威から祖国の日本が抜け出す手助けをできればと思い、またワクチン業務に従事すればきっとワクチンをすぐにでも打ってくれるだろうと目論み、ワクチン業務に参加してみることにした。
・新型コロナワクチン業務と旅する炎の親和性
すると自分でも意外なことにワクチン業務が楽しすぎてハマってしまい、ぼくは毎日ワクチンバイトの予定を入れてしまうほどに気に入ってしまった。医師としてのワクチンの仕事はぼくの心に宿っている旅する炎と高い親和性があったのだ。
医師免許さえあれば、当然のことながら医者はどこの地方であってもワクチン業務に携わることができる。ぼくは最初は実家のある関西地方を中心にワクチン接種していたが、次第に関西のワクチンバイトの案件の数が少なく、しかも給料が安いということに気がつき始めた。それに比べて東京を中心とする関東地方では高額の案件が大量に並んでいたのだった。これだったら関西を抜け出して関東で労働した方が、移動費や宿泊費を差し引いたとしても効率的に稼げるかもしれない。
そんな計算から関西を抜け出し、東京を含む関東で働き始め、さらには群馬県や、広島県や、最終的には北海道の釧路まで旅立ちワクチンバイトをしてきた。もはやワクチンバイトをしているのか、旅をしているのかわからなくなる始末である。
ぼくは医師という職業は、旅という現象と絡めづらいと思っていた。しかし自分の職業と、自分の中で燃え盛る旅する炎をどうにかしてうまく組み合わせることはできないかと思案し、初期研修医の際には沖縄本島、宮古島、与那国島などで医師として働き、何とか医師としての労働と旅する炎を繋ぎ合わせようと努力していた。
しかし気がついてみれば「ワクチンバイト」というのはその最も的確な答えのひとつだった。ワクチンバイトさえしていれば、ぼくは医師という自分の職業と内に隠された旅する炎のふたつをうまく両立させながら、旅するように労働する人生を送ることができる。悔やむべきはワクチンバイトが永遠に続く職業ではなく、新型コロナウイルスが世界中の脅威となっている今の時代限定の業務になる可能性が高いという点である。しかしうまくワクチンバイトという労働を見出し、今という瞬間限定でもそれを心から楽しめているというのは尊い経験だし、決して無駄にはならないだろう。
・ワクチンバイトは極めて不安定な職業
ワクチンバイトというのは、とても不安定な職業だ。なぜならひとところに留まることなく、今日はこっちの会場だとか明日はあっちの会場だとか、日によって全く状況が異なってくるからだ。会場によって仕組みも違うし、接種のやり方も違うし、人も違うし、そのひとつひとつにうまく適応しながらこなしていくより他はない。ぼくは今、ワクチンバイトという極めて慌ただしく、そして不安定な日々を送っている。今日は大阪で夕方まで労働して、夜には新幹線に乗り込み、次の朝から東京で労働するなんて日常茶飯事だ。
世間の中に流布されている「安定した職業を持って安定した暮らしをすることこそが人間の幸福につながる」という一般論が本当ならば、ぼくはまさにその真逆の、極めて不幸な人生を送っているということになる。しかしぼく自身の実感としては、それは大きな間違いだ。ぼくにとっては、安定していた病院勤めの昔の医者生活の方がむしろ物足りなく、今のように不安定に毎日毎日が目まぐるしく移り変わるような変化の激しい労働スタイルの方が新鮮でスリルがあって非常にやりがいを感じられて幸せだ。
普通は職場や、労働の仕組みや、一緒に働く人々が毎日変わってしまったら、それだけで適応するのに精一杯になり、大きなストレスを抱え込んでしまうに違いない。きっと普通の人ならば、毎日安定した同じ職場に身を置き、同じ人々と仲を深め、同じようなスタイルで労働したいと願うだろう。しかしぼくはそうではなかった。ぼくは毎日毎日が異なること、違っていること、激しく変化してしまうことがたまらなく面白いし、好きなのだ。そして順次それに適応し、楽しむことができる。
・世界一周の旅で培われた能力がワクチンバイトで悉く役立った
それはきっとぼくが「旅人」だからなのかもしれない。世界を巡っている旅人は、毎日目に映るものが新しい世界の連続だ。新しい国々、新しい文化、新しい人々の織りなす万華鏡のように変化に富んだ世界を毎日のように眺め続け、いちいちそれに溶け込みながら自分の存在を保ち続けなければならない。旅とは、自分自身とは何者かを問い続けるための一種の修行だ。その時に培った適応能力が、激動のワクチンバイトでは非常によく役立っている。旅とワクチンバイトというのは、毎日が新鮮で不安定で何が起こるかわからないという点において、非常に似通った性質を持っているのかもしれない。
