新しい兄弟ができるのは幸せなことだというのは本当か? 〜夢はきっと叶う〜

 

一番上の子供は幼い頃に願ったことがありませんか、もう一度ひとりっ子に戻れたならと。

新しい兄弟ができるのは幸せなことだというのは本当か? 〜夢はきっと叶う〜

・ぼくには2人の兄弟がいる
・新しい兄弟ができて赤子のぼくはひどく絶望した
・記憶の彼方に隠されていた「切なる願い」
・切実な長いならば命を超えてでもきっと叶う

・ぼくには2人の兄弟がいる

ぼくには2人の兄弟がいる。1歳半下の妹と、8歳下の弟だ。弟ができた時にはぼくは8歳だったので意識もはっきりしており分別もついていたので、新しい兄弟ができたことに感動し、それはそれは弟を可愛いと思っていた。最初に弟が生まれて病院から帰ってきたときには、これからはこんなに可愛い赤ちゃんとの生活が始まるのかと思うと夢を見ているような心地がした。

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しかし1歳半の時に妹が生まれたということを、ぼくは全く覚えていない。その時はあまりに幼く、新しい兄弟ができるという意味すら分かっていなかったことだろう。ただなんとなく衝撃的で、恐ろしくて悲しかったことはぼんやりと覚えている。

 

 

・新しい兄弟ができて赤子のぼくはひどく絶望した

新しい兄弟が生まれるとなるとそれは普通喜ばしいことなので、両親は小さな1歳半のぼくでさえそれを喜ぶだろうと思い込んでいたようだ。しかし1歳半のぼくには新しい兄弟ができるという意味や概念を理解できるはずもなく、当然喜びの感情も悲しみの感情もなかった。けれどいきなり見知らぬ意味不明な生物(生まれたての妹)が自分たちの家族に参加してきたときにはそれはそれは衝撃だっただろうと思う。

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ぼくが覚えているのは、今まで自分のことだけを見てくれ自分のことだけを愛してくれていたお父さんとお母さんが、急にその見知らぬ生物に夢中になってしまう衝撃的な悲しみと絶望の感覚だ。お父さんとお母さんをその見知らぬ生物に突如として奪われ、ぼくはそのときに人生で初めて”裏切り”という言葉を覚えてしまったように感じる。そしてどれほどに無尽蔵に注がれるだろうと思っていた愛情も、決して永遠ではありえないのだという人生の無常と儚さも同時に思い知ったのだった。

その絶望感を泣き叫ぶことで表現して、なんとか今までのように自分だけに愛情を注いで欲しいと願ってももはやあとの祭り。鈍感な両親はぼくという幼い子供の敏感な心の動きを読み取れるはずもなく「兄弟は仲良くしなければならない」「お兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃだめ」と思考のない定型文を繰り返すばかりだった。しかし自分たちで勝手に見知らぬ生物を家族内に招き入れておいて、ぼくに「兄」としての勝手な理想像を押し付けてくるなんて、傍若無人にもほどがあるのではないだろうか。

 

 

・記憶の彼方に隠されていた「切なる願い」

悲しすぎて記憶の彼方に完全に忘れ去っていたが、最近ぼくは思い出したことがある。それは幼い頃に、また3人家族に戻らないかとずっと心に願っていたことだ。新たな見知らぬ生物が急に家にやってきたのは全部夢で、その生物にお父さんとお母さんを奪われてしまったのも全部ひどく悪い夢で、本当は目が覚めると、また元のぼくとお父さんとお母さんだけの3人家族に戻っており、その世界の中でお父さんとお母さんがぼくだけを見ていて愛してくれる、そんな今まで通りの世界が戻ってくることを1歳半のぼくは、切実に夢見ていたのだ。

けれど一度生まれた妹の命が消滅するはずもなく、ぼくの願いは叶うはずもなかった。叶わない切実な夢は見るだけ虚しいものだ。ぼくは叶わない夢を諦めて、心の宝箱に鍵をかけ、そのまま記憶の闇の深淵へと放り投げ、そんな願いはこの世に存在しなかったようなフリをして生きてきたのだった。ぼくは「諦める」ということを覚え、妹という生物とずっとこれから生きていかなければならないのだと下を向いた。

そして絶望的な諦めの中でもなんとか楽しく生きていかなければならないのだと笑った。

 

 

・切実な長いならば命を超えてでもきっと叶う

ぼくがこのはるか昔の「3人家族に戻れたらいいのに」という願いを突如思い出したのは、今世界一周の旅を中断させて日本に一時帰国して実家で過ごしているからだった。ぼくは今、この実家で3人家族だ。妹も弟も近くにはいるが、それぞれ仕事や結婚で家を出ているので、必然的にぼくとお父さんとお母さんとの3人暮らしとなっている。

この状況にぼくは最初は別に何も思わなかったが、しばらく3人で暮らしているうちに気がついたのだった。これはぼくはとても幼い頃、絶望感の中で切実に夢見た風景と同じだと。

1歳半のぼくが絶望の中でかろうじて自分を生かすために見た切実な夢は、その時点では結局叶うことはなかった。そして切実な願いほどこの世では叶わないのだと心を閉ざした。抗うことのできない運命が、赤子の心をひどく傷つけたままに時は流れた。しかし何年もの時を経て、そんな願いすら忘れ去った頃、気がつけば赤子のぼくの願いは目の前で叶えられていたのだった。

”この一生だけでは たどり着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ”

神様というのは本当にいるのかもしれない。その時は無理だと切実な願いを突き放したとしても、何年もの時を経て、何十年もの時を経て、もしかしたら一生と一生を超えてでも、切実な心からの願いであるならば、その人がもはや忘れ去ってしまったとしても、ふとした拍子に叶えられるものなのかもしれない。

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