人間の世界が国際的でグローバルとなり均一化されるべきだというのは本当か?

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異なる者が共存するからこそ、世界は美しい。

人間の世界が国際的でグローバルとなり均一化されるべきだというのは本当か?

・人間や世界が国際的であるべきだというのは本当か?
・国際化は世界の均一化を促進する
・国際的ではない国ほど美しく素晴らしい
・それぞれに独自の文化を持った差のある世界は魅力的な万華鏡
・男女差別をしてはいけないというのは本当か?
・中島みゆき自身が名曲「糸」について語ったこと
・差のない均一化された世界なんて美しくない

・人間や世界が国際的であるべきだというのは本当か?

現代のインターナショナルな社会を生き抜いていくために、ぼくたちはよく国際的な人間であるべきだと言われる。特に日本は海に閉ざされた孤立した島国なので、英語が喋れたり外国人の友人がいたり外国を飛び回っているというだけで、国際的な人間だと尊敬されやすくなる。

確かに様々な国の人々と交流し多様な文化を受け入れられる寛容な精神を育むことは成熟した人間として重要な要素だ。しかしぼくたち人間が徐々に国際化していき、その結果として世界が国際化していくということは本当にいいことなのだろうか。

 

 

・国際化は世界の均一化を促進する

ぼくが世界を旅していて「この国は国際的だ」と感じるのは、多種多様な民族が共存している国だ。たくさんの種類の人々が集まっているとその国の共通語が必要なので英語も通じやすく、旅もしやすくなる傾向がある。様々な肌の色、様々な瞳の色、様々な髪の色、様々な宗教、様々な種類の食べ物、様々な文字、様々な言語が飛び交う街を歩いていると、ここは国際的だと感じる。

しかし国際的であればあるほど、多種多様であればあるほど、ひとつひとつの文化の要素が薄れて、均一な風景ができあがる。その国で最も国際的な場所と言えば、大抵の場合首都などの都会だが、都会というものは日本でも韓国でも中国でも東南アジアでもヨーロッパでもアメリカでも、だいたい似たような同じ様相をしているので旅をしていて全然つまらないと感じる。それよりももっと田舎ののどかな場所へいき、その国の濃厚な文化を経験したいと願ってしまう。本当のその国の姿は、人間と物質がただ寄り集まった都会ではなく、ささやかな田舎でこそ垣間見られるものなのだ。多くの旅人はこの意見に賛同するだろう。

人間が国際的になればなるほど、世界が国際的になればなるほど、世界は均一化され同じような様相を呈するようになり、旅をしていても味気なくつまらないものになってしまう。日本で見られるような都会の姿を、わざわざ異国でも見たいと願うだろうか。それよりもその異国にしかない独特なもの、特殊なもの、特別なものを見たいと願ってしまうのは当たり前の感情だろう。

 

・国際的ではない国ほど美しく素晴らしい

確かに国際化を意識し英語教育が行き届いている国というのは旅がしやすくて便利だ。しかしぼくが旅をしていてとても素敵だったと印象に残っているのは、いずれもあまり国際的ではない英語が全く通じない国々である。

例えばそれは中国や、イランや、ロシアなどだ。そこでは英語が通じない分不便なことも確かに多かったが、それ以上に素晴らしい体験をすることができる。言葉が通じない中でもその国の人々がなんとかぼくを助けようと協力してくれ、人々の素朴なあたたかい優しさに触れることができたのだ。英語が通じず、イランやロシアに至っては文字も読めないがなんとか無事に旅を終えることができたのは、その国の人々がいつもぼくに優しい手を差し伸べ続けてくれたからである。しかもその見返りを求めることもしなかった。世界は意外と、慈悲の心で満たされているのだ。そしてあまり国際的ではない分、その国独自の文化が色濃く花開いている印象を受けた。

またそれらの国の中では英語という国際言語が通じない中で、なんとかして相手に思いを伝えたいと努力する自分自身を発見することができる。こちらが言葉も通じないのに伝えようとする、相手も言葉がわからないのにこちらの心を読み取ろうと努力する。その交流に中にこそ、本当の人間のコミュニケーションの真髄が含まれているように思えてならなかった。重要なのは通じ合う言葉を持つことではなく、相手に思いを伝えたいと、また相手の思いを聞き届けたいという心の熱量を持つことではないだろうか。

