「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を見ていても子供はちゃんとした大人に育つゾ!!!!!
クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は子供に悪影響だから規制すべきだというのは本当か?
・クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は子供に悪影響だから規制すべきだというのは本当か?
・クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は世界中に普遍的な笑いをもたらす
・「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は男性の野生的で普遍的な直感に根ざしている
・「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を見て育っても、子供は立派な人間に育つ
・クレヨンしんちゃんのその他の記事一覧
目次
・クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は子供に悪影響だから規制すべきだというのは本当か?
クレヨンしんちゃんといえば子供の間で大人気のアニメだが、その一方で親たちからは「下品だ」「子供に悪影響だ」と否定的な意見も少なくない。特にしんのすけが生殖器を丸出しにして行われる「ゾウさん」踊りや、お尻を丸出しにして行われるコミカルな「ケツだけ星人」は子供が真似したら困ると非難が殺到し、今では放送できない状態のようだ。
ぼくも幼い頃はしんちゃんの口真似をしたり、お風呂上がりに「ゾウさん」や「ケツだけ星人」の真似事をしたりすると「もうクレヨンしんちゃんは見せない!」とお母さんによく怒られたものだ。それくらいクレヨンしんちゃんは今も昔も大人気で、子供に大きな影響力のある存在だが、「ゾウさん」や「ケツだけ星人」がないクレヨンしんちゃんなんて本当のクレヨンしんちゃんじゃないと思うし、少しさみしい気がする。
今の子供たちだって「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を見たら昔の子供たちのようにとても愉快で楽しい気分になるに違いないのに、その感覚を受け継げなかったことは残念だ。果たして本当に「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は下品で、子供に悪影響で、規制すべきものだったのだろうか。
・クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は世界中に普遍的な笑いをもたらす
ぼくが世界一周の旅をしていて思ったことは、アニメクレヨンしんちゃんは世界中で大人気だということだ。キャラクターが知られているだけではなく、中国や台湾の友達とはクレヨンしんちゃんのテーマソングさえ一緒に歌えるという有様で、その人気が偽物ではないことをうかがい知ることができた。クレヨンしんちゃんはもはや、世界に誇れる日本の文化ではないだろうか。
母親に「みさえ」と呼び捨てにしたり、遠慮なく繰り出されるゲンコツ攻撃だったり、子供のくせにお姉さん好きでエッチだったり、「クレヨンしんちゃん」の非常識な面白さは数多くここではとても語り尽くせないが、なんと言っても最もインパクトがあり衝撃的な面白さを代表していたのが、何を隠そう「ゾウさん」と「ケツだけ星人」ではないだろうか。
クレヨンしんちゃんの面白さの中には日本語を変な風に言い間違えたり、日本の一般的な風習やしきたりから大きく外れた行動を起こしたりして、日本文化の独自の観点から笑いを取るものも多い。それゆえに日本のことをよく知らないと、どこが笑いかわからないという場合もあるだろう。そんな中でもクレヨンしんちゃんが世界中で大人気なのは、まさに「ゾウさん」や「ケツだけ星人」があったからではないかとぼくは予想している。
ゾウさんやお尻がおもしろくおかしいというのは、日本だけに限らず世界中全ての人類にとって共通した笑いの感覚だろう。ゾウさんを持たない男の人はいないし、お尻を持たない人間もいない。そしてゾウさんやお尻は普段隠すべきだと言われているにも関わらず、みんな心の中ではそのことがとても気になっており、その話題が出ると爆笑が生まれるというのも世界中の人間に共通している真理だ。人類にとって野生的で普遍的な笑いを提供できるという点で、「ゾウさん」や「ケツだけ星人」はクレヨンしんちゃんの価値ある財産だったのではないだろうか。
・「ゾウさん」や「ケツだけ星人」は男性の野生的で普遍的な直感に根ざしている
ぼくが周囲を観察して思うことは、「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を非難しているのはお母さんや女の人が異様に多いのではないかということだ。逆にお父さんや男の人で「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を自主的に批判している人をほとんど見たことがない。それはなぜか。男の子というのは多かれ少なかれ「ゾウさん」や「ケツだけ星人」のような種類の行動をしたがるものだと、自分の経験や精神構造から理解しているからではないだろうか。
