普通には生きられない全ての孤独な魂たちへ!人と異なる人生を歩む人は、幸せになれないというのは本当か?

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普通には生きられない全ての孤独な魂たちへ!人と異なる人生を歩む人は、幸せになれないというのは本当か?

・ぼくたちはどう生きるべきか
・人はみんなと同じ普通の人生を歩みたい
・普通に生きられない宿命を持った魂
・普通に生きている人間の悪意
・普通ではない人間は幸せになれないというのは本当か?
・〜供物〜
・旅する直感に従って生き抜いた先でもたらされたもの
・普通ではない人生を歩み始めたからこそ
・大学の卒業アルバムの言葉
・ぼくが旅に出る理由の記事一覧

・ぼくたちはどう生きるべきか

ぼくたちはどこから来てどこへ行くのか、誰も知らない。生まれる前はどこにいて、死んだ後はどこに行くのか、それを答えられる者はない。しかしぼくたちが人として、どのように生きていけばいいのかを把握することは難しくはない。

それはすなわち自分のお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんがどのように生きてきたのかという物語や歴史を学び取り、吸収し、それを模倣することで大きく人間らしい生き方から外れることはないのではないかということだ。また家族や血縁ではなくても、ぼくたちの周りにはそれ以外の多くの人間や人生のサンプルが存在しているので、それらを分析し総合的にまとめ上げることで、普通の人生とはどのように歩むべきものなのかという道筋を何となく形成することは可能だろう。

ぼくたちが普通の人生を歩むと言うことは、それほど難しい技術ではない。

 

 

・人はみんなと同じ普通の人生を歩みたい

誰もが普通になりたがり、誰もが普通の人生を歩みたがる。それは普通の人生が、最も傷付くことの少ない安全な道のりだということを潜在的に理解しているからだ。普通の人生は文字通りその辺に転がっているので、それらの真似をすればいいだけなので自分自身で新しい生き方を開拓・模索しなくてもいいから気が楽だし、何か問題が起きた際にも周囲から助言を受けて解決方法を見つけ出しやすい。またみんなと同じような生き方をしているので、一体感も生まれるしお互いに協力も受けやすいだろう。

みんなと同じように生まれて、みんなと同じように学校へ行き、みんなと同じように就職して、みんなと同じように労働し、みんなと同じように結婚して、みんなと同じように生殖して、みんなと同じように子育てして、みんなと同じように老いて、みんなと同じように病気になり、みんなと同じように死んでいくならば、困難な人生という名の道のりであっても人は孤独感を感じにくく安らぎを得られるだろう。なるべく安全に生きるならば、なるべく傷付かずに生きるならば、なるべく危険を冒さずに生きるならば、みんなと同じような人生のレールを大人しく従順に歩んでいくことが重要だ。

逆に敢えて普通という軌道から外れて、普通ではない人生の荒野へと歩み出す者は少ない。普通に生きられるというのに、普通を手放すような魂があるだろうか。人間は基本的に臆病であり、慎重であり、楽な方に流れ下る性質を持っており、そのような集団が普通の生き方へと逃げていくのはごく自然な成り行きだ。

 

・普通に生きられない宿命を持った魂

しかし人間の中には、普通に生きることを拒絶する運命にある魂もある。本来ならば他のみんなと同じように傷付かないように、楽になれるように、臆病で保守的になれるように、流れ下るような普通の人生を歩みたいけれど、それが許されないということが生まれた時から決まっている宿命を背負った魂もある。それは敢えて安全な道を選ばず、それは敢えて傷付かぬ道を選ばず、それは敢えて普通の道を選ばず、逆に「死」や「恐れ」や「危険」に最も近い困難で孤独な旅に出ることが約束されている。

普通に生きられない人が最も恐ろしいのは、他の普通に生きている人々の模倣ができないということだ。ただ単に何も考えずに他人に合わせて流されるように生きているだけならば、自分の人生の参考になる生き方が周囲にいくらでも存在するので、真似をしたり同調したりすることで楽に生きられやすい。

一方で普通ではない人生ならば他の人とは異なる唯一無二の生き方になりやすく、自分自身の独特で特別な人生の参考になるロールモデルがどこにも見当たらずに、誰の猿真似をすることもできずにただひたすらに自分自身の生き方は自分自身で発見し、開拓し、創造していかなければならない。普通ではない孤独な生き方は創造的でならねばならないという点において常にアーティスト的であり、フロンティア的であり、遡上的であり、周囲の真似をしながら流されるように生きる人々よりも何百倍ものエナジーを必要とするだろう。

 

・普通に生きている人間の悪意

さらに厄介なことは、普通に生きている人間は普通に生きていない人間を敵視し、見下し、排除しようとする傾向にあるということだ。普通であるということはメジャーであるということであり、多数派ということであり、みんなと同じということであり、それゆえに自分の生き方こそが正しいのだと思い上がりながら、多数決の傲慢として、自分と同じように生きていない人間を許せなくなっていく。自分は他人の目を気にしながら臆病に我慢して普通の人間として生きているというのに、自由で普通に生きていない人間が自分よりも幸せになることを心の底から憎み、普通ではない人の不幸を願うようになる。