 

・それぞれに独自の文化を持った差のある世界は魅力的な万華鏡

人々の意識が国際的ではない国では、その国自体の中にその国の文化や風習が濃厚に凝縮されているようなことが多い。そのような国を旅することは心の中の旅情を高め、まさに今世界を旅しているのだと実感することができる。国際的で均一な都会の中ではどこの国においても、このような特別で素晴らしい感情を見出すことはできないだろう。

旅人のぼくの意見は、世界が国際的になり、世界が均一化していくなんてとてもつまらないということだ。世界は国際化され、均一化し、すべてが同じようになり、差がなくなるような方向へと向かっている。しかし世界から差がなくなってしまっては、その土地の本来の独自性が失われ悲しすぎるのではないだろうか。重要なのは差や相違がある多種多様な彩りに満ちた世界の中で、人々がその差や相違を思いやり、認め合い、尊重することだ。差があることで憎しみや争いも生じる可能性があるが、それもまた人の世の本質的な風景だろうと感じる。

 

 

・男女差別をしてはいけないというのは本当か?

人間の世界では今、「差」があることを悪のように見なしている傾向がある。差が生まれればやがてそこに「差別」が生まれ、虐げられる人が出てくるからだ。差をなくすことで、同じにすることで、均一に均すことで、平等で理想的な人間社会が訪れると信じている。しかし人間全体の運命として、差なんて決してなくならないのではないだろうか。なくならないものを受け入れずになくならそうと努力することで精神に歪みが生じ、おかしな幻覚を見るようになってはいないだろうか。

例えば「男女差別」という言葉がある。もはや「男女差別」という言葉が出ただけで「男女差別=悪」と咄嗟に結び付けられてしまうほど、悪のイメージに染め上げられた言葉だ。否応なしに悪と結び付けられることから、思考停止した言葉であるとも言える。しかし男と女という全く別の生き物に、差がないなどと本当に信じ込んでしまっていいのだろうか。

「男女差別」というと女性が男性にたくさん差別されているのだということを主張しているようなイメージだが、はっきり言って男性だってたくさん女性に差別されているのは明白だ。世の中にはメンズデーなしのレディースデーであふれ返っているし、沖縄には男性が入ってはならない広大な聖域があるし、温泉の男湯に従業員の女性が堂々と入ってくることなんかよく考えると意味がわからない。逆だったら大問題に発展しそうな事例を目にしても、男は特に不満も言わずにその差や差別を受け入れて生きている様子が伺える。女性差別の主張ばかりが目立つおかしな世の中で、中島みゆきは「男の仕事」という歌で珍しく男性差別的な視点から歌詞を紡いでいる。本当に男女平等であるならば、このように女性差別だけではなく同じくらいある男性差別も等しく意識されるべきではないだろうか。

汚れ仕事は男の役目 憎まれごとは男の仕事

男と女が違う生き物である以上、男性はある項目では女性を差別し、女性はある項目では男性を差別し、真実はお互いに差別し合っているのだから、総合するとおあいこではないだろうか。男には男の特性があり女には女の特性があり、男には男のいいところがあり女には女のいいところがあり、男には男の悪いところがあり女には女の悪いところがあり、男には男の得意分野があり女には女の得意分野があり、その差は生物としてどうしようもなく出現するもので、その差をうまく織り合わせながら協力してやってきたのが人類の歴史なのではないだろうか。

それなのに「差がないのだ」という偽物の方程式を信じ込むことから導き出された「差別をしない」という幻想の主張を押し通していては、物事は正しい方向へと進まないのではないだろうか。「差別」という言葉も悪のイメージに染められた思考停止の言葉だが、はっきり言って人間として人間社会で生き抜いていく以上、差別はあらゆる心の中にどうしようもなく潜んでいる感情だろう。なぜなら人間の意識はお互いを比較し合い、見上げたり見下したりする相対的観念の上に成り立っているからだ。差を見出すことにより、人間は世界を認識し解釈することができる。

あらゆる出来事が政治へとつながっていくというのは本当か?

