声優さんってすごい!!!!!
風間くんとシロが同じ声優だというのは本当か?
・異なるキャラクターが同じ声優だという気づき
・風間くんとシロが同じ声優だというのは本当か?
・みさえとみぎわさん、マサオくんとまる子のお母さん
・あらゆる境界を超越し、所属から解脱した自由な声の世界
目次
・異なるキャラクターが同じ声優だという気づき
複数のアニメを見ていると、このキャラクターとこのキャラクターの声が同じ感じがするとか、同じ声優さんなんだろうなぁということに気がつく。そんな例は無数にあるが、例えばクレヨンしんちゃんのおケイおばさんと、コナンくんの声と、魔女の宅急便のキキと、忍たま乱太郎の声は同じなんだろうなぁというのはすぐにわかるし、気がつく。声が特徴的ではっきりしているから、別に気づきたくなくても気づいてしまうのだ。
しかし中には同じ声優さんの声だとクレジット表記されていても、本当なの?全然わからなくない?というような出来事も発生する。同じ声の人だと言われても全然わからないようなときに初めて、声優さんってすごいなぁと感心してしまう。
・風間くんとシロが同じ声優だというのは本当か?
例えばぼくがどんなに聞いても同じ声優さんだとわからないのは、クレヨンしんちゃんの友達の風間くんと、しんのすけが飼っているペットのシロの声が同じだということだ。これって聞いただけでわかる人いるのかな?!どちらも真柴摩利(ましばまり)さんという人が声を吹き込んでいるという。
同じクレヨンしんちゃんというアニメの中なのに、こんなにも同じ声だとわからないなんてすごすぎる!しかも風間くんといえばかすかべ防衛隊の中の役割としてはしばしばツッコミ役となり、しんのすけにやたらと怒ったりツッコんだりして会話の量も会話に込められるエネルギーも他の友達(ネネちゃんやマサオくんやボーちゃん)に比べて格段に多い印象だったが、それに加えてシロの声も担当しているなんてかなりの労力を費やしそうだ。ほとんど喋られないボーちゃんと、よく喋ってしかもシロの声までやっている人の給料って、果たして同じ額なのだろうか、少し気になる。
風間くんの声とシロの声が全く同じ人に聞こえないのは、風間くんが人間でシロは犬の単なる鳴き声だからだろうか。しかしシロは意外と映画の中ではよく喋ったりしている。クレヨンしんちゃん最初の映画である「アクション仮面VSハイグレ魔王」では北春日部博士の発明品であるヘルメットをかぶったときにだけ喋っているし、「雲黒斎の野望」では映画全編に渡ってシロがしんのすけ達と会話している。シロが喋っている声は鳴き声と似ていて高くて繊細な声だが、この声でも風間くんと同じ声だとは全く気づかなかった。
・みさえとみぎわさん、マサオくんとまる子のお母さん
この他にもこれって本当に同じ声なの?と不思議に思ってしまうことがしばしばある。例えばクレヨンしんちゃんのみさえの声と、ちびまる子ちゃんのクラスメートのみぎわさんの声が同じだなんて全然気づかない!しっかり喋ればみさえのような声質になり、気持ち悪くクネクネ喋ればみぎわさんのような声質になるのだろうか。
クレヨンしんちゃんのマサオくんと、ちびまる子ちゃんのお母さんが同じ声だというのも衝撃だった!ぼくはマサオくんは男の子、まる子のお母さんはおばさんだと思って見ていたので、まさか男の子とおばさんを同じ声の人がやっているなんて思いもよらなかったのだ!
・あらゆる境界を超越し、所属から解脱した自由な声の世界
そう考えてみれば声優というのは不思議な職業である。人間は普通男として生まれたら男としてしか生きられないし、おばさんになったらおばさんとして生きて行くしかない。しかし声優さんならば、風間くんとシロのように、人間にもなれるし動物にもなれるし、マサオくんとまる子のお母さんのように、少年になったりおばさんになったりできるのだ。ぼくはこれにとても超越というものを感じる。
人間と動物の境界線を超越する、男と女の性別を超越する、子供と大人の年齢を超越するその感覚は、普通にこの世を生きているだけでは得られない感覚だろう。その観点から言ってぼくは声優というものに何か神聖なものを感じる。
自由に人間や動物になったり、男と女を思いのまま行き来したり、簡単に子供にも大人にもなれる自分を、ぼくたちは想像したことがなかっただろうか。何にも所属することなく、縛られることなく超越して生きる日々を、夢見たことがなかっただろうか。ぼくたちはこの世を生きていれば、望まなくとも常に所属へと帰着させられ、その所属における役割を否が応でも押し付けられる。人間に所属しているのだから人間らしくふるまうべきだ、男に所属しているのだから男らしくあるべきだ、大人に所属しているのだから子供らしい行いは避けるべきだと、勝手に決めつけられ押し付けられながら、窮屈な人生を歩むことしかできなくなる。だけどそんな植え付けや恐れなんて、本当は要らない。ぼくたちはあらゆる所属を投げ捨て、いっそ超越した存在を保つべきではないだろうか。
人間でも動物でもある自分、男でも女でもある自分、子供でも大人でもある自分、そんな境界線を超越した自分を誰もが夢見ている。アニメの声を聞いていると、この世で無理矢理に所属させられることを諦めない感覚、本来人が持っている自由に超越した感性を、ぼくの中によみがえらせてくれる。
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