マナーとルールの違いとは?!マナーを守らなければならないというのは本当か?

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マナーという言葉はいつも怪しい匂いがする。

マナーとルールの違いとは?!マナーを守らなければならないというのは本当か?

・「マナー」という言葉の意味と本質
・「マナー」と「ルール」の違いを徹底考察!
・「マナー」という言葉の世の中における本当の役割
・「マナー違反だ」「マナーが悪い」とやたらと繰り返す人間の性質
・人を否定する言葉よりも人を受け入れる言葉を覚えよう

・「マナー」という言葉の意味と本質

「マナーを守らなければならない」という言葉をぼくたちは世の中ではしばしば聞くが、ではわかったようなわからないような「マナー」という言葉は、一体どういう意味だろうか。

広辞苑によると「マナー」とは、行儀、作法のことを意味するという。しかしいくら国語辞典にマナーとは行儀、作法という意味ですと言われたところで、なんだかいまいち納得できないし、意味が掴みとりにくい。ぼくが確信できるのは「マナーを守らなければならない」という文章の中のマナーとは、行儀や作法とはまた別の、国語辞典でも表しきれない会話する人間たちだけの間で共有されている独特の観念があるということだ。

国語辞典も頼りにならないとすれば、自分たちの日常や使用例から「マナー」の意味を見出していく他はない。「マナー」とは一体どのような場面で使われるのだろか。ぼくが感じるのは「マナー」という言葉は、大抵否定的に使われているということだ。「マナーがよい」という使い方もあるにはあるが、それよりも圧倒的に多いのは「マナーが悪い」「マナー違反だ」「マナーを守らないといけない」という、相手を否定したり非難したりする場合の使用例だろう。「マナー」という言葉にはそれが守られているという想定よりも、それを破った者たちに対する徹底的な悪意が込められているように感じられる。

ぼくが「マナー」という言葉にそこはかとなく嫌悪感や怪しさを感じるのは、「マナー」というのは人をゆるしたり受け入れるために生まれた寛容の言葉ではなく、人を否定したり非難したり心を傷つけることによって無理矢理に人の行為を修正させるためにこそ使われる言葉だからだ。専ら人を否定したり非難したりするために存在している西洋的なこの言葉に、どのような価値があるというのだろうか。

 

 

・「マナー」と「ルール」の違いを徹底考察!

「マナー」という言葉使われっている典型的な例文には次のようなものがある。

”口をクチャクチャさせながら食べるのはマナー違反だ。”

この場合の「マナー」とは一体どういう意味だろうか。確かに口をクチャクチャさせながら食べる人と食事すると不快になるし気持ちが悪い。しかし口をクチャクチャさせながら食べるということは「ルール違反」ではない。「ルール」というのは規則や法律によりきちんと定められた決まりごとで、それを破れば罰則が課せられたり逮捕されたりするだろう。口をクチャクチャさせてはいけないという「ルール」はこの世に存在しない。口をクチャクチャさせることは確かに不快だが、それをするなと規則や罰則が設けられるほど世の中に害悪をもたらす行為ではないからだ。

例えば人を殺したり、物を盗んだりするのは確実に「ルール違反」である。それは人を殺したり物を盗んだりすることが人間社会の秩序を大いに乱す悪事であり、それをゆるしてしまえば社会全体に不安や恐怖が広がると誰もが共通して認識しているからだ。そんな悪事が人の世ではびこらないように、「人を殺してはいけない」「物を盗んではいけない」ということは法律というルールで定められており、法律として定められている以上それに違反すると犯罪者となり、逮捕され、罰を下される。

しかし口をクチャクチャさせながら食べるというのは、法律や規則で取り締まられるほどの悪事でもない。したがってぼくたちは「口をクチャクチャさせながら食べるのはルール違反だ。」と言ってその人を非難することができない。そんな「ルール」はどこにも存在していないし「ルール」になるほどの極悪非道の悪事でもないからだ。けれど周囲の人々は口をクチャクチャさせながら食べる人と食事をするのは不快なので、なんとかしてその人を徹底的に否定し、ことごとく非難し、その結果としてなんとかクチャクチャを止めさせたいと画策する。

そんな時にとても都合のよい言葉として登場するのが「マナー」ではないだろうか。「マナー」という曖昧な西洋の言葉さえあれば、たとえそれが「ルール」で定められていることではなくても、そんなに重大な悪事ではなくても、その人の行いを徹底的に否定したり非難したりすることができる。つまり「マナー」とは、ルールや法律になるほどではないちょっとしたどうでもいい小さな悪事を、否定したり非難したり罵ったりして、自分が不快だと感じることを阻止するための都合のよい道具のような言葉ではないだろうか。

