中島みゆき夜会「邯鄲」あらすじと名曲「I love him」を徹底考察!モテること愛されることが愛することよりも重要だというのは本当か?

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返される愛はなくても。

中島みゆき夜会「邯鄲」あらすじと名曲「I love him」を徹底考察!モテること愛されることが愛することよりも重要だというのは本当か?

・モテること愛されることが愛することよりも重要だというのは本当か?
・モテること愛されることは女性にとってより重要な課題となる
・中島みゆき「I love him」1番の歌詞
・中島みゆきの夜会「邯鄲」で描かれる女の栄枯盛衰の一生
・中島みゆき「I love him」2番の歌詞
・愛することは損で愛されるのを待つことこそが合理的だ
・中島みゆき「I love him」サビの歌詞
・愛さなければ人は人生を生きたとは言えない

・モテること愛されることが愛することよりも重要だというのは本当か?

異性にモテるというのは、人間にとってひとつのステータスだと見なされている。男性はたくさんの女性から告白されたり付き合ったり生殖したことを、心の中で密かにまたはあからさまに誇りとする傾向がある。また女性は女性はでモテる服、モテる髪、モテる仕草を、雑誌やメディアなどを通じて小まめに研究しながら、たくさんの男性から愛されようと努力する傾向が見られるようだ。女性へ向けて発信される媒体は「モテ服」や「モテ髪」など、いかに男性から愛される自分になるかに意識の焦点が当てられがちであるとされる。男女ともに異性から多く愛されるということは自尊心を保つことのできるひとつの要素であり、SNSでも自分がいかに多くの異性から愛されているのかを密かにほのめかしアピールするための、嘘か本当かわからないような投稿も多い。

男女ともに異性から愛されやすい、モテることを自慢できるという風潮はあるものの、逆に人を愛することを自慢する者はいない。俺って女にモテモテなんだよな(よく愛される)と自慢する男がいても全然不思議な感じはしないが、自分は人をたくさん愛することができるのだと自慢しているような人物がいたら少し不可思議な印象だ。人間の世界では愛されることは誇らしく自慢できるような出来事であり、その逆に人を愛することは大して自慢できるような項目ではないようだ。もしも人から愛されることと人を愛することを比較するのならば、一般的には人から愛されることの方が価値が大きいし望ましいと人々は判断するだろう。

しかし本当に、愛されることの方が愛することよりも尊いのだろうか。

 

 

・モテること愛されることは女性にとってより重要な課題となる

生物には選ぶ方の性と選ばれる方の性があるらしい。そして決まって選ばれる方の性は、派手な外見を備えているようだ。孔雀はオスの方が羽根が派手でオスがメスから選ばれるらしいし、美しいお腹を持つオスの魚もメスから選ばれるためにわざとお腹が美しくできている。より派手な色彩の毛を持つオスのインコはメスに選ばれやすくなるらしい。

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人間の男性と女性を比べると明らかに派手なのは女性の方であり、化粧を顔面に塗りたくったり、髪の毛を染めてみたり、キラキラするアクセサリーや宝石を身につけたり、色あざやかな服をまとう傾向にあるのは、どう見たって女性の方だ。ということは人間を生物として考えると選ばれる方の性は女性であり、愛されるということがより一層重要な意味を持ってくるのは女性であるらしい。もちろん男性も女性からたくさん愛されれば嬉しいものの、「モテ」というキーワードが重要な意味を持ち、メディアにあふれ返っているのは明らかに女性向けのものが多い。

男性よりもより一層、女性にとって愛されるということは人生において重要な意味を持つ傾向にあるようだ。

 

・中島みゆき「I love him」1番の歌詞

夢見続けた願いはいつも
愛されること 愛してもらうこと
それが人生の幸せだって
いつも信じてた 信じて待った 待って夢見た

わたしにだって傷ついた日はあったと思う
けれどもそれは欲しがるものが手に入らなくて
裏切られたような気がして泣いた子供の夢ね

 

・中島みゆきの夜会「邯鄲」で描かれる女の栄枯盛衰の一生

上の歌詞は中島みゆきの夜会「邯鄲」のクライマックスで絶唱される名曲「I love him」の1番である。夜会の物語の中で中島みゆきは、中国の故事「邯鄲の夢」のように夢の中で女性の一生を幼少時代から女盛り、老女、死に至るまで、人生の栄枯盛衰をすべて経験する。そんな不思議な夢から覚めた中島みゆきは、自分は女として女の幸せとして愛されることばかり考え、意識し、固執してきたが、どんなにたくさん愛されたとしても虚しいことがあるということに気がつく。それは自分が女として愛されることばかりを常に意識し、つい「人を愛すること」を忘れてしまっていたという後悔である。