また世界の旅では、交通手段や宿泊施設を的確かつ迅速に決定する能力も必要だ。バスで行くか電車で行くか飛行機で行くか、目的地に辿り着きやすいホテルはどこに予約すればいいか、安くてコスパのいい宿はどのようにして見つけ出せばいいのか、それら全ての決定は自分自身で行わなけばならないし、快適な旅を続けていく上で非常に重要な要素となってくる。このような能力も世界を旅していると自然と次第に身についてくるものであり、世界一周で育てられたその判断力が、このワクチンバイトでも発揮されている。
また世界中を旅することで発達した言語能力も、ワクチンバイトの問診をする際に極めて有効だった。例えば日本語を喋れない人がいれば英語で医学的な問診を行わなければならないし、日本語も英語もできない中国人は中国語で対応しなければならない。世界を旅していると英語で外国人に語りかける度胸は当然のように身についているものだし(それくらいの度胸がなければ何もできずに死んでしまう)、ぼくは中国横断の旅もしてきたので英語が全く通じない中国という国では、基本的な中国語を覚えることも自然な成り行きだった。旅によって成長した言語能力が、今度は祖国で自らの労働を助けることになるとは、なんと尊い運命だろうか。
旅とワクチンバイトはつながり合い、旅と医師の労働はつながり合い、何ひとつ無駄なものはなく全ての森羅万象は支え合いながら関わり合い、お互いを磨き上げ成長させていく。
・不安定な縄文的生活と労働観こそが、ぼくを幸せへと導いてくれた
ワクチンバイトを通して、ぼくは毎日が新しく、不安的な生活が好きだし、それを幸せだと感じる人間性なのだということを発見した。逆に世間一般でよく言われている安定した職業に就き安定した生活を送るという幸福は、ぼくには全く当てはまらないことを知ったのだった。
やっぱりぼくは縄文的な感性の持ち主なのだろうと、その結論から連想して感じられた。縄文人というのは、狩猟採取をしながら生活を成り立たせていたらしい。最近の研究では稲作も行なっていたと言われるが、一般的には未だに弥生人(大陸からの渡来人)が稲作をもたらし、定住しながら安定した生活を始めたのだと信じられている。
弥生人は移動することなく同じ場所に住み続け、田んぼで稲作を行いながら毎年安定した食糧を確保して、安定した生活を享受していた一方、縄文人はそれに比べてはるかに不安定だったのではないだろうか。明日魚がちゃんと釣れるかわからないし、明日木の実やキノコが山で見つかるかも定かではない、明日ウサギに巡り会えて狩りができるかなんて全くわからないという不安と心配の中を、縄文人は過ごしていたのではないだろうか。全ては運次第、神様の思し召し、天任せなのだ。
しかしだからと言って弥生人の方が優れていて、縄文人が可哀想だとは決して思わない。むしろその逆で、ぼくは縄文人の不安定な生活にこそ魅力を感じてしまうのだ。縄文人の生活は確かに運任せで、不安に感じられてしまうかもしれないが、明日の生活が確約されていない分、ものすごい魚を釣り上げた時や、でっかいマンモスに出会って狩りに成功し肉をゲットした時や、気候がよくて大量のマツタケを発見した時などは、その喜びもより一層かなり巨大な感動として感受されるのではないだろうか。ぼくはその、不安定な生活だからこそもたらされる巨大な感動に、とても心が共鳴するのだ。
・中島みゆき「齢寿天任せ」
めでたさも 悲しさも
手に負えぬ天任せ
行く方も 来し方も
齢寿天任せ
・いいワクチンバイトの案件をゲットした幸福感は、きっと原始人の幸福感と同じだ
病院に勤めていれば、毎日安定した労働が供給される。それに対してワクチンバイトは、明日案件があるかどうかも定かではない。何もかもが自分次第、そして運次第だ。いい案件が出ていたらインターネットのサイトで目にも止まらぬ速さですぐにゲットしなければならない。もたもたしていると好条件の案件は他の人に取られてすぐに消えてしまうからだ。まさに不安定な世界、約束されていない世界だ。
しかしだからこそ、全てが自分の能力次第、運次第だからこそ、いい案件に巡り合い、そしてそれをすかさずゲットできた時の喜びはひとしおだ。きっとこの喜びは、原始人が特別大きなマンモスを狩るのに成功した時の心の高揚感に似ているのだろう。不安定だからこそ、巡り会えるかわからないからこそ、手に入れた時の幸福感は筆舌に尽くし難いものがある。そしてその幸福は、安定した状態の中で自動的な供給が常に約束されたぬるま湯のような世界からは決して見えない種類の輝きなのだろう。