商売は正常な行為であるというのは本当か? 〜欲張りな商人〜

 

異国の商人というのはいつも姑息だ。

商売は正常な行為であるというのは本当か? 〜欲張りな商人〜

・値札の貼られない国々
・商売も詐欺も境なく
・ハノイで出会った素朴に見せかけた女性商人
・ライブハウスの烏龍茶の錬金術
・auにおける愚鈍な人からの月額300円の搾取
・人々よ、大いに欲張りなれ

・値札の貼られない国々

異国、特に発展途上国を訪れると、すべての商品に値段がついていないことに驚かされる。市場で品物を買うのにも、いちいち商人に値段を確認しなければならないし、もし値段を教わったとしても、それが適正な値段であるとは決して限らない。ぼくたち日本人は豊かな国から来たお金持ちの旅人だと見なされ、普通よりも3倍も4倍も高い値段を提示されることも珍しくはないからだ。

ぼくたちは異国の地において、いちいち値段を尋ねなければならないし、さらには提示された値段をなるべく適正な価格に戻すため、値下げ交渉をしなければならないという面倒くさい運命にある。

値札が付いているのが普通というのは本当か? 〜売り手の権力・買い手の無力〜

 

・商売も詐欺も境なく

しかしぼくたちが誤って3倍も4倍も高い値段で商品を買ってしまったとしても、商人はそれを自分の罪だとは決して思わないだろう。なぜならば、もともと値札なんてついていないからだ。

商人が値段をまず提示し、買手が何円ならば買ってもいいかを提示し、その帳尻を合わせた先に売り買いの商売が成立するのであって、そこで商売が成立した以上、ぼくたちが後からそれが法外に高い値段だったことを知っても、商売を成立させてしまったぼくたちに責任も原因もあり、その商売は正しい商売として誰からも見なされることだろう。

値札のついていない国での買い物というものはややこしい。価値のわからない国での買い物は慣れていないし苦手だ。固定の値段がない以上、得したのか損したのかもわからない、もしかしたらものすごくぼったくられているかもしれないし、ちょっと得しているかもしれない。

壺を1億円で売るのは詐欺だというのは本当か? 〜商売と詐欺の境界線〜

値札がついていない世界で、商売をぼくたちが成立させてしまった以上、たとえ壺を1億円で買ったとしてもそれは詐欺ではなく、両者の交渉が成立した上での立派な商売だと見なされることだろう。ぼくたちは商人に、十分気を付けなければならない。

 

・ハノイで出会った素朴に見せかけた女性商人

今ぼくはベトナムにいる。今日もバイクと人で混乱するハノイの街の中を歩き回っていた。するとひとりのベトナム傘を被った籠を背負った女性商人に呼び止められた。ベトナムの人々が素敵なところは、ベトナムの傘や籠など、一瞬でベトナムらしいと気づかされる民族的特徴を併せ持つ格好を、ハノイという都会でも文化として保っているところにある。日本の都会に、一目見て日本人の格好だとわかる民族的特性を保っている人がどれほどいるだろうか。

ぼくはいつもは呼びかけてくる商人など断じて無視するのだが、暑さに疲れていたのとそのベトナム傘が素敵だと思い立ち止まってしまった。なんだかその素朴なベトナム傘に、この人は悪い人なんかじゃないと信じさせる力があったのだ。女性商人はおもむろに沖縄のサーターアンダギーのようなお菓子を取り出し、食べて見なさいと差し出して来た。

こういうものはデパートの試食コーナーと一緒で食べてしまったらだいたい買わないわけにはいかなくなるのだが、どういうわけかうっかり食べてしまい、案の定買う羽目になった。小さいビニール袋に数種類のサーターアンダギーを詰めて、150000ドンだと言ってきた。

その瞬間ぼくのその女性商人を見る目が変わった。なんと欲張りな人間なのだろう!!!150000ドンと言えば750円くらいである。ベトナムでこんな素朴で少量のお菓子が150000ドンのはずがない!不思議なベトナム傘に魅せられて惑わされ忘れていたが、大抵商人など信じるに値しないのだ。ましてや道で呼び止めてくる奴にろくな奴がいるはずがない。

こんなに素朴に頑張って可愛いお菓子を売っている優しそうなおばちゃんの商人も、正体は金に目の眩んだ法外な値段を突きつける強欲なただの商人だったのだ!ぼくは心底がっかりして、サーターアンダギーを突き返したが、じゃあ50000ドン(250円)くらいでと一気に3分の1にまで下げられたのでそのまま買ってしまった。しかしこの値段でもボッタクられた可能性は否定できない。

