スペイン巡礼の道に心がないというのは本当か? 〜すべての物に心は宿る八百万の神々の心象風景〜

 

「さあ、お行きなさい」と囁きかけてくれる道がある。

スペイン巡礼の道に心がないというのは本当か? 〜すべての物に心は宿る八百万の神々の心象風景〜

・スペイン巡礼の道はつらかった
・日本の八百万の神の風景
・巡礼の道にも心がある
・どのように世界をとらえるか

・スペイン巡礼の道はつらかった

スペイン巡礼の道はつらかった。約800kmの道のりを、32日かけて、休む日もなくただひたすらに歩き続けた。ただ歩くだけならばよかったが、10kgのバックパックがぼくの肉体の動きを鈍くし、苦しめた。

ただ無心で修行のように長時間歩き続けていると、なんだか世界が普段とは違ったように見えてきた。人の声よりも木々のさざめきに静かに耳を傾けるようになったり、今までよりももっと人間ではない動物たちに親しみを覚えるようになったり、スペイン巡礼の道自体が自分に語りかけてくれているような感覚に陥った。

 

 

・日本の八百万の神の風景

日本には古来より八百万の神が宿り、山や川や、物質にさえも魂があり、心があると考えられた。山には山の神様がおり、川には川の神様が、トイレにはトイレの神様がいらっしゃると見なされてきた。八百万の神の風景は、今でもなお日本の随所に息づいている。また、物質は古くなると魂を持ち、動き出すのだと想像された。

スペイン巡礼のはるかなる道を修行のように歩くことにより、科学文明に支配された現代に生きる自分自身を抜け出して、古代の日本的な感性がよみがえってきたということだろうか。

 

 

・巡礼の道にも心がある

スペイン巡礼の自分が歩く道はひとつだが、そのひとつの中にも様々な心があり、それぞれに自分に語りかけてくるような思いがした。自分に「行くな」と言っているように険しい道のりがあったかと思えば、「安らかにお行きなさい」と優しく先へ先へと導いてくれるような道があると感じられることもあった。

そのことを一緒にスペイン巡礼の道を旅している友人に話すと、それは自分にとって歩きやすい簡単な道だと感じる時には「お行きなさい」と言われているように感じ、進むことが困難な険しい道だと「行くな」と言われているように感じているだけではないかと笑われた。確かにその通りには違いないのだが、道に心があると信じる方が、自分にとってはなんだか自然に感じられた。

 

 

・どのように世界をとらえるか

いかようにもとらえられる状況の中で、自分がどのような設定を選び取るかというのは、自分の性質を知る上でとても重要だ。それには自分の感性や、遺伝子や、周囲の環境や、気分の状態など様々なものが影響するのだろうけれども、自分がこの道を「歩きやすい」と自分を中心に世界を感じ取ることよりも、道が「お行きなさい」と語りかけていてくれるのだと、道にも心があり見守っていてくれているのだと感じるという自分を選び取った。

科学的に合理的に現実的に世界を見ることだけが、この世界の生き方ではない。そのように感じ取ることによって、この世界の有象無象、有機体にも無機物にも、あらゆるものに生命を感じとり、様々な心が混じり合う海の中で生き延びて行くことが人生だと思えれば、生きていく道に華やかな彩りが添えられることだろう。

 

 

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