なんでもかんでもインターネットですぐ検索すればいいというのは本当か? 〜疑問と不思議の熟成が人生に情緒を与える〜

 

なんでもかんでもすぐにインターネットで調べようとする人間がいる。

なんでもかんでもインターネットですぐ検索すればいいというのは本当か? 〜疑問と不思議の熟成が人生に情緒を与える〜

・インターネットで検索すればどんな疑問も解決する現代社会
・自分自身の中で疑問を熟成させる時間が人生に情緒を与える
・〜邂逅〜
・検索しても導き出されない回答を自分なりに創造し表現する人生

・インターネットで検索すればどんな疑問も解決する現代社会

インターネットが普及しているという観点において、世の中は今とちょっと昔とでだいぶ変化しているように感じる。最も大きな変化は、ちょっと疑問に思えばすぐにグーグル検索して答えを探し出せることだ。

たとえば今は英語の和訳の宿題が出題されたような場合でも、わからないときにはその英文をグーグル翻訳に直接入力すれば簡単に和訳を表示することができ、その和訳からどのような英語の文法を駆使すれば和訳できるのかを逆算することができるだろう。日本語を英語にする場合も同様であり、英語の宿題というのはかなりやりやすくなったのではないだろうか。英語の単語をいちいち辞書を引いて調べなくても、グーグル翻訳を活用できるので時間も節約できそうだ。

宿題に限らず日常生活において、ふと疑問に思ったこととか不思議に思ったことなどを、なんでも検索できるから世の中はだいぶ便利で生きやすくなった。料理を作りたいと思えばお好み焼きの作り方も料理本を買わずともすぐにスマホで出て来るし、中島みゆきの歌詞も全部どれでも見放題だし、そのポケモンがどんな技を覚えるのかも攻略本なんてなくても無料で見られるし、新聞なんて開かなくてもその日の株価はオンタイムで観察できるし、髪の結び方などもわかりやすい動画で習得できるし、とにかくありとあらゆる疑問はインターネットを通して解決することができる。

しかしだからといって自分の心の中に沸き起こったすべての疑問や不思議について、速やかで確かな答えが欲しいあまりにすぐさまスマホで検索してしまってもいいのだろうか。

 

 

・自分自身の中で疑問を熟成させる時間が人生に情緒を与える

自分の心の中に沸き起こる疑問や不思議は、紛れもなく自分自身にとっての宝物である。普通に日常生活を生きていて、これっておかしいんじゃないかとか、みんなこう言っているけれど本当なのだろうかとか、誰もが疑問に思っていないけれど自分にとってはものすごく不思議なことなどは、自分自身が深く物事を考えるチャンスをもたらす天からの贈り物だ。

それは学校の宿題や受験勉強のように、ひとつの問題があればひとつの答えがあらかじめ用意されているような種類の浅はかな問題ではなく、考えれば考えるほどに宇宙のように叡智が広がってゆく神秘的な生命への問いかけだ。その疑問や不思議は、学校の勉強のように決められた回答を速やかに導き出すためにあなたに与えられたわけではなく、あなたがその人生をかけて深く洞察・思考し、ゆっくりじっくりと自分だけの尊い答えを純粋に抽出するためにもたらされた質問たちだ。しかしだからと言って一生の終わりに誰かが確かな答えを用意してくれているわけでもないという、救いもなければ途方もない問題集だ。

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インターネットが高度に発達した現代社会においては、時間がもったいないし面倒くさいから手っ取り早く正しい回答を知りたくて、つい何も考えずにグーグル検索を行なってしまいそうになるが、はっきり言ってそのような態度では情緒深い人生を送ることはできないだろう。大切なのは効率的に手っ取り早く他人の用意した正しい答えをむさぼることではなく、どんなに遅くてもたとえその答えが間違っていようとも、せっかくこの世に生まれついた世界にたったひとつの自分独自の思考回路で深く洞察し疑問の全てを思考してみることだ。

その結果として導き出された答えが、間違っていようが正しかろうが重要ではない。あなたがこの世の中で生きてきて疑問に思ったり不思議に思ったことを大切に心に蓄え、それらを人生の時間をかけてゆっくりと深く思考し、ああでもないこうでもないと苦悩し紆余曲折したその先で、なんとか純度の高く美しい宝石のような回答を導き出せたならば、それが間違っていようが合っていようがあなたの一生の宝物になる。宝物になるのはその回答というよりはむしろ、その答えを導き出すために費やした時間や思考回路によって形成された、あなたの情緒そのものである。

 

 