 

・中島みゆき「I love him」2番の歌詞

たとえ黄金の国を手に入れても
愛されることがなければつらい
それは確かに間違いじゃない
愛されたとて待ちわびもする 戦いもする

愛そうなんて思わなければ
失うものは何ひとつない
与えられる愛を待つだけならば
もらい損ねても悪くてもゼロ
マイナスはない

 

・愛することは損で愛されるのを待つことこそが合理的だ

中島みゆき「I love him」の2番の歌詞ではより深く「愛すること」と「愛されること」を論理的に追求する。すなわち、愛される方が愛することよりも合理的で得だということだ。愛されることを受動的に待つだけだったら、運よく愛されれば儲けもの、不運にも愛されなくても自分は傷つくこともなく失うものも何もないことから心に喪失感は生まれない。もしも積極的に異性を愛そう愛そうと前のめりになって生きてしまえば、もしも見返りに愛されなかった場合の喪失感や心の空洞はとてつもなく大きく、悲しみに暮れて上手に生きることすらままならなくなってしまうかもしれない。たとえ運よく愛した分だけ愛し返されても、プラスマイナス0だ。論理的にどう考えても、愛するよりも愛される方が賢いし、得だし、合理的なのだ。

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そう考えると愛そう愛そうとして生きること、愛を与えようとして生きることは愚かしい生き方ではないかとも思えてくる。与えるということはよく考えれば自分の持っているものを差し出すわけだから損する行為である。それに引き換え愛されること、愛を与えられるということは相手から差し出されるわけだから得する行為である。損得勘定を賢く脳内で働かせて見ても、やはり愛されるよりも愛することを選び取るなんてあり得ない。

しかしそのような小賢しい合理性を自ら提示しておきながら、中島みゆきは堂々と、そのような考えは全くの間違いだという主張によって、「I love him」の歌詞は感動的に幕を閉じる。すなわちぼくたちは絶対に、愛されることよりも愛することを選び取るべきなのだと。

 

 

・中島みゆき「I love him」サビの歌詞

それならばわたしは何も
失わずに生きていけた
でも何か忘れたことがある でも誰も愛したことがない

それで生きたことになるの?
それで生きたことになるの?
長い夢の後 本当の願いが夢の中目を覚ます

I love him
I love him
I love him
I love him
I love him
I love him  返される愛はなくても

 

 

・愛さなければ人は人生を生きたとは言えない

中島みゆきは夜会「邯鄲」の最後に堂々と告げる。愛されるだけでは、生きることにならないのだと。愛することで初めて、人間は人生を生きたと断言することができるのだと。

損得勘定や賢く計算する人々にとっては、確かに愛することなんて損する可能性を大いに含んだ無為な行為かもしれない。しかし人間の生命や愛する思いは、取引や投資のように損得勘定だけで賢く計算しながら合理的に考えるというような低レベルな次元には位置しないのだ。ぼくたちの生命は矛盾に引き裂かれながら、理屈に合わない物事を選び取りながら、説明のつかないものたちに翻弄されながら、損したり喪失したりすることを恐れずに、ただひたすらに与えるという行為をし続けることがゆるされている。

矛盾する愛の中にこそ、非合理的な行為の果てにこそ、生きているという実感と確かな手応えは与えられる。その時に心の奥に発生する熱量の正体を見極めながら、たとえ喪失し傷つき深い嘆きに飲み込まれようとも、まっすぐに生きることを諦めず、迫り来る矛盾と徹底的に向き合いながら、そして生命の矛盾に徹底的に引き裂かれながら永遠の眠りに就きたい。

愛さなければ人は人生を生きたとは言えない。どれだけ愛されたかなんて取るに足らない。浮世の欲望たちはどれだけ愛されたかだけで人間を測定し、競争させ、劣等感と欠乏感を生み出す。俗世の人々は見事に操られ、もっと愛されなければならないのだと、もっと愛される人生こそが価値あるふさわしいものなのだと心を誤った方角へと誘導され、惑わされ、消えない不幸を植え付けられる。けれど真実は、どれだけ愛されたかなんて取るに足らない。あなたがその人生のうちでたったひとりでも、たとえ報われなくても、返されなくても、心から愛したのだと思える人がいればそれでいい。その愛こそが、あなたに一生分の神秘的な問いかけを与えてくれるだろう。その問いかけに挑み、解き明かすことこそ、愛から与えられたあなたの生きる意味だ。

 

 

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