お金は魂の使命を果たすための道具に過ぎない!ぼくたちの人生の目的はお金を稼ぐことだというのは本当か?
・親はなぜ子供に「きちんと勉強しなさい」と叱るのか
・勉強を頑張れば高収入となり、結果的に幸せな人生を歩めるというのは本当か?
・ぼくたちの人生の目的はお金を稼ぐことではなく、お金を利用して幸福になることにある
・重要なのは自分自身の幸福の正体を見出すこと
・お金の冒険も、魂の使命を果たすための旅路の一部である
目次
・親はなぜ子供に「きちんと勉強しなさい」と叱るのか
ぼくたちは幼い頃から、親に「きちんと勉強しなさい」と教育される。呑気なテレビアニメの中でさえのび太くんがママからしきりに「勉強しなさい」と叱られているのを見ると、それは日本の家庭の典型的な風景となっているのだろう。しかしなぜそんなにも親たちは躍起になって、子供たちに勉強させようとするのだろうか。もちろんそれぞれの親によって違いはあるだろうが、最も一般的な思考回路は次のようなものだと思われる。
子供が勉強を頑張る→学校でいい成績をとる→いい大学に進学する→いい会社に就職する→安定した生活と高い収入が得られる→幸福な人生を歩むことができる
多少の差はあれど、これがほとんどの日本人が共有している”子供に勉強させる目的”ではないだろうか。ぼくも日本人として日本で生まれ育ち、このような観念が多くの日本人の中に無意識に宿っていることを感じ取ってきた。しかしほとんどの日本人が信じ込んでいるこの黄金ルートが、本当に人間を幸福へと導いてくれるのだろうか。
・勉強を頑張れば高収入となり、結果的に幸せな人生を歩めるというのは本当か?
子供が勉強を頑張る→学校でいい成績をとる→いい大学に進学する→いい会社に就職する→安定した生活と高い収入が得られる
というところまでは、なるほどそうだろうなぁとぼくは自分の人生と照らし合わせて納得がいく。ぼくは勉強が好きだったこともあり中学高校と学年1位を維持し続け、大学は医学部医学科へ進学し、卒業して医師免許を取得することができた。医師免許という国会資格がぼくに安定した収入と生活をもたらし、多少他人とは違った人生を歩んだとしても何とか生き抜くことができそうだという手応えを感じたのは、紛れもない事実である。もちろん全ての人がそうとは限らないだろうが、親や先生が言うように勉強を頑張れば将来安定した生活と高い収入が得られる可能性が高くなるというのは、周囲の高学歴の人々を観察していても実感されるところである。しかし一方でその続きとしての
安定した生活と高い収入が得られる→幸福な人生を歩むことができる
という最も重要なステージに関しては、そうなのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。確かにたくさんのお金があれば心に余裕が生まれるというのに違いはないが、お金があるからと言って人間の真実の幸福へと即座に結びつけられるというのはあまりに安直すぎるのではないだろうか。
・ぼくたちの人生の目的はお金を稼ぐことではなく、お金を利用して幸福になることにある
お金というのは目的ではなく、手段に過ぎない。資本主義のこの世の中において、人生の目的はお金を稼ぐことにあるのだと思い込まされてしまいそうになるが、本当に重要なのはお金そのものではなく、そのお金を利用することによっていかにして自分自身の人生を幸福へと導くかということだ。
上記のように学校で勉強を頑張るのも、やがてはいい会社に就職し安定してたくさんのお金を稼ぎ出すためだという単純な世渡りの気配が蔓延しているが、ぼくたちの本当の目的はお金を稼ぐことではなく、そのお金を使って自分自身にとっての真実の幸福へと辿り着くことであるはずだ。そのためには当然、自分がどのような時に幸せを感じるのか、自分自身の幸福の正体とは何かをしっかりと見極めておく必要があるだろう。
・重要なのは自分自身の幸福の正体を見出すこと
勉強を頑張ればやがて高収入を得られ、幸福になれるという日本人の思い描く黄金ルートには欠陥がある。それはすなわち勉強を頑張るということが、自分にとっての幸せとは何かを発見するための手助けになるとは限らないということだ。勉強を頑張ることによって流れるように自然と高収入へと辿り着くことはできても、そこから人間の真実の幸福へと飛翔することは遥かに難しい。
自分にとっての幸福とは何か、それを見抜くための力は学問や勉強によって培われるというよりはむしろ、あらゆる知識や雑念を自分自身からふり落とした先に立ち現れる”野生の直感”によって見出されるのではないだろうか。それは学問や勉強とは対極に位置する、荒々しく剥き出しにされた原始的で純粋な感性だ。稼ぎ出したお金を利用して自らを幸福へと旅立たせるためには、これまで高収入を得るために役立ってきた学問や知識を脱ぎ捨て、赤子や動物のような存在へと立ち返り、自分自身の幸福の正体を明らかに見極める必要があるのではないだろうか。
清らかで透明な鏡と向き合うように自分自身と対峙し、自分が好きで好きでたまらないこと、やりたくてやりたくて仕方のないこと、本当はやりたくもないのに直感的・本能的・運命的にどうしようもなく突き動かされてしまうもの、生まれる前から決められていたかのような根源的な情熱を見出すことは、ぼくたちが自分自身の幸福の正体を知る大いなる手がかりとなるだろう。それは結局自分がなぜこの世に生まれてきたのか、この生命と人生の目的、そして自らの魂の使命を見抜くことにつながってゆく。
・お金の冒険も、魂の使命を果たすための旅路の一部である
ぼくたちが生きている現代社会では、何をするにもお金がかかる。ぼくたちの人生の目的はお金を稼ぐことではないにしても、直感される自らの魂の使命を遂行するためにも多少なりともお金が必要となってくるだろう。どんなに世俗的であると見下そうとも、ぼくたち人間がこの世を生き抜くにおいてお金のことを考えないわけにはいかない。いかにしてお金を稼ぎ、お金を貯め、お金を増やし、お金を守り、そして最終的には自らの幸福のため、魂の使命を果たすめにいかにして最大限にお金を費やすことができるのか、お金の冒険という名の旅路は既に始まっている。