失恋が辛く憂鬱なものであるというのは本当か? 〜中島みゆきの暗さと谷山浩子の透明さ〜

 

追いかけれ焦がれて泣き狂う。

失恋が辛く憂鬱なものであるというのは本当か? 〜中島みゆきの暗さと谷山浩子の透明さ〜

・昔の中島みゆきは失恋歌の女王
・中島みゆき「元気ですか」の暗い女の電話音声
・中島みゆき「怜子」の失恋のつらさから放たれる絶唱
・中島みゆき初のオリコン1位「わかれうた」
・失恋とは暗く重々しいものだと理解した幼少時代
・谷山浩子のあまりに美しい「冷たい水の中をきみと歩いていく」

・昔の中島みゆきは失恋歌の女王

中島みゆきはその昔、失恋歌の女王として暗い歌ばっかり歌っていたそうだ。今となっては世間的にはなんだか力強い応援歌の歌人のようなイメージになっているが、昔から彼女の歌を知っている人々からすれば、中島みゆきといえば「暗い失恋歌を歌う女」というイメージなのだろう。

たしかに彼女の70年代〜80年代の歌を聞き返してみれば、彼女が暗く悲しい失恋の女王と呼ばれていたというのもかなり納得いくほどの、女性的に湿度の高い失恋歌たちが並んでいる。

 

 

・中島みゆき「元気ですか」の暗い女の電話音声

中島みゆきの4枚目のオリジナルアルバム「愛していると云ってくれ」を聞き始めれば、最初から度肝を抜かれることになる。なんと「愛していると云ってくれ」の1曲目「元気ですか」は歌ではないのだ。ただただ女が電話に向かって喋っているだけの音声なのだが、その状況が実に生々しい。なんと好きな男と一緒にいる女に電話して、好きな男のことについてそれとなく探りを入れているという内容だ。ボソボソと好きな男の彼女に対して好きな男のことをさりげなく聞き続ける女の音声、想像しただけでも閉めっぽい女の情念が伝わって来ないだろうか。

「遠回しに探りを入れてる私、皮肉のつもり、嫌がらせのつもり」

「嫌な私、あいつに嫌われるの、当たり前」

「わかってるのよ私…わかってるのよ私…本当は…そこにいるあいつを電話に出してって言いたいのよ」

そして散々探りを入れた後には、自分が今夜泣くだろうことを闇の中に語るようにボソボソと暗く繰り返す。

「付き合ってくれてありがとう、でも今夜は私、泣くと思います」

「羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、今夜は…泣くと…思います…」

 

・中島みゆき「怜子」の失恋のつらさから放たれる絶唱

この後がまた凄まじい。どう考えても上の「元気ですか」の続編としか考えられないような歌「怜子」が、このアルバムの2曲目だ。1曲目の「元気ですか」と2曲目の「怜子」にはほとんど曲間のギャップ時間がなく、そのまま曲から曲へと移行していく。

1曲目「元気ですか」がボソボソと暗く湿っぽかったのに対し、いきなり時間を空けずに「れ〜〜〜〜い〜〜こ〜〜〜〜〜〜いい女になったね〜〜〜〜〜」と泣き声のような絶唱が始まるのだ!1曲目で溜めに溜め込んだ失恋のエネルギーが2曲目で極地に達し世界に向けて噴出していると言っても過言ではない。もはや失恋の歌詞がどうとか言う前に、このエネルギーにあふれた絶唱の情念にその場に立ち尽くすしかないといった心境である。

 

 

・中島みゆき初のオリコン1位「わかれうた」

その後に続く3曲目は、中島みゆき初のオリコンチャート1位となったシングル「わかれうた」だ。こんな女の情念あふれる失恋歌で初のオリコン1位を取っただなんて、なんと中島みゆきらしいことだろう。

“恋の終わりはいつもいつも
立ち去るものだけが美しい
残されて戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて泣き狂う”

泣き狂って男にしがみつき離さない女の情景がまさに目に浮かぶようだ。

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・失恋とは暗く重々しいものだと理解した幼少時代

お母さんが中島みゆきの歌を好きで、このような湿っぽく暗い失恋歌ばかりを聞いて幼少時代を過ごしてきたものだから、ぼくは小さい頃から失恋というのはこんなに重くてエネルギーを使うつらいものなのだな〜とまだ味わったこともない失恋の気配に思いを馳せていた。

まぁ「恋を失う」と書くくらいだし、失恋が楽しいものではないだろうことくらいは子供でもなんとなく想像できたし、2人の愛し合っていた人間が別れるというのだから、それなりの理由や経緯があって心がかき乱されつらく苦しい日々が待っているというようなことも予感できた。そのような想像に加えて、中島みゆきの具体的な女の情念の失恋の気配がぼくを包み込み、失恋というものはいつもこのように暗く重々しく表現されるべきなのだと思い込んでいたのだ。

中島みゆきに限らずとも、失恋というものは多少なりとも悲しく切なく描かれるのが普通であり、失恋を楽しくとか明るく描くということはなかなか奇妙さを伴うことになるだろう。

 

 

・谷山浩子のあまりに美しい「冷たい水の中をきみと歩いていく」

しかしぼくは最近になって谷山浩子の歌を聞き始めると、なんとも美しく光にあふれた失恋の歌を彼女の歌の中に見つけることができてとても感動した。失恋というものは、暗く陰湿に描かれるのが常だと思っていたのに、こんなにも清らかに、透明に、澄んだような世界観で失恋というものを描くことができるのかと驚きを抑えることができなかった。そしてぼくの恋愛感や失恋感も、このような谷山浩子の透明感に強く共鳴するものだった。

それは谷山浩子の「冷たい水の中をきみと歩いていく」という歌だった。こんなにも美しい歌詞とメロディーの失恋の歌があるなんて驚きだし、もっと言ってしまえばその透明感の先にそこはかとない死さえ匂わせる力のある名曲である。

“実らずに終わった恋は
夏ごとに透き通る
実らずに終わった恋は
怖いほど透き通る”

“あんまりそれが綺麗なので
ぼくの命も奪っていく
あんまりそれが綺麗なので
誰にも言葉は通じない”

“あんまり静かに輝くので
ぼくの体は壊れていく
あんまり静かに輝くので
音楽ももう聞こえない”

「失恋」というひとつの概念にとっても、多くの表現方法があり、それが様々な才能によって導き出され、このように多様性を生み出しているということに、日本の音楽の素晴らしさを感じてしまうのだった。

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