デマで真っ赤な嘘!台湾の九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは本当か?

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「ジブリの映画のモデルになった」という情報をどれも信用することができない。

デマで真っ赤な嘘!台湾の九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは本当か?

・「ジブリの映画のモデルになった」という情報の怪しさ
・九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは本当か?
・宮崎駿は日本が舞台であることを強調している
・ジブリの公式ホームページでも九份には触れられず
・宮崎駿が台湾のどこかをモデルにしたことを完全否定
・噂が明らかにする人間の性質
・その他のジブリの旅の記事一覧はこちら!

・「ジブリの映画のモデルになった」という情報の怪しさ

海外の街を紹介する際に「ジブリの映画のモデルになった」という枕詞を、何度も何度も見ることがある。そのような言葉を付け加えれば、人間たちが興味を持って、そのページが見られるということを誰もが知っているからだ。しかしぼくは「ジブリの映画のモデルになった」という情報を紹介しているものを、どれも信用することができない。本当にそれは宮崎駿自身が言ったことなのかと問いただしたくなるのだ。

実際に宮崎駿がその街をモデルにしていると言っていなくても、ただ単にちょっと似ているというだけで、安易にページの閲覧数を上げようとして、「ジブリの映画のモデルになった」と勝手に決めてつけて発信している情報がものすごく多いのではないだろうか。そのようにやたらと無根拠な「ジブリの映画のモデルになった」街が無責任に量産され、インターネット上にあふれているような気がするのだ。

 

 

・九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは本当か?

台湾の九份という街はその怪しさの最上級だ。九份を紹介する情報にはどれにもこれにも「ジブリの千と千尋の神隠しのモデルになった」という枕詞が付随している。しかし、これをぼくは常々怪しいと思っていた。確かに写真で見れば綺麗な美しい街のようだが、そんなことを宮崎駿が本当に言ったのだろうか、今までそんなインタビューを見たこともなければ聞いたこともない。宮崎駿はそんなこと一言も言ってないのに、他の人間が金儲けをしようという理由だけで、「ジブリの映画のモデルになった」という真っ赤な嘘をついているだけじゃないかと直感で思ったのだ。

それゆえに台湾が大好きなぼくでも、この九份だけは怪しいと思い、訪れたことがなかった。真っ赤な嘘に踊らされて馬鹿馬鹿しい消費に巻き込まれたくなかったのだ。実際にその情報を信じ込んで訪れる日本人は多いらしく、行った人たちに聞くと日本人がいっぱいだったと聞いて、ああ行かなくてよかったと思っている。

 

・宮崎駿は日本が舞台であることを強調している

九份が千と千尋の神隠しのモデルになったというのは真っ赤な嘘ではないかという直感は、宮崎駿自身のインタビューに触れることにより、より真実味を増していった。宮崎駿自身の作品についての言及やインタビューに関しての出版物は数多くあれど、その中にも内容が充実していないものと読み応えの溢れるものにはっきりと分かれるように思われる。ぼくが読み応えがあると確かに感じ、宮崎駿の思想を詳細に知るにおいて最も適していると思われる価値ある書物は以下のものである。

この中には、もののけ姫や千と千尋の神隠し、ハウルの動く城から崖の上のポニョまでに関する宮崎駿自身のインタビューの言葉が、作品ごとに分けられて掲載されており、非常にわかりやすいしその質も高く量も多いので、この種の書物の中で最も満足度が高い。この本の中で、宮崎駿自身は千と千尋の神隠しの世界の舞台について次のように述べている。これは232ページに位置し、映画のパンフレットの中のインタビューを再度この本に掲載しているもののようだ。

宮崎駿「困難な世間の中で、千尋はむしろ生き生きとしていく。ぶちゃむくれのだるそうなキャラクターは、映画の大団円にはハッとするような魅力的な表情を持つようになるだろう。世の中の本質は、今も少しも変わっていない。言葉は意志であり、自分であり、力なのだということを、この映画は説得力を持って訴えるつもりでいる。

日本を舞台にするファンタジーを作る意味もまたそこにある。お伽話でも、逃げ口の多い西欧ものにしたくないのである。」

このように、千と千尋の神隠しの映画のパンフレットで、日本を舞台にするファンタジーを作ったと断言している時点で、この舞台のモデルが外国であるということは考えにくいのではないだろうか。また258ページには次のようなやりとりもある。

千尋が迷い込む異界について伺いたいのですがという質問に対して

宮崎駿「あれは日本そのものです。ついこの間まであった紡績工場の女工たちの部屋とか、長期療養の病棟とか、みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。日本は少し前までああいう感じだったんです。」

ここでも舞台を日本とし、日本という舞台を大切に思いそれが重要であると見なしていることが疑える。こんなにも舞台としての日本を強調しているのに、どうしてあの舞台が外国であるところの台湾であると言えるのだろうか。甚だ疑わしい噂である。

 

 

・ジブリの公式ホームページでも九份には触れられず

さらにインターネット上で調べてみると、ジブリの公式ホームページにて、これがジブリ映画の舞台のモデルですというような一覧が出てくる。千と千尋の神隠しの参考にした場所は、江戸東京たてもの館とあり、ここでもあくまで日本が強調されており、九份の文字はどこにもない。この時点で九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは嘘であることがほぼ確定でないだろか。

そして注意したいのは、ジブリが公式で映画の参考にしたと公表している街はこの一覧だけであり、これ以外の情報は根拠のない嘘であると言い切ることが可能であるかもしれない。

 

・宮崎駿が台湾のどこかをモデルにしたことを完全否定

さらにさらには、台湾の番組において、九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるということを宮崎駿が否定しているインタビュー動画さえある。

「(千と千尋の神隠しの舞台は)台湾のどこかからっていうことではないんですか?」という質問に対して、宮崎駿がはっきりと「ええ、違います」と答えている。これでもはや九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるというのは嘘であることが確定である。

 

 

・噂が明らかにする人間の性質

インターネット上にある九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であるという情報は、すべて嘘であるということがわかる。こんなにも根拠のない嘘や噂が繁栄するのかと思うと、人間の世界というものは面白い。みんなそれが真実かどうかということよりも、注目されたり見られたりお金を儲けることの方が重要であるようだ。

そしてそのような嘘や噂は、このような性質のものだけであるとは限らない。九份が千と千尋の神隠しのモデルの街であろうがなんであろうが、人を傷つけることがないからまだマシだが、これが誰かの悪口だったりした場合には、そしてその嘘が噂として面白おかしく広まった場合には、人間の集団がその誰かを傷つける結果となることもあるだろう。誰かを傷つけてもよいから、楽しい下衆な噂を共有したいという醜い性質を、人間たちは誰もが隠し持っており、自分自身も含めてこのように虚言に振り回されることのないように、そして噂という凶器で人の心を傷つけることのないように気をつけたいものである。

 

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