こちらがあちらを差別し、あちらもこちらを差別し、お互いがお互いを差別し合い、ある時は差別されて悔しい思いをしたり、ある場面では差別をして思い上がったりしながら、現実の人間社会は進められていく。差を生み出し、差別をすることは、相対的な人間社会において生きる上でどうしようもなく消し難い人間の心の性質だ。どうしようもなく差を発生させてしまう人間社会においては、差別をなくすことではなく、同じ量だけどうしようもなく差別し同じ量だけどうしようもなく差別されることこそが「平等」と呼ばれる概念ではないだろうか。

そして時には差別し、時には差別され、悔しい思いをしたり、思い上がったりしながら、その結果として人の心の中には様々な種類の情緒が生まれる。その情緒を駆使して自分なりの美しい物語を生み出すことこそ、人間としてふさわしい姿ではないだろうか。差や違いによって物事を認識する人間の世界の中で、差別をするなと正しさの檻の中から安全に叫ぶよりもすべきことは、差別されるどうしようもない運命を背負いながら唇を噛み締めて前を向き、悲しみを乗り越えてただ進むこと。どうしようもない運命や悲しみがもたらす心の神聖な炎の声を聞く耳を持たずに、救いは訪れないだろう。

差は人間が人間として生きていく上で消すことのできない備えられた重要な要素だ。その差から様々な情緒や感性が生み出され、人の世を様々な色彩の模様へと彩ってゆく。どれだけ差別され悲しくても、それぞれに差があるからこそ人の世は美しいとぼくの心は信じている。

 

 

・中島みゆき自身が名曲「糸」について語ったこと

中島みゆきはあの有名曲「糸」についてインタビューで次のように語っている。

かたっぽだけじゃ、できることに限界があるっちゃねぇ、っていう歌だわね。男には男の特性が、女には女の特性があって、どっちが上とか、どっちが劣るとかいうことじゃなくてね、それぞれの特性のいちばんおいしいところを合わせて、はじめて物事ってうまくいくんじゃないかってつくづく思うんで。それは「EAST ASIA」から「糸」まで、アルバムの曲全部通して言ってることかな。

最近は、女が強いとか、やっと女が権力を得てきたとか、いろいろ言われているけれど、今まで女が下だったとか、そういうことじゃないんじゃないかと思うの。どこまでいっても違うもんは違う。違うからお互い触発されることもあるし、お互い必要なこともある。最終的に男と女がまったく同じものになったら理想的というんじゃないんじゃないかいお客さん、てのがあるよね。

 

・差のない均一化された世界なんて美しくない

どうせ人間の世界から差を消せやしないのに、世界を均一へと導こうとする世界の流れは滑稽だ。どうせ差を消せないのだから、国際的になることに躍起になり国際的になろうと努力するよりもむしろ、自分の国にしかない独自性や特殊性を見出し、それを深めていくことが世界を美しく彩るためのふさわしい道ではないだろうか。国際的な世界なんて、美しいはずがない。

世界はそれぞれに違いがあるからこそ美しい、差があるからこそ美しい。それは国も人も同じではないだろうか。自分と同じような人ばかりいる世界なんて、きっと楽しくないしつまらないだろう。自分とは全く異なる人々、違う人々、遠くかけ離れた人々と同じ瞬間を共有するからこそ、人生は彩りに満ちあふれるのだ。差があるからこそ、違いがあるからこそ、国や人の間では憎しみや争いも起こって悲しいが、人も国も相対的な世界の中を生きていく以上、憎しみも争いもどうしようもない運命である。その証拠に、人間に憎しみも争いもない時代は存在しない。憎しみも争いも、人間のまぎれもない本性だ。

どうしようもない差も、どうしようもない差別も、どうしようもない憎しみも、どうしようもない争いも、全て自分の心の情緒や感性として吸収し昇華して、その摩擦熱で、美しく生きていく他はない。そして自分にしかない独自性や特殊性を見出し、それを究極的に深めた先に立ち現れる世界は、矛盾するような真実の国際的な世界である。

 

 

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