 

・「マナー」という言葉の世の中における本当の役割

マナー違反には次のようなものが挙げられる。「列の順番を抜かす」「エスカレーターで道を塞ぐ」「くしゃみをするときに口を押さえない」「公共交通機関の優先席を譲らない」「公共の場所で携帯電話で大声で話す」など、いずれも法律で取り締まられているほど極悪非道の悪事ではないが、されたらなんとなく気分が悪い小さくてささやかな悪事たちばかりだ。この法律やルールで規制するほどでははい、小さくてささやかな悪事を世の中にはびこらせないために「マナー」という言葉は発明されたのかもしれない。

それらの小さくてささやかな悪事たちに「マナー違反だ」「マナーが悪い」と言い放ってしまえば、相手を徹底的に否定し非難することができる上に、「マナー」という正しい言葉に守られている以上自分が傷ついたり不利な状況に陥ることもない。「マナー」とは便利で且つ、都合がよくそして小賢しい道具だ。

 

 

・「マナー違反だ」「マナーが悪い」とやたらと繰り返す人間の性質

しかしいくら自分が正しい存在であることを保障されているからといって、「マナー違反だ」「マナーが悪い」とやたらと繰り返すような種類の人間には注意が必要だ。それはただ「わたしが不快だから」「わたしの思い通りではないから」という自分勝手な理由で「マナー」という権威ある言葉を凶器のようにふりかざす臆病者かもしれないからだ。

例えば「口をクチャクチャさせながら食べるのはマナー違反だ。」というのも一見もっともらしい発言のように思えるが、本当に口をクチャクチャさせながら食べることはマナー違反なのだろうか。これは率直にいえば「口をクチャクチャさせながら食べることでわたしは不快になるから、わたしが気分よく食事するために、わたしにとって都合のよい存在になるために、そのクチャクチャを止めろ」という思いの言い換えだ。それならちゃんとそうやって直接言えばいいのに、そのような発言だと自分勝手で身勝手で傲慢な印象が出てしまうので自分を守るために、「マナー」というさも正しそうな言葉を利用することで、自分を正しさの内側に匿ったままで相手を徹底的に否定し、非難し、自分にとって都合のよい存在に変えようと計画しているのだ。しかし口をクチャクチャして食べる人と、口をクチャクチャして食べることを不快に思う感受性を持ち合わせている人の、一体どちらが悪いから不都合な状況が生じているのか、それは誰にもわからない。

「マナー違反だ」「マナーが悪い」などとやたらと言い放つ人間には、このように正しさに守られた安全な領域から、自分にとって都合の悪い人間たちを攻撃し、非難し、否定したいという臆病者の精神が見て取れることもしばしばだ。「マナー違反だ」「マナーが悪い」などとやたらと言い放つ人間を、ぼくは決して信頼することができない。「マナー」という言葉自体がそもそも怪しい。それは法律で定められないほど取るに足らない小さくてささやかな悪事を、自分の気分にそぐわないからと言って自分の都合のいいように消滅させてしまおうとする、傲慢で身勝手な否定的精神で満ちあふれている。

 

 

・人を否定する言葉よりも人を受け入れる言葉を覚えよう

ぼくは「マナー」という言葉を絶対に使わない。それは人を思いやるための、ゆるしの、寛容の言葉ではなく、人を否定し、非難し、打ちのめそうとするためのナイフのような悪質な言葉だからだ。

小さくてささやかな悪事に思いをはせれば、それは取るに足らないどうでもいいことだからこそ、法律や規則によって規制されない「小さくてささやかな悪事」としてこの世に存在できているのだ。取るに足らないどうでもいいことならば、どうすればそれを否定し、非難し、攻撃し、止めさせることができるのだろうと考えてイライラを募らせて自分を見失うよりも、いっそ取るに足らないどうでもいいことだと開き直り、ゆるし、寛容な心を持ち、大したこともないと笑い飛ばし、自分を支配し縛り付ける自らのストレスから解き放たれるような生き方を選ぶのも、ひとつの上手な世渡りではないだろうか。

相手を否定し、非難し、傷つける言葉を必死に覚えて使用するよりも、相手をゆるし、受け入れ、寛容になれる言葉を覚える方が人間の生き方としてふさわしく美しいと感じる人は、ぼくの他にもいることだろう。

 

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