節約することはケチケチ生活を営むことだというのは本当か? 〜大量消費社会からの脱脚〜

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ぼくが節約に心惹かれる理由とは?

節約することはケチケチ生活を営むことだというのは本当か? 〜大量消費社会からの脱脚〜

・世界一周するために節約しよう
・自分にとって本当に必要なもの
・節約することはケチになることだというのは本当か?
・愚かな大量消費社会からの解脱

・世界一周するために節約しよう

世界一周の旅をしたいと思い立ったところで、その願いはお金を貯めなければ実現できない。世界一周旅行のためには、その人の旅のスタイルや期間によって上下するものの、ざっくり言ってだいたい200万円ほどあれば実現可能なようだ。

よし!じゃあ200万円貯めよう、ということでぼくの節約の日々が始まった。節約と言っても過度に節約しすぎると日常生活が楽しくなくなってしまってはいけないと思い、自分が無理しない程度に、ほどほどに節約生活を営んでいた。

世界を旅したいという奥底に燃えるような具体的な願いがあれば、節約生活を送るのは決して苦ではなかった。ぽかーんとなんとなく、将来や老後に対する漠然とした不安のために貯金するよりもよっぽど有意義な節約だったのではないだろうか。

 

 

・自分にとって本当に必要なもの

節約しようと心がけてからというもの、買い物をする際には常にそれが本当に必要なのか考える癖がついた。しかし自分の趣味や好きなことをとことん削っていたかというとそうでもない。ぼくは服や旅行が好きだったので、たまにそれらにお金を支払うことは自分にとっては無駄遣いではなく“必要なこと”だった。困ったことにぼくは高い服を好んでしまう傾向があるが、たとえ50000円の服を買ったとしてもそれは自分にとってはなくてはならないものだと感じていたのだ。

本当に必要なものというのは、それぞれ人によって違う。節約は、自分がどのようなものを心から求めているのかを知る、自分の鏡のような存在であるのかもしれない。

 

 

・節約することはケチになることだというのは本当か?

節約するといえばなんとなくケチに生活するというイメージがあるが、有意義に節約するというのはそうではない。自分にとって、目の前にあるものが本当に必要か必要ではないのかを見極める目を養うためのまたとない機会となるのだ。

この消費社会の中では、民衆に無駄に浪費させようと企む心たちが渦巻いている。文明とは“消費する”という意味だ。よりいっそう多くのお金を得たい権力者たちは、広告や宣伝を使って消費者の気持ちを煽り、人々がせっかく努力して蓄えた尊いお金たちを、さほど意味のないものに垂れ流すように仕向けてくる。物事をきちんと考えない賢明ではない人々ほど、広告や宣伝の力にされるがままに飲み込まれ、哀れな消費は遂げられ、自分の生命にとって必要のないものたちに囲まれた虚無の心と貧しい生活へと追い込まれていく。

 

 

・愚かな大量消費社会からの解脱

節約しようと気をつける生活は、本当にそれが自分の生命にとって必要なのかと問いかける心を発動させるのに役立つ。目の前にある物質、目の前にあるサービス、目の前にある人間関係、本当にそれが、自分の心の奥底から欲しいと願っているものであるのか、そうでないかを見極めることによって適切な取捨選択は保たれる。自分の生命が本当に必要だと願うものは受け取り、生命にとって不必要なまやかしや偽物を自分の生活から排除することによって、より豊かで真実に近い生活が得られる。

節約とは、貧しい気持ちへと導かれるケチケチした生活のことでなく、この大量消費社会に巻き込まれてしまいそうになる自分の心を洗い流し、自分という生命がどのように生きていくかを見極めせてくれる真理への道である。

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