お〜心の友よ!!!
「心の友」はジャイアンの言葉だというのは本当か? 〜歌謡曲はアジアの情緒〜
・地獄のように大変だったイジェン火山の登山
・インドネシア人からの「心の友」に関する質問
・インドネシア人が急に歌い出した完璧な日本語の歌詞
・五輪真弓「心の友」はインドネシアの大ヒットソングだった
・アジアを広く貫く歌謡曲の情緒
・いつも時代も歌謡曲はアジアの心の中に
目次
・地獄のように大変だったイジェン火山の登山
約1年くらい前、ぼくはインドネシアのジャワ島の東部の端、青い溶岩が見られるというイジェン火山を登山していた。このイジェン火山の登山がぼくの人生史上最悪につらくて、本当に地獄をさまよい歩いているみたいだった。
というのもイジェン火山は火山であるがゆえにその周辺が硫黄の匂いが立ち込めており、本当に日本の温泉地によくある「地獄」の雰囲気そのままだったのだ。しかもこの青い溶岩は深夜のまっ暗な時間帯にしか見えないということで、なんと夜中1時に宿を出発して登山を開始したので、眠いやら寒いやら暗いやらで本当にもう大変だった。
さらに追い討ちをかけるように、イジェン火山の硫黄ガスは人の肺にとって毒性があるというから、途中から歩く際にはガスマスクの装着が必須となった。ただでさえ急峻な坂道を登ったり降りたりして大変な思いをしている時に、呼吸がしにくいガスマスクをつけろと言われたのだからたまらない。
ぼくは宿の人々とグループで行動し登山していたのだが、本当に歩くのに精一杯だったのでなるべく体力を消耗しないために、無言で会話もせずに歩き続けていた。実際に地獄のような登山の最中に、そんな余裕はなかったのだ。
・インドネシア人からの「心の友」に関する質問
しかしインドネシア人のガイドさんはいつも登山しているからか余裕があるらしく、やたらと気を使ってかぼくに話かけてくれた。ぼくは話しかけられたものならば無視するのも悪いと思い、必死に受け答えしていた。
彼は突然“What is the meaning of kokoronotomo?”と英語でぼくに尋ねて来た。彼は「心の友」という日本語を知っていたのだ。なんでそんな言葉を知っているのだろうととても不思議に思った。ぼくの中で「心の友」といえばジャイアンである。ドラえもんのアニメに登場するジャイアン以外に「お〜心の友よ!」と叫ぶ人を現実でもアニメ内でも見たことがない。
ぼくはインドネシア人のガイドに「それは親友という意味だ。しかしあまり日常では使われない言葉だ。ドラえもん知ってる?じゃあのび太知ってる?ジャイアンって知ってる?そうそうあのデカいやつ!彼しか心の友っていう言葉は使わないんだよ!心の友っていうのはジャイアンの言葉だ!」と正しいのか間違っているのか自分でもよくわからないことを、英語で力説した。
ぼくの説明を聞いた後で、なんとインドネシア人の彼は完璧な日本語で歌を歌い出したのだった!
・インドネシア人が急に歌い出した完璧な日本語の歌詞
“あなた〜から くるし〜みを
奪えたそ〜のとき〜 わたし〜にも生きて〜いく
勇気が〜わ〜いてくる〜〜〜”
なんて上手な日本語だろう!もちろん彼はインドネシア人なので日本語は喋れない。ぼくたちとも英語で会話していた。それなのにどうしてこんなにも上手に日本語の歌を歌えるのだろう。しかもこの歌と彼の言う「心の友」になんの関係があるのだろう。
ぼくは彼に色々と質問したかったが急な坂道と疲弊にそれどころではなかったので、その場では彼の上手すぎる日本語の歌を賞賛するに留まった。
・五輪真弓「心の友」はインドネシアの大ヒットソングだった
しかし後で調べてみると、その歌は五輪真弓という人の「心の友」という歌だということがわかったのだ!しかもこの歌は日本語の歌であるにもかかわらず、ラジオで流れるや否やインドネシア内で大ヒットとなり、歌えないインドネシア人などいないというほどに誰もが知っている歌だというのだ!
