クレしんは昔の方が面白い理由を徹底考察!ひまわりがいらないというのは本当か?

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クレヨンしんちゃんは昔の方が面白かった?!

クレしんは昔の方が面白い理由を徹底考察!ひまわりがいらないというのは本当か?

・野原家は放送当初3人家族だった
・衝撃的だったひまわりの誕生
・クレヨンしんちゃんは昔の方がよかったというのは本当か?
・ひまわりの誕生により野原家の中心はしんのすけからひまわりに移行した
・しんのすけをしっかり者のお兄ちゃんキャラにしてしまったひまわりの罪
・ひまわりがいらないというのは本当か?

・野原家は放送当初3人家族だった

クレヨンしんちゃんの野原家は4人家族、すなわち父親のひろし、母親のみさえ、そして子供のしんのすけと赤ちゃんのひまわりである。野原家=4人家族という事実は、日本中で常識中の常識となっている。しかし今では常識となっていることでも、昔はそうじゃなかったという出来事は度々起こる。しんのすけの家族は、昔は4人ではなかったのだ!

 

 

・衝撃的だったひまわりの誕生

クレヨンしんちゃんが放送開始した1992年4月、野原家はまだひろし、みさえ、しんのすけの3人家族だった。つまりひまわりは、かなり後になってから物語の流れの中で生まれて来た赤ん坊だったのだ!アニメでは1996年9月27日のクレヨンしんちゃんスペシャルの「赤ちゃんが生まれたゾ」という回でひまわりが誕生したのだった。

ちなみにそれまでのみさえの妊娠発覚「母ちゃんが死んじゃうゾ」の回から、ずっとみさえの妊娠生活がアニメとして放送されていて、当時子供だったぼくは妊娠とはこういうものなのかと非常に勉強になった。当時はどうやったら赤ちゃんができるのかその秘密を全然知らなかったぼくは「赤ちゃんができた」と報告するみさえの顔が恥ずかしげに赤かった理由も全く理解できなかったが、みさえが悪阻で嘔吐しまくっていたり、検診に行ったり、胎教を行なっていたり、妊婦も色々あって大変だなと子供心に感じていた。

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妊娠発覚からアニメが進んでいくと徐々にみさえのお腹も大きくなっていき、妊娠の苦労を耐え抜いてひまわりが誕生したクレヨンしんちゃんスペシャルを見たときには、本当に知り合いのおばさんがお赤ちゃんを産んだみたいで感動したものだった。ひまわりが生まれたことは本当に心の底から嬉しかったが、しかしこのひまわり誕生によりクレヨンしんちゃんがだんだんと変わっていくなんて、このときは知る由もなかった。

 

・クレヨンしんちゃんは昔の方がよかったというのは本当か?

「クレヨンしんちゃんは昔の方がよかった」「クレヨンしんちゃんは面白くなくなってしまった」という意見をたまに見かける。もっと過激なのは「ひまわりはいらない」という意見も見受けられる。実際にぼくもクレヨンしんちゃんは昔の方が断然面白かったと思っている種類の人間だ。特にひまわりが生まれる前の3人家族の時の方がはるかに面白かったと感じている。それは子供時代に見たしんちゃんが懐かしいあまりに時代の変化についていけずに、今の状態を受け入れることができない「昔はよかった」とただひたすらにぼやく人間の意見だと見なされるかもしれない。

確かにそういう面もあるかもしれないが、ぼくはなぜクレヨンしんちゃんがいつどこから面白くなくなったのかをきちんと説明できる自信がある。きっかけはやはり「ひまわり誕生」だとぼくは思うのだ。

 

・ひまわりの誕生により野原家の中心はしんのすけからひまわりに移行した

まだ野原家が3人家族の時、クレヨンしんちゃんの面白さはひたすらにしんのすけのキャラクターに集中していた。しんのすけが大胆に「ゾウさん踊り」をしたり、コミカルに「ケツだけ星人」をしたり、みさえのブラジャーやおパンツをかぶるという常識から逸脱した行動をとったり、みさえの口紅で落書きしたりして破茶滅茶にイタズラするなど、とにかくしんのすけの行動の一挙一動に渾身の笑いが込められていたのだ。