なにもわからない無垢な旅人に少なくとも3倍の値段はふっかけていたとまざまざと見せつけた上で、そのまま罪の意識もなく軽やかに商売を続けていけるなんてやはり商人の根性はたくましい。

 

・ライブハウスの烏龍茶の錬金術

今度はぼくの大学生時代の話だ。ぼくは機会があって沖縄のライブハウスへ入り込んだ。ライブハウスの入場料は1000円だか1500円だか忘れたがきっちり払い中へと入って行った。すると中ではドリンクをひとつは注文しなければならない決まりになっているという。

どこの誰が決めた規則か知らないが、規則ならば従わないわけにはいかない。ぼくは600円を支払って烏龍茶を注文した。すると店員が、ぼくの目の前で、コップの中に大量の氷を投入した後、かの有名なサントリー烏龍茶の2Lペットボトルから、ほんのちょっとだけをコップに注いでぼくに渡してきたのだった。

ぼくは衝撃のあまり目が眩んだ。目の前でまるで錬金術を見せられているような思いだった。サントリー烏龍茶の2Lペットボトルなんてスーパーで買えば100円前半で買える商品である。その中からほんのちょっとの量を注いだだけで、ぼくの大切な600円と変えられてしまうなんて正気の沙汰とは思えない。100円円前半のほんの一部を600円と強制的に変換させようとするなんて、商売というものは嘘や偽りでしかないのだと大学生のぼくはその時確かに感じてしまった。そして商人とはなんと欲張りなものだろうとひしひしと感じた。

場所代だとか電気代だとか人件費だとか言われるかもしれないが、もう一度言うと高い入場料はきちんと支払っているのだ。それに加えて強制的に支払わされた600円の錬金術に、商売に対する不信感が募るだけ募った。

 

 

・auにおける愚鈍な人からの月額300円の搾取

金というものは思慮深い賢い人からは奪いにくい。いつもお金を知らず知らずに奪い取られているのは、自分で思考する能力のない愚鈍で無知なぼんやりと生きている人々である。

馬鹿からお金を奪えるだけ奪ってやろうという欲張りで無慈悲な姿勢を、ぼくは携帯電話会社のauで目撃した。携帯電話を機種変更する際に、機種変更代を安くする代わりに月額300円のサービスに入ってもらうように決まっているとぼくに説明してきたのだった。しかしその月額300円は1ヶ月無料なので、1ヶ月経ったら自分で解約してくださいねというものだった。

auが何を狙っているのかは、火を見るよりも明らかだった。馬鹿で愚鈍な人々が、1ヶ月したら月額300円のサービスを解約するのをすっかり忘れ、そのまま継続的に客から毎月300円を搾取してやろうと企んでいるのだ。もしくは馬鹿な人だけでなく、携帯を操ることに慣れていない解約しにくいお年寄りの人々からも、まんまと金を巻き上げてやろうと企んでいることは容易に想像がつく。

 

 

・人々よ、大いに欲張りなれ

商人というものはいつも欲張りだ。それはぼくが何カ国にも渡って商人と接してきて作り上げた思想だ。そして外国でだけそうで、日本ではそうではないということはないだろう。

しかし資本主義のこの世の中、金を儲けた人が一番偉いのだ。そして大いに欲張りになり、金儲けをすることが推奨されている。人々は大いに強欲になるべきだ。人々は大いに貪欲になるべきだ。人々は大いに欲張りになるべきだ。人の世がそのように語るのだから、それに従うしかないだろう。

誰もが贅沢な暮らしを望んでいるというのは本当か? 〜武士道の経済観念〜

商人でないぼくたちは、ただひたすらに自分を守り抜かねばならない。強欲がどこからも襲いかかる、貪欲が無条件に降り注ぐ、欲張りな心がうまく騙せる愚鈍な人種を待ち構えるような無慈悲な街の中で、ぼくたちはひとつひとつ賢くなり、ひたすらに降り注ぐ商いの悪意から、自分自身とその命の身代わりであるお金を大切に守らなければならない。

お金が卑しいものであるというのは本当か? 〜お金とは自分の命そのもの〜

奪われてはならない。搾取されてはならない。どうせ与えるのならば、醜く深い欲望の元へではなく、ふさわしい者たちへと。

 

 

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