ぼくたちはいつも、愛されることを望んでしまう。
愛されることが幸福というのは本当か?
・笑っているだけで愛された時代
・ぼくたちは何ゆえに愛されるだろうか
・もしも精液がなくても
・ぼくたちは愛するしかないだろう
・愛することと愛されること
・笑っているだけで愛された時代
ぼくたちはいつも、愛されることを望んでしまう。遠い昔、この世に生を受けた時に無条件で誰もが愛してくれた、まるでその時代を懐かしむようにして、愛されるという故郷へと帰りたがる。
生まれた頃は、誰もがぼくたちを愛してくれた。何ひとつ言葉を話せなくても、泣いて伝えることしかできなくても、立って歩くことすらできなくても、世界に関して何の役に立たなくても、人々はぼくたちを愛してくれた。
笑っているだけで、愛されていた。生きているだけで、愛されていた。無条件で愛されるという時代から立ち去っても、ぼくたちはまだ、その奇跡的な時代の感触を忘れたくない。この世に純粋な生を受けた以上、透明な感受性を保ち続ける限り、便利だから、部品だから、役に立つから、愛されるわけにはいられない。
真理は懐かしさの香りがすると、数学者の岡潔は語った。真実を求めて生きているぼくたちは、いつしか懐かしい風景への帰り道を見つける。真理とは普遍的なものではなく、単なる個人の懐かしい記憶ではないかと、ぼくたちは疑い出す。何ひとつできなくても、疑いなく愛されていた時代の記憶が無色の腕を伸ばして、知らず知らずのうちにぼくたちの命の願いを支配していく。
・ぼくたちは何ゆえに愛されるだろうか
大人になった今は、何ゆえに愛されるのだろうか。その魅力的な肉体を愛されるだろうか。その精神の美しさを愛されるだろうか。その経済的な能力を愛されるだろうか。その潤沢な所有物を愛されるだろうか。その旺盛な生殖能力を愛されるだろうか。
あらゆる愛が生殖と、生活の能力へと帰着していくのならば、ぼくたちが真に探し求めていた懐かしい愛はどこだろう。理由がなくても愛されていた、見返りの欠片も見当たらなかった、ぼくたちが本当に欲しい愛はどこだろう。
・もしも精液がなくても
もしも精液がなくても、ぼくたちはその人を愛せるだろうか。もしも与えられた性的な願いを取り除いても、ぼくたちはその人を愛するだろうか。
探して彷徨い歩いていた懐かしい愛は、やがてどこからか知らず知らずのうちに与えられた精液からの衝動に絡め取られ、ぼくたちは何を探していたのかわからなくなる。男性の生殖は能動的な衝動。それはただ、望まずとも天から与えられた衝動であるのに、男性はそれを愉しみ、それを慈しみ、それを望んでいると見なされてゆく。それは望まずとも、天から与えられた液体であるのに。
本当は望んでいた、遠い昔の母親の温もりが、精液によって羅針盤を差し替えられ、性的な衝動の彼方で別の人間を追い求めてゆく。もしかしたら自分が探していたのは、この人の温もりだったのではないかと、誤る。
・ぼくたちは愛するしかないだろう
愛される時代は、もう戻らない。それはこの世に生まれたばかりの生命にだけ与えられる、天からの祝福のような愛だった。ぼくたちが探し、彷徨い歩いているあの愛される時代は、もう二度と戻らない。
誰もが自分自身よりもぼくたちを愛してくれた、誰もが理由もないのに見返りのない愛だけを注ぎ込んだ、そのような幻の日々は、もはや時の彼方。無条件に愛される時代は終わりを告げ、透明な愛は降り注ぐのをやめ、生殖と生活に絡め取られる日々が津波のように押し寄せる。
「愛する」しか、ないのではないだろうか。愛されたいという願いを置き去りにして。
「愛する」しか、ないのではないだろうか。愛された日々を宝石のように心に隠して。
「愛する」ことを始めよう。それしか道がないのだと天は告ぐ。「愛する」ことに身を傾けよう。もはやそれしか幸福に生きる術がないのだと悟って。愛される自分を誇りに思うことしかできない、呪われた魂を脱ぎ捨てて。与えられることでしか価値を見出せない、愚かな迷いの翼を解き放って。
・愛することと愛されること
あの人を愛した自分を、誇りに思おう。たとえ思いが叶わなかったとしても。真に人を愛した自分に、慈しみをあげよう。たとえ愛が、返されなかったとしても。愛することと愛されること、愛されることの方に価値があるというのは、本当だろうか。
愛されたあなたよりも、愛したあなたの方が、そして深く傷ついたあなたの方が、きっといくつもの意味を担ってゆく。愛された幸福よりも、愛するという海の方が、きっといくつもの深さをあなたにもたらす。