なにーーー!!!そんなこと全然知らなかった!ぼくは自分がインドネシア人よりも日本のことを知らないことに気づかされた。「心の友」とはジャイアンの言葉ではなく、五輪真弓の歌だったのだ!
しかし昔のことすぎて時系列がよくわからない。五輪真弓の歌「心の友」を真似て、ジャイアンが「お〜心の友よ!」といつも叫んでいるのか、ジャイアンの方が先に「心の友」という言葉を発明し、それを五輪真弓が参考にして歌ったのか、どっちが先なのだろうか。
調べてみてもおもしろそうかもしれないが、あまりに人生の役に立たなさそうな事項なので未だ調べきれずにいる。
・アジアを広く貫く歌謡曲の情緒
しかしこれは感動的な事実ではないだろうか。五輪真弓の「心の友」という日本でもあまり有名でない歌が(有名なのかな?ぼくは知らなかったけど)、はるか彼方の東南アジアのインドネシアという国で、すべての日本語を覚えられながら大切に歌い継がれているなんて、ぼくにはそれが信じられないくらい尊いことのように思えた。
インドネシアを旅していると、バスの中だろうが食堂だろうがやたらと音楽が流れている。どれもアジアの哀愁を感じさせる歌謡曲のような音階だ。ぼくたちのアジアを貫いているのは、歌謡曲という情緒ではないだろうか。
アジアを旅して昔ながらの歌謡曲に触れると心が安らかになる思いがする。日本は島国で歴史的にも他国との交流は相対的に乏しかったがゆえに、なんだか隣国やアジアの国々でさえもものすごく遠くのよその人だと感じ取ってしまうが、それでもぼくはアジアを貫いて流れている精神の流れのようなものを、歌謡曲の懐かしい音階の中に感じ取ることができる。
中華料理屋さんで流れてくるメロディーも、台湾のバスの中に広がる音楽も、そしてインドネシアで触れた趣深い歌声も、すべてのアジアの情緒の根はひとつのように思われてならない。ぼくたちはひとつのアジアとしてもう一度自らの置かれた風土を確かめるために、歌謡曲へと立ち帰るべきではあるまいか。
・いつも時代も歌謡曲はアジアの心の中に
アジアは長らく白人によって支配され富を搾取され続けてきた。第二次世界大戦を契機にアジアが白人の手からやっと解放されても、今なお力が強く金銭的に豊かである白人に対する憧れやコンプレックスをまったく拭い去れていない。
白人的なものはアジア的なものより優れていて、白人的なものこそ辿り着くべき目的地なのだという潜在的な植え付けから、ぼくたちはまだ解放されてはいない。けれどどんなに土地を支配されても、どんなに富を搾取されても、アジア人の繊細で豊かな情緒を彼らは奪い去ることができなかった。
ぼくたちは貫かれたアジアの情緒を誇らしく思いながら、アジアの風土の中を生き抜いていくべきではないだろうか。アジアという美しい風土の中で生まれ育まれてきたこの美しい生命に慈しみを抱き、アジアの雨や風に安らかに身も心も任せてみたい。白人的ではない、砂漠的でもない、緑豊かで柔らかな湿潤の風土の中を生き抜いてきた魂たちに静かに耳を傾ける時ではないか。
今でも五輪真弓の「心の友」の時代のように、日本人はアジアを貫く素晴らしい曲を書き続けているのだろうか。中島みゆきの「ルージュ」のアジア版である「容易傷心的女人」のようにアジア的な音階でアジア全体の人々を魅了し続けているだろうか。
もしそれができるのだとしたらそれは白人の猿真似のような音楽ではなく、今の時代においてもどのような時代においてもアジアを貫くものは、歌謡曲的な音階の情緒だろう。白人的に真似した音楽がひととき流行を極めていたとしても、かつてアジアを貫いた音楽がそうであったように、人々の心に深く染み渡り時代を超えても残り続けることはないだろう。異国の言葉なのに誰もが大切に思い、空で歌えるという「心の友」のように。