欲張りになってはいけないというのは本当か? 〜ベトナム昔話の提案〜

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まじでどんだけ欲張りやねん!

欲張りになってはいけないというのは本当か? 〜ベトナム昔話の提案〜

・日本昔ばなしから伝えられる欲張りになってはいけないという教え
・チャンアン景観関連遺跡の美しさは異常
・田舎に来ても人々が欲張りなベトナムという国
・ベトナムのボートクルーズのチップの相場は20000ドン
・法外なチップを要求して来た船頭にはびた一文やらなかった
・実話を元にしたベトナム昔話の提案
・ぼくはチップ制度が大嫌い
・資本主義の世の中では大いに欲張りになればいい

・日本昔ばなしから伝えられる欲張りになってはいけないという教え

ぼくたち日本人は幼い頃から「舌切り雀」などの物語を代表として、数々の「欲張りになってはいけない」という教訓の昔話をたくさん聞かされる。そのようなお話を聞いて育った日本人たちは、そうか欲張りは悪いことなのかと学び、大人になってからも心の片隅でその気持ちを保ちながら、どうしても欲張りになってしまいそうな自分を制御している。

しかし、ベトナム人にはそのような心はないのかもしれない。

 

 

・チャンアン景観関連遺跡の美しさは異常

ベトナムの首都・ハノイから電車とタクシーを乗り継ぎ、ぼくはベトナムの複合世界遺産「チャンアン景観関連遺跡」へとやってきた。

本当にチャンアンの大自然の数々の絶景は素晴らしく、世界遺産なのにまだそんなに知られていないからか人も少なくてのんびり豊かな時間が流れているし、ものすごく奥深い秘境感もあるし、ぼくはチャンアンが大のお気に入りになってしまった。どれくらい気に入ったかというと、本来5泊でハノイに帰ろうとしていたのに丸々1週間滞在してしまうほどチャンアンにハマってしまったのだった。そして1週間も滞在して本当によかったと思っている。チャンアン周辺には見所がありすぎるので、本当にじっくりチャンアンのよさを味わうには1週間は必要だと思われた。

 

・田舎に来ても人々が欲張りなベトナムという国

チャンアンと言えばハノイに比べて格段に田舎である。都会から田舎へ来たということは、必然的に人々の性質がより優しく思いやりに満ちて善良になっていくのだということを、ぼくはこれまでの旅でどこの国でも実感していたし、実際にそのように言う他の旅人も数知れない。

しかしなぜかことベトナムに関しては、田舎に来ても人々のお金に対するがめつさやずうずうしさが変わらないのが印象的だった。ベトナムという国は全土にわたってこんな感じなのだろうか。先日はチャンアンの近くの東南アジア最大のお寺バイディン寺でお釣りを盛大にちょろまかされたことをこのブログ内で共有したばかりである。

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今回はその後のチャンアン最終日に、タムコック渓谷の近くのボートクルーズで船頭に法外なチップを請求された思い出をここに書き記そうと思う。

 

・ベトナムのボートクルーズのチップの相場は20000ドン

ベトナムにはチップ文化は存在しない。しかし、ボートクルーズなどの船を漕いでくれた船頭に対しては心ばかりのチップを支払うというのは習慣になっているようだ。チャンアン周辺でボートに乗ってクルージングを楽しめるのは、主にチャンアンとタムコックの2箇所であり、そこでは船頭に20000ドン(100円くらい)を渡すのが礼儀となっているらしい。この20000ドンがチップの適正価格であるというのは、インターネット上にも書かれていることだし、ぼくが実際にチャンアンでベトナム人たちとボートに乗った時も、ベトナム人の彼女らが実際に20000ドン支払っていたのを見たので、これはもう20000ドン周辺が適正価格で間違いないだろうという認識だった。

そしてその出来事はチャンアン滞在の最終日、タムコック渓谷近くのボートクルーズに乗っている時に起こった。タムコック渓谷が有名で人気なのでそこのボートクルーズに乗ろうとしたが、たくさんの観光客でごった返しており、値段も観光客価格で27000ドン(1350円くらい)必要とのことだったので、近くの有名でなく人も少ない素朴な120000ドン(600円くらい)のボートクルーズに乗ることに決めた。

