意外と深い下ネタの正体とは!人間が動物ではないというのは本当か?

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

ぼくたちは尿も出さなければ便も出さない、射精もしないような顔つきで生きなければならない。

意外と深い下ネタの正体とは!人間が動物ではないというのは本当か?

・札幌の正解
・豊平峡温泉の料金と注意点
・雪を見ながら露天風呂
・人間が動物へと帰りつく聖域
・豊平峡温泉でインドカレー

・札幌の正解

札幌を旅するにあたって、雑誌BRUTUSの「札幌の正解」という号をAmazonのKindleで購入した。これがとても参考になり今回の札幌旅で大いに活躍した。その中に豊平峡温泉という温泉が紹介されていた。

豊平峡温泉は札幌からバスで気軽に日帰りで行ける温泉であるという。しかもその温泉ではインドカレーが食べられるという情報まで書いてある。温泉とインドカレーという組み合わせは果てしなく謎だが、聞いたことも見たこともないので体験してみたい気持ちにさせられる。ぼくは札幌滞在の1日間をこの豊平峡温泉への日帰りに使おうと思い、朝から宿を出発した。

ぼくはすすきのというところに宿泊していて、グーグルマップで豊平峡温泉までの経路を出していたのだが、グーグルマップで示されたバス停が、実際の豊平峡温泉行きのバス停を示してくれていなかったので注意が必要である。実際にはグーグルマップが示すバス停の向かい側に本当のバス停があった。

辺境の地ならいざ知らず、札幌のような中心地でもこのような誤りが起こるものであろうか。グーグルマップの改善に期待したい。今回は日本だからよかったものの、異国だと迷って困惑しただろう。もっとも100日間のシベリア鉄道・ヨーロッパ周遊の旅でもこのような誤りはまったく発見されなかったが。

バス停の場所に大いに迷い、うろうろおろおろしながら豊平峡温泉行きの「じょうてつバス」のバス停にようやくたどり着いた。豊平峡温泉は最後のバス停なので途中で降りなければならないこともなく楽である。しかしこのバス予約も可能であり、できるなら予約しておいた方がいいのではないかと思うほどの混み具合だった。白人や中国人韓国人がわんさか乗り込んでおり、むしろ日本人が少ない。予約してなくても空席があれば乗せてくれるらしいが、予約していなかったぼくはかなりギリギリで乗り込めたという感じだった。

満員のじょうてつバスに揺られて、80分くらい乗っていると豊平峡温泉にたどり着く。途中にも温泉宿がいくつかあり、途中で降りる乗客も多く豊平峡温泉へと向かっていたのはバスの中の半数程度だった。値段はすすきのからだと840円で、ICカード系が使えたので便利だった。関西のPitapaも使うことができた。

 

 

・豊平峡温泉の料金と注意点

豊平峡温泉は周囲に何もなく静かなところに位置しており、美しい白雪が厚く降り積もっている。温泉の入場料は1000円。ちょっと高い?日本ではこんなものだろうか。ハンガリー・ブダペストのあまり満足できなかったルダシュ温泉の入館料が2000円くらいだったので、なんだか安い気分になりながら入場料を支払った。

日本の温泉と全然違う!温泉大国ハンガリー・ブダペストのルダシュ温泉に行ってきた

ここでぼくが大失敗したと思ったが、タオルを持ってこなかったことだ。日本の温泉ではタオルを持って来るべきだというのは常識なのだろうか?ぼくは1000円も支払うのだから当然その中にタオル使用料も含まれていると思っていたのだが、タオルが200円もしたので驚愕した。タオルなら持っていたし、宿でいくらでも無料で借りることができたのに、持ってこなかったので非常にもったいないことをした。

ぼくはこういう小さな料金で損することが、大きな料金で損するよりもなんだか悔しい気持ちになるのだ。共感してくださる方はいらっしゃるだろうか。本来支払わなくてよかったものを支払わなくてはならなくなった際の後悔の念は大きい。ぼくは後悔しながら200円を支払って温泉へと入場した。これから行く方はタオルを持参することを強くおすすめする。

 

・雪を見ながら露天風呂

内部では広い休憩場があり、そこに机と座布団がありゆっくりできる雰囲気だった。水も無料で飲むことができるし、アイスクリームなども置いてある。ロッカーは100円を入れる方式だが、当然100円は後から戻って来る仕組みだ。この期に及んでまださらにお金を取られたんじゃたまらない。

ここの温泉は本当に素晴らしいものだった。ハンガリーの温泉があまりに残念だったから余計にそのように感じるのだろうか。やはり温泉は、ぬるい湯へとへらへらと水着を着て入るものではないと心から思った。日本の温泉のありがたさを身に染みてしみじみと実感した瞬間である。

日本の温泉と全然違う!温泉大国ハンガリー・ブダペストのルダシュ温泉に行ってきた

温泉は中に3つのお風呂が、外に巨大な露天風呂があった。しかし噂によると偶数日は男湯の内湯が広く、奇数日は女湯の内湯が広いものとなるらしい。ぼくが行ったのは偶数日だったので、男湯の内湯が3つと多かったのかもしれない。

この露天風呂がとても最高だった。白い雪景色に囲まれてゆったりと露天風呂に入ることができるのだ。お湯の温度もちょうどよく、お湯が流れてくる場所はやや熱く、遠くへ行くほどにぬるくなる傾向があるので、自分の好みに応じて移動し、お湯の温度を選択することが可能である。ぬるい場所にいればこの雪景色を見ながら、何時間でも滞在できそうな気分だった。

