Coccoが逃走した伝説のMステをトークから歌まで徹底解説!Coccoは「焼け野が原」歌唱後走り去ったというのは本当か?

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Coccoが逃走した伝説のMステをトークから歌まで徹底解説!Coccoは「焼け野が原」歌唱後走り去ったというのは本当か?

・Coccoが逃走した活動休止前のMステはもはや伝説
・Coccoが逃走したMステの回のトーク内容を徹底公開
・伝説のCoccoの「焼け野が原」のパフォーマンスとその後の逃走を徹底解説
・Coccoに導かれ、ぼくは沖縄へと移住した

・Coccoが逃走した活動休止前のMステはもはや伝説

ミュージックステーション(Mステ)は長い歴史を持つ音楽番組なので様々な名場面をこれまでに残しているが、その中でも最も衝撃的で司会のタモリさんも非常に印象に残っていると語るのは、沖縄出身の女性歌手Coccoが活動休止前の最後のテレビ出演としてMステに出演し、「焼け野が原」歌唱終了後にそのまま逃げるように走り去って帰ってこなかったという伝説のシーンだ。

ぼくもたまたまその時Mステを見ていて、当時はCoccoという人なんて全然知らなかったのだが、その沖縄訛りの独特な喋り方とまるで神様が取り憑いたような「焼け野が原」の圧倒的な歌唱力とパフォーマンスに衝撃を受け、加えて歌い終わってからどこかへ走り去っていなくなるという奇異で不思議な行動はさらに衝撃的だった。あれはMステ史上最大の大事件でもはや伝説ではないだろうか。

かつてロシア人アーティストのt.A.T.uがMステをドタキャンしたという大きな事件もあったが、あれは歌さえ歌わなかったので歌番組の歴史としてもアーティストとしても全く価値のない事件である。しかしCoccoは不思議すぎるトークをし、活動休止前の思いをタモリさんに語り、さらに見事なパフォーマンスを見せ、その上で逃走していなくなってしまったのだからアーティストとしての役割を全うしたという点で評価されるべき大事件と言うべきだろう。

Coccoが歌唱後に走り去っていなくなる伝説のMステの動画はインターネット上でも見つけにくいようだ。ぼくはその動画を持っているので、そのCoccoの伝説の回についての詳細をここに記載しようと思う。

 

 

・Coccoが逃走したMステの回のトーク内容を徹底公開

Coccoが逃走した伝説のMステは、Coccoが活動休止する前の2001年4月20日の放送だった。Coccoのトークは沖縄訛り全開で面白く、活動休止前ということもあってタモリさんとのトークもかなり長めだった。ここにそのトーク内容を記載する。

タモリ「またなんで活動を中止しようと思ったの?」

Cocco「えっと、もう東京の生活にもだいぶ馴染んでから、訛りもだいぶとれたし…」

タモリ「いやそれはまた難しい問題だけど(笑)」

Cocco「海も汚れて来たからゴミも拾わんといけんし」

タモリ「あー全国的にねー」

Cocco「あ、沖縄のとか! あと、テレビ出るのとかよ、好きじゃない」

タモリ「テレビ好きじゃない?!困ったねーそりゃねー。あらーじゃあ歌が嫌いになったわけじゃない?」

Cocco(頷く)

タモリ「じゃあテレビ出なきゃいいんじゃないの?」

Cocco「出さされる〜〜〜!」

タモリ「出さされるの!(笑)じゃあしょうがないねー。じゃあテレビ出なければ歌はやってもいい?」

Cocco(じっと考える)

タモリ「あ、そういう問題でもないんだ。他にやってみたいことがあるんだ?何をやってみたい?」

Cocco「絵本を描こうと思って」

タモリ「絵本っていうくらいだから、物語と絵が一緒になったやつをやってみたい?」

Cocco(頷く)

タモリ「はーじゃあ絵本作家になるんだ?」

Cocco「はい?」

タモリ「はい?(笑)なんか合いの手入れてるみたいだ、はーーーって歌いたくなる(笑)

これまでミュージックステーションに出たのは4回か!嫌なテレビに出てもらって、思い出に残ったことはありますか?」

Cocco「えっと、テレビ出るのがあんまり好きじゃないだから、嫌がってたわけよ!そしたら番組のスタッフが食べたいお弁当屋さんがあって、そのお弁当を楽屋にとってくれてそれを食べたのは楽しい思い出です。」

タモリ「なるほど(笑)それは何弁当ですか?」

Cocco「なんかよ、ハンバーグとかよ」

タモリ「今日その弁当あったよね?」

Cocco「あったー!!!(笑)」

タモリ「これかと思って俺も食べた。ハンバーグ弁当ね、上にあの目玉が乗っててね」

Cocco「チーズも乗ってて…」

タモリ「あれがあるからちょっとテレビ出られたような感じがある?」

Cocco(頷く)

タモリ「でも今度はあれがあってもやっぱもう出たくない?どうしてテレビ嫌なの?」

Cocco「こんなに全国に流れるのとか恥ずかしいしよーあんまり喋るのとか嫌だ!」

タモリ「全国に流れるのがあんま嫌?じゃあ今度は伊豆有線テレビかなんかどうだろう(笑)喋るの面白いじゃん!喋るの面白いよ!」

Cocco「でもいとことかがよー、なんかよー、お前の親戚バカとか言われるからあんま出ないでほしいっって」

タモリ「あーそんなこと言うの?じゃあまたやりたくなったらねーまたテレビ出たらいい。一回やめたら、面白いかもしれないよ!また出たいと思うかもしれないからね、そん時はまた復帰すればいいと」

 

 

・伝説のCoccoの「焼け野が原」のパフォーマンスとその後の逃走を徹底解説

 

この不思議で珍妙なトークの後、Coccoは活動休止前の最後のシングル「焼け野が原」を熱唱し、神がかったような見事なパフォーマンスを見せた。

 

見事に歌いきった後、Coccoはバレリーナのように美しいお辞儀をして、少し涙ぐみながら「God bless you…」と呟き、そのままいきなり走り出し、幕の後ろへと退出して二度と戻っては来なかったら。タモリさんはその後の放送で「Coccoはあのまま沖縄に帰ったんだろうね」と語っていた。

 

 

・Coccoに導かれ、ぼくは沖縄へと移住した

この2001年4月20日の放送を見てぼくは大きな衝撃を受けたが、だからと言ってCoccoを聞き始めたりCoccoにハマったということもなく、ただ何かものすごいものを見てしまったなぁという感じで記憶が深く刻まれただけだった。

しかし年月は過ぎぼくが受験生になると、なぜか急にCoccoとSPEEDにハマり、勉強中や電車の中でもよく聞いたりしていた。どちらも沖縄出身のアーティストだ。しかもそのままぼくは沖縄の大学を受験する運びとなり、なんと合格し、10代で単身関西から沖縄に移住することになったのだった。そこからぼくは10年という長い歳月を沖縄で過ごすことになるのだが、今考えてもあれはCoccoとSPEEDに沖縄へといざなわたようにしか感じられなかった。

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しかもこの2001年4月20日の放送を見なければぼくはCoccoというアーティストを認知せず、受験生時代にCoccoハマることもなかっただろうから、このCoccoの伝説のMステはいわばぼくの人生を沖縄へと運んでしまったきっかけだったのだ。そんな風に思うとこの伝説の回は衝撃的だったと同時に感慨深いものとなるのだった。

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