この世には永遠がないというのは本当か? 〜永遠の正体〜

 

この世には永遠がないというのは本当か? 〜永遠の正体〜

・「永遠」という日本語の存在
・永遠の愛は偽りに満ちている
・永遠に続くものなんてこの世にはない
・永遠に残るものなどないのに、ぼくたちは何のために生きているのだろうか
・自らを生かすための永遠の発見
・谷山浩子「恋人の種」

・「永遠」という日本語の存在

「永遠」という日本語が存在し、ぼくたちはそれを多用する傾向にある。歌詞の中でも「永遠」という言葉がしばしば出てくるし、結婚式でも「永遠の愛」をキリストの神の前で誓わされる。「永遠」というものは、概してポジティブな意味合いで使われることが多いようだ。

「永遠」という言葉があるからには、実際にこの世には永遠なるものが存在しているように思えるが、よくよく考えてみると、永遠に続くものなんてそうそう思いつくものではない。ぼくたちはあまりに容易く「永遠」という言葉を多用しているが、実際に永遠に続くものなんてこの世にあるのだろうか。

 

 

・永遠の愛は偽りに満ちている

歌詞などでよく「あなたを永遠に愛する」などと歌われることも多いが、しっかりとよく考えてみると、人間が誰かを”永遠に”愛することなんて不可能だ。だって人間はたった100年くらいで絶対に死んでしまうのに、どうやって”永遠に”他人を愛することなどできるだろうか。永遠というのは100年よりも、人間の一生よりも、もっともっとはるかに長い時間のことなのだ。この世でどんなに深く愛していたとしても、死んでからもなお愛することなんて不可能だろう。もしも死んでも心を持ち続け愛していたならば、それはお化けかバケモノと呼ばれる不吉なもののけであるといえよう。

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同様に結婚式でしきりに誓わされる「永遠の愛」なんていうのも、実際にはあるはずがない。人間が誓えるのはせいぜい長くても「この一生限りの愛」くらいのものだろう。この一生だけならば、なんとか誰かを愛し続けられるかもしれない。しかし100年ほどの人生が終わって、死んでからも愛し続けられたならば少し不気味である。もしも輪廻転生があったとして、前世の「永遠の愛」を律儀に守り抜き生まれ変わってからも、この世のどこにいるかもわからない前世の相手を求めて彷徨い歩く結果になろうものならば、不憫なことこの上ない。本当に相手を愛しているのなら、結婚式で誓うのは「今生限りの愛」くらいにしておいて、来世では自分を探して彷徨わないようにしてやることも一種の思いやりではないだろうか。

 

・永遠に続くものなんてこの世にはない

周囲を見渡してみても、永遠に続くものなんて何ひとつ見当たらない。お釈迦様が今際の際に「諸々の事象は移ろうものである」と遺言を残されたように、まさにそのようにこの世では永遠に同じように留まるものなど何ひとつないのだ。仏教では人生は「生老病死」すなわち生まれて老いて病んで死んでいくための苦しみの期間であると説かれるが、まさに永遠に若く健康でいられる人なんてこの世に皆無である。どんなに立派な王様でも、たくさんの人を救った医者でも、権力のある政治家でも、「永遠」を手に入れることは叶わず、絶対に最後には病んで苦しみの中死んでいくのだ。それは人間だけではなくて、あらゆる生命にとっても言えることだろう。

生命ばかりではなく、物質でさえ永遠なんてあり得ない。永遠にその形状や、機能を留められるものがこの世にあるだろうか。どんなに最新の美しいiPhoneでも、高級なブランド物のバッグでも、頑丈で巨大な岩石でも、いつかは砕かれその機能を果たさなくなる。動物も植物も物質も、有機物も無機物も、永遠を手に入れることなどできない。さらには地球でさえ、何億年後には膨張した太陽に飲み込まれて消滅してしまうというのだから、そもそもその上に存在しているすべて、森羅万象が永遠に触れることなどあるはずがないのだ。

もしも人間の生命には100年の限りがあるのだから、せめて子孫を残して生命を”永遠に”繋げてゆくことに貢献しようと頑張っても、実際には未来で地球が消滅してしまうというのだから、永遠の子孫の繁栄などもあるはずがない。

 

 

・永遠に残るものなどないのに、ぼくたちは何のために生きているのだろうか

そう考えてみると、ぼくたちは何のために生きているのか非常に気にかかる。この世に永遠なんてないのに、永遠に残るものなんて何もないのに、ぼくたちは何のためにこの世を必死に生き抜いて、何かを残そうと努力しているのだろうか。一生に100年の限りがあるというのなら、死ぬまでにこの世に何かを残せばいいと単純な思考回路ならそう信じられる。しかしたとえ子孫を残してもやがて消滅、お金を残してもやがて消滅、優れた先品を残してもやがて消滅、地位や名声を残してもやがて消滅するというのに、永遠には何も残せないというのに、何ひとつ残したって結局は無駄なのに、一生なんてあってもなくても変わらなかったのに、一体ぼくたちは何を目指して人生を生きていけばいいのだろうか。本当にこの世には永遠に残るものなど何ひとつないのだろうか。

ぼくたちにはこの一生を生き抜くために、自らの感性で「永遠」を発見しなければならないのではないだろうか。誰がなんて言おうと、永遠であると信じられるもの、心から信仰できるものを見出し、それに祈りを捧げながら、永遠に残ることを願いながら、必死にこの人生を貫くようにして生きるべきではないだろうか。もしもあなたなら、どこに「永遠」を発見するだろうか。親も学校の先生も教えてくれない、どんなに立派な学問でさえ見出しきれない、古くからの宗教でさえ明確には答えない、自分自身で孤独にさがし求めるしかない尊い生命のための「永遠」を、あなたはどのような国に見出すだろうか。

自分にしか見えない、自分が生きるための、自分だけの「永遠」を、誰もがその感性により発見すべきだろう。

 

 

・自らを生かすための永遠の発見

ぼくの感性が直感的に、野生的に、自発的に見出した永遠の住処は、何かを創造する時に自らの核に感じる”熱”である。切なる願いや思いの熱量は、もしかしたら永遠に残るのではないだろうか。たとえこの肉体が滅んでも、心を喪失しても、その先にも永遠に、命さえ超えて、見えない願いや思いの熱は確かにこの世界に留まり、その熱量は見えない次元でその他の熱と影響し合い動かし続け、その結果として新たな熱を発生させるのではないだろうか。

孤独と絶望により絶え間なく生み出される熱量は、この世から消えない願いを抱きしめながら、永遠を描き出す原動力として、この肉体をして創造せしめる。ぼくが信仰しているのは神でも仏でもなく、自らの感性が生み出す創造の熱量だけだ。

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・谷山浩子「恋人の種」

”その人に残るのは たったひとつの
宇宙さえ震わせる願いだけ
こんなにもこんなにも君に会いたい
さみしくてさみしくて君に会いたい

たとえ永遠がぼくたちを隔てても
たどり着くぼくは君に たどり着くいつかきっと

再びこの星に静けさが訪れて
その姿が消えた後も 思いはそこに残るだろう”

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