普通には生きられない人間が普通の人々よりも幸せにはなれないという願いは、人の世の中で常識になりつつある。普通に生きている人と普通に生きていない人、どちらが幸せな人生を送れるかと尋ねられたならば、大多数の人が普通に生きている人だと答えるだろう。それは普通に生きている人が多数派の集団となって、権力となって、暴力となって、悪意となって、憎悪の嵐となって、普通ではない人々に襲いかかるということを、人間の世界はそのような残酷な仕組みの上に成り立っていることを、彼らが経験上理解しているからに他ならない。

ぼくたちは普通にならなければ幸福にはなれないのだと焦りながら、普通になれなければ不幸になってしまうと怯えながら、人として生きていくうちに知らず知らずそのように信じ込まされながら、必死に普通へとしがみつく。しかし宿命は残酷にも、普通という安息の地からある特定の魂を無慈悲にもふり落としていく。

 

・普通ではない人間は幸せになれないというのは本当か?

ぼく自身の魂を読み解いていくと、世界を巡る旅に出たいという情熱は明らかに”普通”ではない。なぜならぼくは医師免許という国家資格を持つ医師であり、旅になんか出るよりも普通に医師として労働した方が安心・安全に人生を歩むことができる可能性が非常に高いからだ。普通に医師として働くだけでも世間一般で言えば普通以上の生活を約束されたのも同然であり、周囲の人から羨ましがられる立場にあるだろう。資本主義のこの世の中ではお金を獲得することが何よりも価値の高い行為であり、その観点から言ってもぼくが医師という労働を中断して、無職・無収入となり、世界一周の旅に出るなんて普通に考えたら機会損失も甚だしいし、正気の沙汰ではない。このように医師としての収入も捨てて、社会的地位も捨てて、所属も捨てて、あらゆる人間関係も断ち切って、身一つで世界の旅へと孤独に飛び出していく姿は、常識では考えられないものかもしれない。

旅人の炎

しかしぼくはそのような理屈や論理や常識を乗り越えて、世界の旅に出なければならないという情熱を抱えていた。それはまさしく自らの根源から燃え盛る火炎のような姿をしており、自分自身だけが感受できる他の誰でもない自分自身のためだけの炎だった。この旅する炎という名の直感をひたすらに信仰し、何もかもを捨て去って、過去をふり向かず未来を思い煩わずに、ただ現在(いま)だけを見つめて燃え盛るように生き抜いた時に、どのような世界が目の前に立ち現れるのか、それを人生をかけて実験してみたいと覚悟したのだった。

そしてもうひとつぼくの中には「普通に生きられない人は本当に幸せになれないのか」それを確かめてみたいという主題もあった。この世の中では誰もが普通になりたい、普通に生きなければ幸せになれないと普通に執着している。そして一方で普通ではいられない者、普通にはなり切れないものを機会があれば打ちのめしてやろうとする醜い悪意が常に存在する。この世界の態度はある意味で合理的でもっともらしくも見えるし、しかし一方で冷酷で無慈悲にも感じられる。人間は本当に、普通に生きなければ幸福にはなれないのだろうか。多い者が常に正しくて、少ない者が常に踏み躙られ、まさにそのようにしてみんなと同じように楽に生きる普通の人が何の罪もなく遡上するように傷付きながら生きる普通でない人を満ちた悪意によって排除しようとする、そのような世界の態度に立ち向かわずに生きることなどできるだろうか。

 

・〜供物〜

ぼくは自分自身の身を犠牲にすることによって、人柱としてこの一生を捧げることによって、普通には生きられない宿命を背負った孤独な魂たちが、本当に幸福にはなれないのかを確かめる壮大な実験を始めよう。

 

・旅する直感に従って生き抜いた先でもたらされたもの

ぼくは医師を辞めて、世界一周の旅人になった。医師の高い収入と社会的地位を捨てて、無職の旅人になるなんてまさに普通ではないし、変人か狂人の領域だったかもしれない。自ら進んで普通ではない世界に足を踏み入れる者はない。ぼくは根源に旅する炎を抱えながら生きており、それがぼくを普通ではない世界へと突き動かした。

みんなと同じように生きること、普通に生きること、安全に生きることよりもむしろ、傷付いても恐ろしくても孤独でもいいから、ただひたすらに自らの直感に従って純粋に透明に生き抜くという生き様を描いてみたかった。そのように美しく生きている普通ではない人が周りにいなかったので、それならば自分がその第一人者となって、直感に支配されながら生きた先にある結末を自分自身で確かめてみたかった。他人がそのように危険を冒して生きる姿を安全な場所から臆病に観察するという態度は言語道断であり、自分自身が燃え盛るように生き抜いたその先で巡り会う自分自身だけの世界でなければ意味がなかった。