それに加えてしんのすけのキャラクターも魅力的だった。しんのすけはもともと、オトボケキャラというかあまりハキハキしていないマイペースなキャラクターだったのだ。そのユルさがなんとも心地よく、大胆なギャグとおかしなユルさがマッチして、絶妙な笑いを生み出していた。しかしここにひまわりが加わったことにより、どのような事態が生じただろうか。

どこの家庭でもそうだが、赤ちゃんが生まれると赤ちゃん中心の生活となる。一番幼く一番何もできない赤ちゃんを生活の中心として家庭が回っていくことになるのだ。クレヨンしんちゃんもひまわりが生まれたその後ずっと、家庭内ではひまわりの話題で持ち切りだった。ひまわりが可愛いし最初はそれでもよかったが、だんだんぼくは違和感を覚え始めた。ぼくたちは何も、赤ちゃんが主人公の赤ちゃんアニメを見たいわけではないのだ。いきなり赤ちゃんが登場して、赤ちゃんが中心のアニメになってしまい、なんとなくそれは違うだろうという違和感を感じた。

今までは家庭内でしんのすけが一番年下だったから、野原家はしんのすけ中心に回っていたのだ。クレヨンしんちゃんではしんのすけが主人公なんだからそれが当たり前ではあるものの、見ている子供達はしんのすけと同い年くらいの自分と重ね合わせるという楽しさもあったのだ。しかしひまわりの誕生により、家庭の中心がしんのすけからひまわりへシフトし、しんのすけの活躍や迫力が否が応でも薄められていくような感覚に、残念な気持ちを抑えることができなかった。しんのすけにはずっと周りの目なんか気にせず、100%の幼児的パワーを発揮していてほしかったのだ。ひまわりの存在はしんのすけの勢いと野生のパワーを、確実にクールダウンさせてしまった。

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・しんのすけをしっかり者のお兄ちゃんキャラにしてしまったひまわりの罪

ひまわりが生まれたことにより変わったのは、家庭の中心だけではなかった。ひまわりという「妹」が生まれたことにより、しんのすけは「お兄ちゃん」になった。そしてお兄ちゃんなんだからしっかりしなければならないという一般的で模範的な思想のもと、意外なことにしんのすけはだんだんと成長し、しっかりしてしまった!

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これほど残念なことはない!しんのすけは能天気で、おバカで、しっかりしていないからいいのだ!しっかりしているしんのすけなんて、ぼくたちの知っているしんのすけではない!しかしひまわりが誕生してから確実に、しんのすけは変わり果ててしまった。それはクレヨンしんちゃんを毎週見続けてきた子供だからこそわかるゆっくりとした変化だった。

衝撃的だったのはひまわりがみさえの口紅で落書きのイタズラをした時、しんのすけがお兄ちゃんだからしっかりとして、ひまわりを叱り、落書きを消そうとしていたことだ!こんなことがあっていいのだろうか!しんのすけはおバカで、いたずら好きで、ちょっと前までは自分がみさえの口紅で思いっきり落書きするのが定番だったのに、ひまわりが生まれてしまったばっかりにそのイタズラ役をひまわりに奪われ、なんとしんのすけはかつて自分を叱っていたみさえのように、しっかりとした保護者目線からひまわりのイタズラを抑え込もうとしたのだ!

ぼくにとってこんなに悲しいことはなかった!あのみさえの口紅でイタズラばかりしていたしんのすけが、今はみさえの口紅でイタズラしている者を制裁している…。これはしんのすけが「お兄ちゃん」になったゆえの成長だと、普通なら喜ばしいことだと感じなければならないが、当時のぼくには悲しみしかなかった。ぼくの見たかったクレヨンしんちゃんはもうないのだ。天真爛漫に、自由な発想でイタズラばかりして、親から怒られても怒られてもメゲないその力強さとストイックさに関して、ぼくはしんのすけを敬愛していたのに、妹が生まれてしまったばっかりに今度はしんのすけが叱る側になるなんて誰も望んでいない残酷な運命だ。