ここのボートクルーズのよかったところは、本当に客が極端に少なく、行きにすれ違う舟も0隻、帰りに2隻ほどすれ違うだけののどかでありのままのチャンアンの自然が堪能できたことにある。それでいて洞窟の中を舟で進んでいくというパフォーマンスも体験できたし、チャンアンのクルーズのようにお寺やベトナムの文化的なものは見かけなかったものの、値段の割には満足できる小舟の旅だったなという感想だった。

満足したからにはきちんとチップを払わなければならない決まり、というか習慣だ。しかしこちらがチップを支払おうとする前に、舟が港へ帰りつく頃になって船頭のおばちゃんが自分からチップをくれ!とせがんでくるから忘れる心配も皆無だ。おばちゃんも頑張って舟を漕いでくれたのだから別にチップくらい惜しくはない。ぼくは上記の認識から20000ドン(100円くらい)を差し出しておばちゃんにありがとうと言って渡した。

 

・法外なチップを要求して来た船頭にはびた一文やらなかった

するとおばちゃんはぼくの差し出した20000ドンを拒否した。そして後100000ドンは追加しろというのである。まったく英語を喋らないくせに、こういうことだけはしっかりと英語で喋ってくる。またぼくの怒りの炎が燃え上がった。なんて欲張りなおばさんなのだろう!

100000ドンと言えば日本円で500円ほど、適正なチップの値段よりも5倍もの高額だ!誰がそんな高額なチップを支払うというのだろう!ぼくはこれまでもそうだが、法外な値段を請求されることよりも、ベトナムにやってきた外国人はチップの相場なんか知りはしないだろう、どうせなら何も知らないバカな外国人から高額なチップをだまし取ってやろうとするその外国人を見下す根性がそもそも気に食わない。バイディン寺でお釣りをごまかされそうになったときも、本当に嫌だったのはたかが250円をちょろまかされることよりも、外国人は0の多いベトナムドンの計算なんかできないだろうと言わんばかりの外国人を見下すベトナム人の根性そのものである。

20000ドンを突き返されたぼくは、もうこのおばさんには1銭も与えないことに決めた。後ろでは100000ドン(500円)追加しろ!じゃあ50000ドン(250円)でどうだ!などとほざいているが、もはや知ったこっちゃない。ぼくは20000ドンを自分の財布に収めて、それ以降一切自分の財布に触らないと決めた。はっきり言って20000ドンだってたかだか100円であろうと、ぼくが労働で必死に働いて貯めたお金であることに変わりはないのだ。その100円をないがしろにして、突き返して拒否して不要だと言い放ったおばさんに、もはやびた一文でも差し出す義理はない。

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チップというのは気持ちなのだ。気持ちを失ったのだから彼女に0円しか支払わないのは当然のことである。何も法律を破っているわけでもあるまい。そもそも乗船料として120000ドンもの高い金を支払っているのだから、そこから給料でもなんでももらってくれという心境である。もはやこのおばさんに関わりたくはない。

おばさんは最後まで喚き散らし、最後には港にいる英語の話せる係員に、こいつは20000ドンしかよこさない、少なすぎるからもっとよこせと言ってくれというようなことを叫んでいる。英語の話せる係員は、ぼくに「20000ドンは少なすぎると船頭は言っている。もっとくれませんか?」と問われたが、ぼくは「20000ドンが適正なチップの価格だということをぼくは知っている。チャンアンでもベトナム人がチップに20000ドン支払っているのを見たし、インターネットにもそう書いていた」と言い放ち、そこを去って行った。英語の話せる係員はおばちゃんがすでに20000ドンを受け取ったと思っていたらしく、チップを一円も受け取っていないことを知るや否や「ちょっと待って!」と呼びかけたが、ぼくはもうおばさんに1円も支払わないことを決めていたので、そのまま無視して立ち去った。

 

 