2018年から世界一周の旅を始めて今年で早7年となり、ぼくはまだ世界一周と日本一周の旅を継続している。途中結果となるがぼくが自らの直感に従った先で出会ったものは、コロナワクチンバイトという天職とそれに伴う巨額の資産だった。コロナワクチンバイトは、ぼくが持っていた「医師という職業」と「旅する情熱」という一見組み合わせることが不可能な2つの要素を見事に合致させてくれるまさに天職だった。ぼくは医師というのは病院というひとつの場所でしか労働できない不便で地味な職業だと思い込んでいたのに、コロナワクチンバイトに出会うことによって医師でも日本全国を旅するように好きな時に好きな場所で自由に労働できることを発見した。また日給10万円を超えることが普通のコロナワクチンバイトは、ぼくに未来永劫に世界の旅をするのに十分な資産をもたらした。

直感にただ従って燃え盛るように生き抜いたとき人はどうなるのか、実際に世界一周して確かめてみた

ぼくは普通ではない人間になったことにより、普通ではない自分だけの医師としての働き方を体得し、普通ではない収入をも手に入れたのだった。それにより未来で永遠に旅することができる自由を手に入れることができるなら、ぼくはこれからも自らの内に燃え盛る旅する炎の直感に従いながらさらに生きることを許されるだろう。コロナ前に3年間病院で労働して650万円貯金して世界一周の旅に出た時は、旅をすればするほどにお金が減っていったが、コロナワクチンバイトで巨額の資産を築いたコロナ後ならば、どんなに世界の旅を続けても資産は減るどころか過去最高値を更新し増え続けるばかりだった。ある程度の大きな資産を築いて適切に資産運用してしまえば、世界経済の膨張に合わせて資産は自動的に増殖し、消費するスピードを追い越してしまうのだった。すなわちぼくは医師として普通ではない生き方をすると覚悟を決めたことにより、若い時代から普通ではない資産形成に成功し、これからも自らの直感に従って普通ではない未来を描けることになる。

 

 

・普通ではない人生を歩み始めたからこそ

「普通に生きなければ幸せになれない」という世間の常識の中の「幸せ」とは、他人と比べることによって得られる相対的な幸せだった。それはつまり他人と比べて収入が高いとか、他人と比べていい暮らしをしているとか、他人と比べて健康だとか、他人と比べて顔がいいとか、そういう種類の基準のわからないあやふやなまやかしの幸せだった。しかしぼくが追い求めている真実の幸福は、それとは真逆の絶対的な幸福だった。他人の目を気にする必要もなく、世の中の空気に惑わされる意味もなく、世間の評価にふり回されることもない、ただ自分だけが感受する誰の目にも見えない自分のためだけの幸福だった。

ぼくは自らの直感に純粋に従って生き抜いた結果として、自分の魂に合致する天職やそれに伴う巨額の資産を与えられた。しかし資産額というのは単なる相対的な数字であり、仮にお金持ちになったからと言ってそれが絶対的な幸福に結び付くことはなかった。むしろ絶対的な幸福とは、自らの直感に従って世界の旅に出るという行為そのものに既に内在されていた。確かに旅に出た結果として天職の発見や資産形成など他人から評価される相対的幸福も与えられたが、最も重要なことはそれらを超越して君臨する絶対的幸福が、世界の旅に出た時点から予め与えられていたという事実だった。ぼくにとっては自らの情熱に純粋に従うこと、それを体現して世界を巡礼したこと、旅をすることそのものが絶対的幸福の正体であり、それに伴って生み出された資産は単なる副産物でしかなかった。ぼくが本当に追求していたものは、旅に出たその時点で既にもたらされていたのだった。

2018年旅の当初に資産が650万円だった時も、そのまま世界の旅を続けて2020年に200万円になった時も、その後のコロナワクチンバイトにより巨額の資産を築いた後も、ぼくの絶対的幸福の高鳴りは変わらない。

そのような観点から言えば「普通に生きなければ幸せになれない」という常識は、全くの誤りであったと断言することができるだろう。むしろ逆に普通ではない人生を歩み始めたその瞬間に、絶対的幸福は心に去来していたのだから。それがぼくたちの魂の尊い秘密だと言うのなら、あらゆる普通に生きられない宿命を背負った魂たちが、普通に生きられないことを覚悟して見果てぬ白い山脈へ飛翔する全ての羽音に、祝福が訪れることを願って止まない。

 

 

・大学の卒業アルバムの言葉

 

・ぼくが旅に出る理由の記事一覧

ぼくが旅に出る理由1:旅だけが時間の逆行を可能にする

ぼくが旅に出る理由2:旅は永遠へとたどり着く道

ぼくが旅に出る理由3:美しさでつながり合うもの

ぼくが旅に出る理由4:労働と消費を繰り返す輪廻からの解脱

ぼくが旅に出る理由5:旅で出会った美しい風景は、いつか悲しみに暮れた自分を癒してくれる

ぼくが旅に出る理由6:この世のあらゆる境界線の融解

医師として他人の病気や命を救う前に、自分自身の魂を救わなければ真実の救済は訪れない

直感にただ従って燃え盛るように生き抜いたとき人はどうなるのか、実際に世界一周して確かめてみた

ミズイロノタビの正体

 

 

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