中島みゆき夜会「リトル・トーキョー」のクライマックス!仏教用語「放生」が身近な言葉だというのは本当か?

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知らない間に「放生」していた話。

中島みゆき夜会「リトル・トーキョー」のクライマックス!仏教用語「放生」が身近な言葉だというのは本当か?

・「放生」という言葉を知っていますか?
・夜会「リトル・トーキョー」のパンフレットの挨拶文
・夜会「リトル・トーキョー」のあらすじ
・夜会「リトル・トーキョー」のクライマックスは「放生」の絶唱!
・「放生」という言葉に無縁の人生
・人生で2度目に「放生」の言葉に出会った中国
・ラオスで知らず知らず「放生」していた話

・「放生」という言葉を知っていますか?

「放生」という言葉をご存知だろうか。ぼくがこの言葉を知ったのは、2019年に東京で開催された中島みゆき夜会「リトル・トーキョー」においてである。夜会とは、中島みゆきの言葉の実験劇場とも呼ばれる彼女のライフワーク的なコンサートであり、彼女が書いた脚本に沿って彼女がほぼすべての歌をなんと新曲として書き上げ、それを舞台で彼女自身が歌い演じるという、世界でも塁を見ない種類の日本が誇るべき尊い創造作品である。

世界一周中断のおしらせ〜旅には2つがある

シベリア鉄道の旅から帰ってきたぼくが夜会「リトル・トーキョー」を見て中島みゆきから受け取ったメッセージ

ぼくはその夜会「リトル・トーキョー」を鑑賞するために、シベリア鉄道の旅を中断して日本に帰国した。その頃ぼくはシベリア鉄道に乗って、ロシア極東のウラジオストクからロシア大陸を横断してさらにヨーロッパ周遊の旅をし、オランダのアムステルダムに滞在していたので、アムステルダムから東京に帰ってきた。本来ならば世界一周の旅としてもっと旅を続けたかったが、中島みゆきの新作の夜会はぼくの中で、世界一周よりも重要な出来事だったのだ。

 

 

・夜会「リトル・トーキョー」のパンフレットの挨拶文

「リトル・トーキョー」のパンフレットの中島みゆきの挨拶文は、次のように書かれている。

私は日本以外に住んだことも、住みたいと思ったこともありませんが、仕事のために短期滞在した程度なら、あちらこちらの国へ行きました。日本を懐かしむほど長期ではなくても、体調維持のために日本の水や食品を求めて、日本人町を探すことはよくあります。

ゆく先々の国で「リトル・トーキョー」という名はよく使われていて、それは時に地図にも載っていない、通称としての一区画を指していたり、スーパーマーケットの名だったり、食堂の名だったりもするのですが、いずれにせよ、初めて訪れた時からいつも私は、不思議な感覚に包まれるのでした。

日本直輸入の箪笥から、現地工場で日本のレシピ通りに作られた食品まで、ごちゃまぜになんでもあるのに、なにか不思議な国へ来たような、東京には決してないトーキョーが、そこに創り出されていて、独立して育っているような、眩しさ。彼らは一体、何を作ろうとしてきたのだろうか…。

この「東京にはないトーキョー」の不思議さに手を取られるようにして、夜会VOL.20は新しい物語へと踏み出しました。外国へ行ったことのあるお客様も、ないお客様も、ひととき、ありえない国への旅をお楽しみいただけましたら、幸いでございます。

 

・夜会「リトル・トーキョー」のあらすじ

夜会「リトル・トーキョー」の舞台は、北海道のクラシック・ホテル。いつも難解な多重構造を企ててくるこれまでの夜会に比べたら、今回の物語のあらすじはとてもシンプルなものに感じられた。1回しか見ていないので映像作品で見たらまた新しい発見があるのかもしれないが、ぼくが1回見た限りだとなんだか「日本昔ばなし」の話みたいだなと思った。

人間関係の複雑さはあるものの、物語の軸をものすごく簡単に説明すると次のようになる。

北海道のクラシックホテルに動物が大好きで山犬の親子ととても仲良しの女性がおりました。その山犬が密猟者に狙われているのを助けようとひどい吹雪の中に迷い込んだ女性は雪崩に巻き込まれ、山犬の親子と女性は死んでしまいました。しかし奇跡的に山犬の子供が1匹だけ生き残っていました。けれど傷ついた山犬の子供は幼すぎて自分だけで生きていく力はありません。かわいそうに思った死んだ女性は幽霊となって山犬の子供を助け出し、クラシックホテルへ連れて帰り、ホテルのみんなで傷ついた山犬の子供を治療し、やがて元気いっぱいになったところで山犬を山に返してやりましたとさ。

 

・夜会「リトル・トーキョー」のクライマックスは「放生」の絶唱!

この最後に山犬を山へと返してやる場面で歌われたのが、最初に紹介した「放生」という歌である。ラストの場面で中島みゆきが解き放った「放生」の絶唱は、それはそれは凄まじかった。

命あるものすべて 終わりはある 別れはある
解き放て 解き放て 輝いてくれるように

さあ、旅立ちなさい もうすべて変わる時
さあ、悲しみをこえて 行くべき世界へ

さあ、旅立ちなさい もう歩いて行けるわ さあ!