・実話を元にしたベトナム昔話の提案

このように外国人を何も知らないとバカにして欲張っては結局は大損をしてしまうという前例を作りたかったのだ。ベトナムの昔話にどのようなものがあるのかは知らないが、もしも日本の「舌切り雀」のように欲張ってはいけないという昔話がベトナムには皆無であるというのなら、ぜひこの実話を元に欲張ってはいけないという昔話でも作ってみてはどうだろうか。

“昔むかし、チャンアンに欲張りな船頭のおばさんがいました。おばさんは毎日船を漕ぐ仕事をしていました。ある日、何も知らなそうな断るのが苦手そうな日本人が船に乗ってきました。おばさんは、こいつなら騙してチップとして大金を奪えるに違いないと欲張りな気持ちを抑えることができなくなりました。日本人はおばさんに心から感謝し適正な価格の20000ドンをチップとして差し出しましたが、おばさんはそれを拒否し、もう100000ドンをよこせと日本人に請求しました。20000ドンなんてはした金はいらない、金持ちの外国人ならばもっと金をよこせと20000ドンを大切にする気持ちを忘れて傲慢になってしまいました。すると日本人は20000ドンを財布に戻し、そのまま1ドンもチップを支払わずに去ってしまいました。おばあさんは待て!待て!と騒ぎましたが日本人は一切振り向くことはありませんでした。優しい日本人なら断りきれずに100000ドンくらい出すだろうという欲張りな気持ちのせいで、ベトナム人のおばさんは100000ドンどころか本当は気持ちよくもらえたはずの20000ドンまで失ってしまったのです。”

 

 

・ぼくはチップ制度が大嫌い

そもそも、チップ制度のないベトナムでどうして舟にだけチップ制度があるというのだろうか。もしかして西洋人がベトナムにはチップ制度がないのだということを知らずに、自国と同じようにチップを支払ってしまったがために、味をしめた船頭たちがチップはもらって当然なのだと本来なかった習慣を作り上げてしまったのではないか。もしそうならば大変迷惑な話である。本来アジアにはない西洋の迷惑な制度を導入して、客に不要な経済的負担をかけることはやめていただきたい。

そもそも雇い主が十分な給料を支払わないために、その経済的負担をきちんと料金を支払っている客がさらに追加でチップとして払うことで押し付けられなければならないなんて、なんと欠陥を抱えた迷惑な制度だろう!ぼくはチップ制度が大嫌いだ。なるべく広まってほしくないと思うし、もしも外国人旅行者の増加により日本でもチップ制度が蔓延したりしたらと思うとゾッとする思いがする。東南アジアでも西洋文化の襲来と共に徐々に広まりつつあるチップ文化が、なんとか広まらないように願うばかりである。

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そもそも「文化だから」と言ってすべてがすべてを受け入れて尊重しなければならないというのは本当だろうか。他国の文化を見て、嫌だ、気に入らない、受け入れ難いと思ったならば、それを主張したりしてはいけないどころか、そう思うことすらいけないという風潮があるのはなぜだろう。正しい教科書に書いてあるように、誰もが「他国の文化を受け入れて尊重しましょう」という気配を保ち続けていくことだけが正常だろうか。それなのに自国の文化をないがしろにして、他国と比べて見下したり批判するのはなんだか先進的でカッコいいという風にとられられるのはものすごくおかしな現象である。自国の文化を批判してもいいように、ぼくたちも自由に他国の文化について語り、これは素晴らしいとか、これは全然ダメ大嫌いなどと堂々と議論してもいいのではないだろうか。

 

・資本主義の世の中では大いに欲張りになればいい

しかし、よく考えてみれば資本主義のこの世の中では、金を儲けた人が一番偉いのだし、金を儲けることが人生の目的なのだから、欲張ってはいけないという日本人古来の考え方よりも、欲張れるだけ欲張ってやればいいじゃないかと開き直れるベトナム人の観念の方が正しいのかもしれない。ぼくは欲張ってはいけないという昔話を聞いて育って来た日本人だから欲張りなベトナム人にイライラしてしまうけれど、本当はベトナム人の方が正しいのかもしれないなぁ、、、、などとぼんやり考えて気づいたが、ベトナムは社会主義国だった。

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