ギフトカードやポイントは現金と同じ価値であるというのは本当か? 〜複雑な経済形態と心理〜

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現金、ポイント、ギフトカード、ぼくたちの周りには多くの価値保存の形態であふれている。

ギフトカードやポイントは現金と同じ価値であるというのは本当か? 〜複雑な経済形態と心理〜

・ぼくたちの様々な価値の保存形態
・現金は「なんでもポイント」
・価値を下げるギフトカードを購入する不思議
・現金は貯金したくなるがギフトカードは消費したくなる

・ぼくたちの様々な価値の保存形態

ぼくたちは大抵労働をする。労働=他人の役に立つことに、一生のうちの最も美しく健康で何でもできる若い時間の大半を費やし、その代償として少しばかりの価値を手にいれる。その価値を使って、家賃を払ったり、食費をまかなったり、服を買ったり、趣味に費やしたりする。労働の対価として支払われる価値の形態は、一般的には現金である。

現金は古来よりぼくたち人間が慣れ親しんでいた価値の形態であり、子供の頃に与えられる価値も現金の形態をしていることがほとんどだ。ぼくたちは幼い頃に、現金のお小遣いをもらってお菓子を買いに行ったりする。

しかし大人になるにつれて様々な形態の価値を扱うようになる。その最たる例はポイントだ。最近は世の中に様々な種類のポイントがあふれていて把握しきれない。楽天ポイントや、Tポイント、Pontaポイントに、nanacoのポイントまである。そればかりではなく、地元のスーパーのポイント百貨店のポイント、行きつけのセレクトショップのポイントカードに、美容室のポイントに…と財布の中身を確認すると枚挙にいとまがない。ぼくたちは人生の中で、一体どれほどのポイントと付き合っていけばいいのだろうか。

これらの他にJCBギフトカードやJTB旅行券、百貨店商品券なんていうのまである。これらは主に現金の代わりに、贈り物としていただいたり、またはクレジットカードのポイントと引き換えにできたりする。これは現金のように物質として存在するので、なんとなく現金と同等のように感じてしまう。

もっと最近できたものといえば、電子的なビットコインやアルトコインなども挙げることができるだろう。僕たちはこれからも、たくさんの形態の価値と新しく出会っていくのだろうか。

 

 

・現金は「なんでもポイント」

ポイントと言えば、使える場所が限られているという性質を持つ。楽天ポイントは主に楽天市場でしか使えないし、TポイントはTSUTAYAやYahoo!ショッピングでという風に、狭小な範囲でしか使用可能でないことが宿命である。逆にどこでも使用可能なポイントであれば、それはもはや現金と同義である。

現金の正体は、どこでも使えるポイントだったのだ。ぼくたちはなんでもできる若い時間の大半を労働に費やし、そしてどこでも使えるポイントを貯めるという人生を送っているのだ。

ポイントを蓄えては消費し、またポイントを蓄えては消費し、それを輪廻転生のように繰り返し、それはその命が尽きるまで行われる有限のサイクルである。現金という「なんでもポイント」を貯めて、使って、労働の渦中でそれを単調に繰り返して終わるのが、ぼくたちの人生だろうか。

よく電化製品のお店で、ポイント値引きでインターネットの最安値の値段と一緒にしてくれるという出来事が起こるが、ぼくはあれが大嫌いである。ポイントを付ければ差し引き最安値と同じ値段になるのだから、現金値引はしないでポイント値引きにしますよと謳っているものであるが、これはものすごく違和感満載で騙されている感じがする。

どうして自分の店のポイントが現金と同等の価値があると思えるのだろう。ポイントは先ほども申し上げた通り、狭小な範囲でしか使えない価値だ。使える場所が非常に限られており、しかも有効期限まであるので厄介である。それにひきかえ、現金は「なんでもポイント」だ。どこでも、何にでも使える夢のポイントである。

どちらの方が価値が高いかは火を見るよりも明らかである。ぼくは使い方を極度に限定されいつ使うともしれないポイント値引きなどというものよりも、現金を残せる最安値の方が極めて重要であるということを常に肝に銘じている。

 

 

・価値を下げるギフトカードを購入する不思議

ギフトカードというものは贈り物に使われやすい。ぼくの感覚的には、現金をあげるなんて下品な感じがするから、それをギフトカードに変えて送りましょうという風に人間たちは考えていると見受けられる。しかしこの風習に本当に意味はあるのだろうか。

ギフトカードも先ほどのポイントと同様に、使える範囲が限られている。JCBカードなどは比較的どこでも使えるものだが、やはり使えないところでは使えないし、お釣りが出ないというデメリットもあることを忘れてはならない。それに引き換え「なんでもポイント」の現金はどこでも使えしかもお釣りはもちろんきちんと返ってくるのだ。

1000円の現金と1000円のJCBギフトカード、どちらも同じ価値があるように錯覚してしまうが、真に価値を持つのはまさに現金のみである。どこでも使える現金と、使い場所を限られお釣りも出てこないギフトカードとでは雲泥の差がある。

贈り物として1000円の現金で1000円のギフトカードを買うという行為は、実は価値を大きく引き下げている非合理的な行動だと言うことができるだろう。ぼくたちはわざわざ人に価値を送るために、その価値を大幅に下げる形態にしてから贈るのだ。非常に奇妙な行動ではないだろうか。そして逆にギフトカードを売ったお店は、何気無しにより大きな価値をしっかり得ているのである。

どうして人々は価値を贈る際に、わざわざ価値を落とすような形態にして贈り物をするのだろうか。そして無意味に損失を被り、無意味にギフトカード売りを栄えさせるのだろうか。

それにはやはり現金を他人に贈るというのは、なにか下品なような、違和感を感じるような気持ちがあるからだろう。人から贈り物として現金をもらうとおかしな気持ちになるが、ギフトカードをもらうとすんなりとあらありがとうと受け取れるから不思議である。これはもう説明のつかない人間の文化的な感性の問題だ。しかしこのような気持ちはどのように発生しているのだろうか。

このような感性さえ、ギフトカード売りに植え付けられた洗脳であったならばこれは恐ろしいことである。しかしそのような根拠は何もない。けれども何者かの大きな権力によりギフトカードという価値をわざわざ下げられ奪われる品物が世の中でまかり通り、人々は騙され少しずつ少しずつ損失を被り、それによって得をしている誰かが潜んでいることも事実ではあろうと感じられる。

 

 

・現金は貯金したくなるがギフトカードは消費したくなる

ギフトカードを持っていて不思議に感じることがある。それは、現金ならば貯金しなければ、貯めなければと思ってしまうのに、なぜかギフトカードだと早く使ってしまわなければという不安が心に生み出されることだ。これはぼくだけなのだろうか。

ギフトカードというものは、現金と比較すればやはり不確かであやふやで信頼のおけないものである。そんなものを貯め込むよりも、価値が通じるうちに早く使ってしまわなければならないという少量の焦りを感じるのだ。そして、ギフトカードにより要らないものを買ってしまいそうになる。

現金ならば買わないであろうものも、ギフトカードがあるのならば、それを消費してしまおうとして購入してしまおうとする機会があるのだ。そして本当に必要でないものを買ってしまいそうになる。これはギフトカードにまつわる敏感な感性の不思議であり、ギフトカードというものは現金よりもより大きく経済を回すのに役だっていうのではないだろうかと考えずにはいられない。そこにも何かの企みが潜んでいるのだろうか。

現金やそれに付随する価値形態たちの不思議やまやかしは、後を絶たない。

 

 

 

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