ぼくはこのように雪景色を見ながら露天風呂に入るのが夢だったのだが、なかなか実現できずにいた。今回はそのような期待はなく、ただ温泉に入りたくて豊平峡温泉に赴いただけだったが、思いがけず夢が叶って感動した。

温泉というものはやっぱりこのように、ゴツゴツした自然の中にあるような岩や、本当に山の中にありそうなお湯の流れの中で、裸になって入るのが情緒深いのだと深く感じた。なんだか自分が野生の中に帰って行くような、お猿さんになったような気分がして、懐かしい気持ちになるのだ。服も着ないで山の中をうろうろしていたはるか昔のご先祖の気持ちが、ぼくの中に投影して映し出されていくのだろうか。

 

 

・人間が動物へと帰りつく聖域

禅の思想の中でも、悟りを開いてこの世界は無だと感じたその先に、「返本還源」という自然へと帰っていくという段階が用意されている。

ぼくたち人間は動物的であるということを必死に隠したがるような傾向にある。自分たち“人間”は他の動物たちより一段階高い地位にあるのだと思い込み、思いたがり、それゆえに自分の動物的な行動を社会的に抹消しようと画策するものである。

自分たちは他の動物のように、尿もしなければ便も出さない、射精もしなければ生殖さえしませんという“風な”顔をして、社会の中を歩いていかなければならないのだ。誰もがそのような顔をしながら社会の中をくぐり抜けているけれど、誰もがそんなこと嘘なのだと知っている。誰もが排泄だってするし生殖的行為をしているというのは、火を見るよりも明らかであるしそれが自然なことである。どのような人間も、動物となんら変わらないのだ。

そのように誰にでもばれているわかりきった嘘を、誰もが社会的にまとっており、そのわかりきった嘘を明らかにすることで笑いを起こすのが“下ネタ”と呼ばれる技術であるが、これは非常に人間的で面白い技である。自分は動物ではありませんという、すぐにばれてしまうような嘘を、どんな立派な大人も小さな子供も皆ついており、しかも誰もがそれがばれていることさえ知っており、そしてそれをあえてばらしてしまうことで爆笑が起こりみんなで喜んだりするのだ。誠に妙でおかしな人間の業である。

自分たちは実は動物なのだ、尿も便も出すし、生殖だって盛んにするのだという秘密を誰もが抱えており、しかしその秘密を誰もが互いに暴いており、その秘密を不意に共有することで一体感や連帯感や笑いを起こす。その結果として暴かれた“動物的な”人間たちは、自分たちが恥ずかしくもあり面白くもある。自分たちは動物よりも高等な“人間”のつもりでそれを必死に演じていたのに、本当は誰もがたかが動物の一種類に過ぎなかったのだ。そして自分たちが動物に過ぎないことは、裸になることでも明らかにされる。

日本の温泉では誰もが全裸になる。服という文明をまとっていたときには暴かれなかった動物性が、ここでも明らかになる。人間が動物である象徴であるところの、生殖器が誰にさえ見ることをゆるされるのである。しかしこのように生殖器を見せることで、あまりに恥ずかしいという思いを抱く人は少ないだろう。ばれることがわかりきった、自分は動物ではないという嘘が見抜かれたという絶望感や羞恥心よりも、自分が生殖器をつけた動物であるという秘密を誰もに共有できるという安心感や解放感の方が、人間の心の中に広がっていくのではないか。

誰もが本当は動物であると明かしたかったのだ。それなのに社会構造がそれをゆるさない。つきたくもない、しかも誰にでもばれてしまう嘘を抱え込んだ人間たちの心は、少なからず疲弊を担うのではないだろうか。そしてその罪悪感のある嘘を脱ぎ捨てることができる温泉という場所こそ、日本人の中の聖域なのではあるまいか。

嘘をつきたくてついている人などいない。誰もがどうしようもなく、運命的に嘘をつかなければならない定めを背負っており、嘘は罪悪だと親から教えられるのに、嘘をつかざるをえない人間の残酷な運命。そのような引き裂かれるような運命の罪を洗い流してくれる聖域が、ぼくたちには必要なのだ。

 

自分たちが動物だと誰にさえ宣言するその聖域では、動物的な自我は野蛮な下等生物ではなく、悟りの先に位置する「返本還源」という、本来帰るべき自然の国へと帰りついた姿なのだ。

 

・豊平峡温泉でインドカレー

雪を見ながら入る温泉が楽しすぎて2時間くらい入ったあと、昼食を食べるためにレストランへと向かった。温泉のレストランの中にインドカレーの香りが漂っているというのは、またとない経験である。どのメニューも1000円前後でありお手頃だ。インドカレーらしくライスではなくナンがついている。

大阪の梅田にいた頃はよくネパールカレーを食べていたが、ここ最近はアジアカレーをまったく食べていなかったし(札幌でスープカレーは食べたけど)、シベリア鉄道・ヨーロッパ100日間の旅でもインドカレー屋さんは見かけはしたものの入ることがなかったので、久々のカレーとナンを食べてとても満足度が高かった。まさか温泉で食べるとは夢にも思わなかったが。

札幌の奥芝商店で人生初のスープカレーを食べてきた

カレーを食べた後はまた温泉に1時間くらい入り、バスに乗って札幌まで帰った。帰りのバスも1時間に1本くらい。これも予約ができるみたいだが、帰りのバスは行きと違ってガラガラだったので簡単に乗ることができた。白い雪を見てバスに揺られながら、札幌へ帰った。

雪を見ながらの風流な露天風呂+インドカレーの組み合わせは、風変わりではあるものの非常に満足度の高いものとなった。

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

 

関連記事