アシタカは、いいことをして呪いを受けた。
もののけ姫のアシタカ不条理考察!いいことをすれば自分に返ってくるというのは本当か?
・いいことをすればいいことが返る
・与えても返されない不条理
・不条理な運命を背負ったアシタカ
・曇りなき眼で不条理な運命を見定めろ
・いいことをすればいいことが返る
ぼくたちは幼い頃から、いいことをしなさいと教えられる。人が喜ぶようなことをすれば自分の心が気持ちがいいし、他人にしたいいことはいつか巡り巡って自分のところに帰ってくるのだと聞かされる。
「情けは人の為ならず」という諺もある。他人に優しくするのは他人のためだけではなく、結局はそのいい行いが世の中を回り回って自分のところに帰ってくるのだから、人に親切にするのは畢竟自分のためであるという意味だ。
諺のように本当にいいことをすれば、同じくらいいいことが返ってくるとしたならば、世の中はなんて平和に巡っていくことだろう。見返りを求めつつと言えども、誰もがすっかりいいことをするようになり、誰もが誰かを思いやり、お互いがお互いに慈悲の心を以て接するという、理想的な人間社会が築かれることだろう。
・与えても返されない不条理
しかし現実には、そう単純に物事は運ばない。思いやりを以て心から他人に優しく接したとしても、その優しさの半分も自分へ帰ってこないことの方が多いだろう。下手すれば何ひとつ返って来ないということも十分にあり得るのが人間の社会だ。
けれども大抵の場合、他人に思いやりを抱いたり、慈悲の心を与えた時には、それを与えた時点で既に自分の心は満たされており、見返りが半分も返ってこなくても、見返りがたとえゼロの場合でも、気にすることの方が少ない。これは人の心の美しさではないだろうか。
しかし一方では、せっかく与えてやったのに返されないなんて悔しい、何か同じ量の優しさが返されると思っていたのに、相手に与えられる分よりも自分が与える量の方が多くて損をしたようで悔しいと、損得勘定を脳内に撒き散らしながら生きていくのも人の世の常だろう。与えることなんて損だ、なるべく与えられるように仕向けて自分はなるべく与えないようにしようと商人のように企んでしまうことは、人の心の醜さである。
また人に恵みを与えたにも関わらず、自分にいいことが返ってくるわけでもなく、かえって悪いものが自分の命へと注ぎ込まれることがある。そんな時人は「不条理」を感じる。どうしていい行いをしてきたのに、悪いことが降りかかるんだと、やがては自分の運命を呪ってしまう。
しかしそれは珍しいことでは決してない。人の世は「不条理」に満ち満ちている。呪われた時代の中、不条理に満ちた人の世を生き抜くにあたって、ぼくたちはどのように不遇の運命に立ち向かい、前を向いて歩いてくことができるのだろうか。
・不条理な運命を背負ったアシタカ
その最も適切で明確な例は、宮崎駿監督「もののけ姫」の中に見出すことができる。「もののけ姫」の主人公の少年アシタカは、まさによい行いをしたにも関わらず呪いを受けてしまったという不条理な運命を持ち合わせている。
映画「もののけ姫」の冒頭で、村の娘たちが見るのもおぞましい姿をした”タタリ神”に襲われているところを、勇敢な少年のアシタカが目を射抜きタタリ神を鎮めることにより、村の娘たちを守り抜いた。しかしタタリ神の目を射抜いたばかりに、タタリ神の強力な呪いがアシタカの右腕に降り注ぎ、アシタカは右腕に恐ろしい不治のアザを負った。そのアザはやがては骨にまで達してアシタカの命さえ奪い取るという、タタリ神からの死の呪いだった。
タタリ神の呪いを受けたアシタカは”穢れた者”、”不要な者”として村を追い出される身となり、「曇りなき眼で物事を見定める」ために猪神が祟り神になるきっかけを与えた不吉な西の国へと旅立った。アシタカが村を追われる際に髷を落とすのは「もはや人間ではなくなったことを意味する」と宮崎駿監督自身が語っている。
ここではアシタカは”村の娘たちを守る”という善良な行いをした。にも関わらず、その結果として呪いを受け、村から要らない者だと言われ、人間であることさえやめて異界の旅人として西国へと流離の旅にでなければならなくなってしまったのだ。なんという悲劇!なんという不条理!
しかしこの勇敢で美しい心を持ったアシタカは、自らの運命に悔しがることもせず、泣くこともせず、ただその運命を受け入れて「曇りなく眼で物事を見定め、自分の受けた呪いの正体を確かめる」ために西へと旅立つのだった。
アシタカの不条理な運命を思えば、いいことをしたのにちょっとしか返ってこなかったとて、悔しがることなんて恥ずかしく感じてしまうだろう。そしてどんなに不条理な運命に苛まれようとも、どんなに呪われた困難な道が目の前に横たわっていようとも、清らかに心強く生き抜いていかなればならないのだということを、アシタカはぼくらに教えてくれる。
・曇りなき眼で不条理な運命を見定めろ
結果としてアシタカは自分にかけられた呪いの正体を突き止め、それに敢然と立ち向かうことによって、自らの呪いを解除することに成功する。それもこれも、不条理な運命に押しつぶされることもなく、不平を言うこともなく、諦めてしまうこともなく、自らの不条理な運命の正体を突き止めようとする前向きで勇敢で雄々しい彼の生き方の結果として導き出されたものである。
「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」
「生きることは、誠に苦しくつらい。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい愚かなわしに免じて」
「人間にもなりきれず山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ」
もののけ姫は、不条理に満たされた呪われた魂であふれている。しかし、どんなに不条理に苛まれようとも、どんなに矛盾に引き裂かれようとも、物語の中の人々は生きることを諦めずに、怒りや悲しみに燃えながら必死に前を向いて歩いている。
いいことをすれば必ずいいことが帰ってくるわけでもない。いいことをしても、呪いが返ってくることもある。普通に幸福に生きたいだけなのに、他の誰もがかからない呪いにかけられて、困難な運命に立ち向かわなければならない人生もある。呪われた運命は他人には見えずに、呪われていないふりをして人の世を渡らなければならない時もある。偽りの自分を築き上げ、時には罪を犯しても生き抜いていかなればならない人もいる。
アシタカのように生きよう。どんなに不条理な運命がこの人生の先の道に立ちふさがっていようとも、清らかな魂と曇りなき眼を従えながら、この人生によってしか生み出されるはずもない美しき旅路を描こう。生まれてこない方がよかったかもしれない、そんな風に泣く心の中の少年を抱きしめて、生まれてきてよかったのだと転轍される軌道を見出そう。