「旅立ちなさい」という歌詞と力強いその歌唱が、旅人と成り果てはぼくの心に訴えかけてくる衝撃は筆舌に尽くしがたいほど甚大だった。

 

・「放生」という言葉に無縁の人生

しかしこの「放生」という言葉は有名な言葉なのだろうか。難しい漢字の言葉ではないものの、あまり聞きなれない言葉だったので調べてみると、どうやら仏教用語であるらしい。仏教において徳を積むために、捕らえられた生き物を放ってやることを「放生」と言い、まさに夜会「リトル・トーキョー」において中島みゆきが山犬の子供にしてやったことそのものの意味ということになる。

割と簡単な意味だったが「放生」を日常生活で聞いたこともなかったし、もちろん自分が実際に放生したこともなかった。中島みゆきの歌に出てきたからこの人生で知った言葉であるものの、自分とは無縁の言葉であり実際の人生には関係のない言葉かもしれないと思いながら日々を過ごした。

 

 

・人生で2度目に「放生」の言葉に出会った中国

 

「放生」という言葉に2度目に出会ったのは、中国雲南省の天空都市・香格里拉にある雲南省最大、最古のチベット寺院・松賛林寺においてだった。タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと東南アジアをめぐる旅を遂行したぼくは、そのまま陸路で中国の雲南省に入り込んでいた。標高3000m以上の位置に聳え立つその建築物は、まさに「天空の城」と自然に呼んでしまいそうになるほどの荘厳さと神々しさを放っていた。

 

この松賛林寺にかけられた木造の看板に小さく「放生」と書いていた。他には「布施」などと書かれていることから、仏教徒に推奨されるべき模範的行動が書かれているのだろか。ここでぼくは「放生」が日本のものだけでなく、世界において使われている共通語なのだと知ることができた。

 

 

・ラオスで知らず知らず「放生」していた話

 

しかしもっと驚くべきことには、ぼくは自分でも知らず知らずのうちに、この旅の中で「放生」を実行したいたということだ!それはラオスのルアンパバーンでのことだった。

 

 

ルアンパバーンは修行僧の托鉢が見られる仏教的な街として有名で、雰囲気も穏やかで人々も優しく、ぼくはルアンパバーンひいてはラオスが大好きだった。そんなルアンパバーンの街の真ん中に、プーシーの丘という夕焼けスポットがあった。ぼくも夕焼けを見るために夕方からその小高い丘に登り始めたのだが、登り始めの階段のところでおばちゃんたちが小さなカゴを売っていた。なんとその中に小さな小鳥が入っている。これを買って空に解き放てば仏教的に徳を積むことができるのだと、ぼくもガイドブックを見て知っていた。

 

しかしぼくはその行動自体に興味を示すことはなく、そんなことするなら最初から小鳥を捕るなよと感じていた。仏教徒の徳を積もうとする心にかこつけて、小鳥が無理矢理捕まえられて大量に並べられている姿を見ると、小鳥の命が人々の宗教心を利用した金儲けにただ利用されているように思えて不憫な気持ちになった。本来仏教はこんな行為を望んでいないだろう。

けれどぼくはその行為よりも、そのカゴの中の小鳥が小さくて可愛かったのでずっと見ていると、見事におばちゃんに買わされてしまった!値段はなんと200円。ラオスではランチが食べられる金額だ。しかしこのお金を払っても、手に入れたのはカゴから出してやるべき小鳥なのだから、実際には何も手に入れていないのと同じである。200円勿体ないことをしたと感じながら、プーシーの丘に登った。

プーシーの丘からの夕焼けを眺め、旭日旗のような不思議な日光を見て感動したあとで、ついに小鳥を空へと解き放つ時がやって来た!周囲を見渡してもこんな小鳥を持っているのはぼくしかいない。他の観光客はみんなお金を払ってどうせ解き放つ小鳥を買うなんて馬鹿らしいと思って買わなかったに違いない。ぼくも小鳥が可愛いという雑念に惑わされ売り場の前で立ち止まることをしなければ、決してこの小鳥を賈うこともなかっただろう。

この小鳥は解き放つために売っているのだから、きっとこのカゴも開けやすいようにできているはずだと思い込んでいたが、意外なことにこの鳥カゴはかなり頑丈で、ぼくはこのカゴを開けるのにものすごく苦労した。何かの植物の固い葉で編まれてできているが、とにかく頑丈で解きほぐしにくく、ぼくは汗を書きながら苦労してカゴを解いていった。周囲の人もこんなことをしている人は珍しいので、ぼくはかなり注目されていた。

しかしどうせ解き放つための鳥を入れるカゴなのだから、もっと開けやすくしてはどうだろうか。どうしてぼくは、解き放たれるべきの小鳥をただ解き放つだけのために、こんなにも汗水垂らして苦労しているのだろうか。しかも自分で200円も支払って!

ぼくは必死でカゴを開けようとしていたが、中の小鳥はぼくに食べられると思ったのかなんなのか、それはそれは激しく暴れまわり、余計にカゴを開けるのに苦労した。やっとの思いで鳥カゴを開ければ、小鳥はぼくに見向きもせずに一目散に空へ飛んでいき彼方へ消えていった。ぼくは疲れ切っていた。なんだったんだろか、この時間は!小鳥はぼくに、ありがとうくらい言ってもいいのではないだろうか!

その時はそれで終わったが、そのまま長い旅を続けていく中で、ふとあれは「放生」だったことに気がついた!あの時はあの行為を言い表す言葉なんて思いつかなかったが、後からよくよく考えてみると、あれは中島みゆきが夜会「リトル・トーキョー」で教えてくれた「放生」だ!ぼくは自分に縁のないと思っていた「放生」の行為を、知らず知らずのうちに行っていたのだった!それに気づいた瞬間、小鳥がありがたい存在に思えてきた。小鳥が実際にぼくに教えてくれた「放生」の感覚と感触。ぼくが支払った200円は、小鳥への授業料だったのだ。

 

 

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