逆にお母さんや女性は「ゾウさん」や「ケツだけ星人」をしたがるという男の子の本来持って生まれた性質や習性を理解し切れず、自分の理解の範疇を超えたものに対して恐怖を覚え、おそれを感じ、自分の理解できなものはそばに置いておきたくはないと、その理解不能な性質を押さえ込もうと躍起になってしまうのではないだろうか。
男女平等が叫ばれて久しいが、男と女は全く別の性質を持っており決して同じにはならないと、人としてきちんと生きていけばいくほどに気づかされるだろう。そもそも異なっているから「男」とか「女」という風に分けられて別々の名前まで与えられているのだ。全く同じものだったらこのように分けられた名前がつけられるはずがない。そしてその男とか女とかいうものの本質や習性は、幼い頃から発現しその違いが明白になることもしばしばである。
その男の子の本質的な習性として挙げられるのが、クレヨンしんちゃんのように裸になりたがる傾向があるということではないだろうか。それはもはや理屈ではなく、生まれる前から決まっていた野生の直感だ。男の子や男性はこのような直感を心の中で確かに感じ取っているからこそ、「ゾウさん」や「ケツだけ星人」に共鳴し、密かに共感し、人類に普遍的なこの野生的直感に導かれ、日本という国を飛び越えて人間単位として世界中で大人気になっているのではないだろうか。男性の直感や習性は国や地域によって変わることのない、世界中に共通した普遍的な感覚だ。この世界中の男性に底通する直感の部分を「ゾウさん」や「ケツだけ星人」で刺激したからこそ、クレヨンしんちゃんは世界中で愛されることに成功したのではないだろうか。
・「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を見て育っても、子供は立派な人間に育つ
では幼い頃からクレヨンしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を見て育った子供たちは、果たしてどうなっているのだろうか。いつまでも「ゾウさん」や「ケツだけ星人」の真似を繰り返し、それが大人になっても続いて露出狂として刑務所で暮らしているだろうか。常識から逸脱した行動を繰り返し、規則や法律を破り、他人に迷惑をかけながら反社会的な生活を営んでいるのだろうか。
そんなことないのは明白だ。みんなちゃんとしているし、立派な大人となり活動している。自分の例を出すと、ぼくは「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を楽しく見て育った自由な世代だが、そんなクレヨンしんちゃんのビデオを見ながら試験勉強をし、中学高校で学年1位の成績を維持し、医学部に入学し医者になった。もちろん人前で「ゾウさん」や「ケツだけ星人」なんかしていない。下品で常識から外れたクレヨンしんちゃんをよく見ていたって、幼い頃は「ゾウさん」や「ケツだけ星人」の真似をしていたって、ちゃんとした大人に育つのだ。今の幼い子供達から楽しい「ゾウさん」や「ケツだけ星人」を取り上げてしまう理由は、一体どこにあるのだろうか。
子供たちにとって何よりも大切なものは、野生の直感に触れることではないだろうか。「ゾウさん」や「ケツだけ星人」や「裸」が下品な悪だと決めつけて、大人の意見として排除するのは簡単だ。しかしどんなに排除したって、男の子には必ずゾウさんがついているし、人間には必ずお尻があるし、お風呂に入るときには丸出しの丸裸になるのだ。「ゾウさん」や「ケツだけ星人」や「裸」を否定することは、子供たちが自分自身のありのままの姿を否定することに繋がるのではないだろうか。子供たちが本当にすべきことはありのままの自分を否定することではなく、自分自身の「ゾウさん」や「ケツだけ星人」や「裸」と向き合い、対峙し、その動物的で野生的な部分を思い通りに開放し、自由に表現することではないだろうか。
大人になれば自分の動物的な部分や野生的な部分を抑え込み、抑圧し、動物ではなく「人間らしく」生きるために我慢ばかりしなければならない運命になる。せめて子供のときくらいは自分の動物性や野生的直感と思いのままに向き合い、自由に表現し、心の豊かな情緒を育てることが許されるべきではないだろうか。ぼくはその触媒としての「ゾウさん」や「ケツだけ星人」の放送が許された大らかな時代に子供であれたことを誇りに思うし、過去の時代でも今の時代でも変わらず営まれる子供たちの心の成長過程のために、「ゾウさん」や「ケツだけ星人」はふさわしい題材であると思う。おかしな正義感や理解できないという恐れに惑わされ、日本が世界に誇る表現の多様性を妨げてはならない。
・動画配信サービスでクレヨンしんちゃんをチェックしてみよう!
・クレヨンしんちゃんのその他の記事一覧
まつざか先生の出身地は?実は田舎者であだ名は“田植え姫”?!クレヨンしんちゃんのまつざか先生が六本木生まれだというのは本当か?