じゃあこれからはしんのすけの天真爛漫さを、ひまわりが引き継ぐというのだろうか。はっきり言ってそんなアニメ見たくはない。先ほども書いたが、ぼくたちは5歳児のしんのすけが主人公のアニメを見たいのであって、赤ちゃん番組なんかを見たいわけじゃ決してないのだ。ひまわりが天真爛漫で、イタズラ好きだったら何か面白いだろうか。何もわからない赤ちゃんなのだからイタズラ好きで、いろんな悪いことをしでかしても何ひとつ不思議でも意外でもないし、それはただの至極当然な行為だ。赤ちゃんがイタズラして可愛いだけの番組なんて全然興味がない。しんのすけというある程度知能の発達した分別のつくはずの5歳児が、分別のつかない常識はずれのイタズラで暴れまくるからこそ、そのギャップが面白いはずだったのに、その特権を後から来た赤ちゃんに奪い取られ、赤ちゃんが分別のつかないイタズラをしたところで何ひとつのギャップさえなく、面白いと感じられるわけがない。

ひまわりが誕生したことをきっかけとして、家族の中心がひまわりへと移行してしまい、赤ちゃんがいるから野原家の行動範囲の幅も狭まり、おまけにしんのすけからイタズラ好きのマイペースキャラを奪い取り、しんのすけをしっかりもののハキハキしたお兄ちゃんキャラへと変えてしまった。しんのすけは時代が経つごとにさらにしっかりし、ハキハキし、のんびりと喋っていた昔のおとぼけマイペースキャラの面影なもはや残されていない。

 

 

・ひまわりがいらないというのは本当か?

ぼくはクレヨンしんちゃんの動画を見る際も、常にひまわり誕生前の動画を潜在的に選び取ってしまう。ひまわり誕生前と誕生後では明らかにクレヨンしんちゃんの世界観に差があり、ぼくの大好きだった天真爛漫でイタズラ好きのマイペースなしんちゃんは3人家族の時にしか存在していないからだ。逆にひまわり誕生後からクレヨンしんちゃんの視聴を始めたような人は、4人家族の面白さが自分の中の基準となっており、3人家族の頃のクレしんはなんだか変だと違和感を感じるのかもしれない。

「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」というのは、ブッダ(お釈迦さま)の遺言だ。全ての物事は移り変わるという意味だ。ブッダの言うように全てのものは移り変わるのだから、クレヨンしんちゃんだって変わってしまっても仕方がない。それを受け入れて楽しみ続けるか、違和感を覚えて昔の作品を楽しむかはその人の生き方次第だ。ぼくは3人家族のしんのすけの雰囲気が、もはや「面白さ」の確固たる基準となってしまっているので違和感を感じずに楽しむために3人家族の方を選び取っているまでだ。それほどまでに自分の中で築き上げられた「面白さ」の基準を、クレヨンしんちゃんの中で破壊してしまったひまわりの衝撃はやはり大きかった。

ひまわりは確かに可愛い。子供のぼくたちに妊娠とは何か、妊婦とは何か、出産とはどんな感じか、赤ちゃんとはどんな感じかを教えてくれた先生でもある。しかしその可愛さに気を取られ、ぼくたちがひまわりによって奪われた大きな損失に気づいたのは、だいぶ後になってからだった。しかしあそこでひまわりが生まれていなければ、ネタ切れになってクレヨンしんちゃんはもう放送されなかったのかもしれないし、家が爆発したりミッチーヨシリンが出て来たり、色々時代の流れと共に豊かに変化するのがクレヨンしんちゃんの特徴なので、まさにブッダの言う通り、移り変わる諸々の事象を受け入れる他はないのかもしれない。

ひまわりによって奪われたものがあっても、奪われる前の動画は豊かにたくさん残存しているのだ。どうしても奪われたものの存在が大きすぎると絶望してしまった時、ぼくたちは奪われる前に戻ることができるのだから、常に安心だ。

 

 

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