・〜邂逅〜

人は様々な疑問や不思議を幼少時代から心の中に大切に蓄え、時に思い出し時に忘れ去りつつもそれらと離れ難く付き合いながら人生を過ごし、色々な経験や出会いや思考回路の旅路を経て、やっとの思いで自分独自の回答が抽出されてゆく。しかしその疑問や不思議は自分だけの心に思い浮かんだものであるから、それに対するピッタリ当てはまる模範的な答えが世の中に存在するはずもなく、合っているのか間違っているのか不明なまま、しかし自分だけの答えが導き出せたという感覚と、そこに至るまでの旅路がもたらしてくれた情緒によって心はひどく満たされるだろう。

そうこうして生きているうちに、自分だけが持っていたと思い込んでいた疑問や不思議を他の人も同じように心の底に持っていて、さらに他の人も同じように自分なりの回答を導き出したのだという風景に運命的に出会うこともある。それは本の中に隠されているのかもしれないし、歌の中に込められているのかもしれないし、映画の中に潜んでいるのかもしれない。それに出会えるか出会えないかは運命のみ知るところであり、自分自身ではコントロールできない範疇にあることから、この人生の中で邂逅できればなおさら感動的な衝撃を味わうことができる。

 

 

・検索しても導き出されない回答を自分なりに創造し表現する人生

インターネットで検索すればすぐに確かな答えが出てくるような質問は、人生において深く関わるに値しない野暮な質問なのかもしれない。インターネットで検索しても全然答えが見当たらない他の人々によって未開拓な領域こそ、自分の人生で道連れにする疑問や不思議にふさわしい神秘的な問いかけではないだろうか。

ぼくが心で疑問に思ったり不思議に感じたりすることを試しにインターネットで検索してみても、困ったことにふさわしい答えが全然検出されないことが多い。

 

例1)日本が洗脳されている儒教や敬語のシステムに大いに違和感を覚えるが、このシステムの異常さやおかしさについてみんなどう感じているのか、この敬語の違和感を的確に表現している人はインターネット上に存在するのか。→検索結果なし

敬語が必要というのは本当か? 〜儒教による階級の作成と尊敬の強要〜

 

例2)人間にはそれぞれ生まれてきた使命があるというのは本当なのだろうか。その使命が、例えば医者になって人々を救うという人助けや労働に関わることならばよいが、自分が使命だと感じるものが人々の間で”悪行”だと見なされている場合にはどうなるのか。”悪行”ならば生命の使命だと名付けることはゆるされないのか。→検索結果なし

ぼくたちにはそれぞれ生まれてきた使命があるというのは本当か?

 

例3)人間は自分の感覚や状況によって時間を長く感じたり短く感じたりするけれど、人生の中で時間を長く感じることと短く感じること、どちらの方がいいことなのだろう?→検索結果なし

セネカ「生の短さについて」への提言!人生の時間を遅く長く感じた方がいいというのは本当か?

 

例4)幼児的万能感を尊く思いなるべく大切にしたいんだけどどうしたらいいのかな?→検索しても逆に幼児的万能感を滅ぼし、克服する方法ばっかり!

オラはすごいぞ天才的だぞというのは本当か? 〜クレヨンしんちゃん「オラはにんきもの」と幼児的万能感〜

 

例5)要らない人間なんてこの世にないんだと言われると心が救われるけれど、しかし動物や生物を観察していると、もしかしてあっけなく死ぬためだけに生み出された生命もたくさんいるのでは?本当にいらない命なんてこの世にないのかな?→検索結果なし

いらない人間なんていないというのは本当か?その2 〜差別といじめとクラゲ〜

 

例6)個人の幸福と集団の幸福は反比例しているような気がするけれど、どうすれば両立できるのかな?→検索結果なし

個人の幸福よりも集団の幸福の方が重要だというのは本当か?

 

例7)仏教では人生を苦しみととらえるけれど、果たして日本人もその通りに人生は苦しみだととらえながら生きているのだろうか?→検索結果なし

生まれ変わることは苦しみであるというのは本当か? 〜高畑勲監督・かぐや姫の物語の考察〜

 

例8)アジアの野犬は本当に怖い!犬に吠えられたり追いかけられたりした時に絶対に噛まれたくないんだけどどうしたらいい?!→検索しても頼もしい情報なし

犬が可愛いというのは本当か? 〜犬に吠えられる不快と狂犬病の恐怖〜

 

例9)スペイン巡礼に寝袋は必須と書いているが、スペインの夏なんて暑いのに本当に寝袋なんか必要なのだろうか。夏でも夜は冷えるからと書いていることもあるが、スペインの夏って寝袋要るほど寒いものなの?!→検索結果なし

夏のスペイン巡礼で寝袋は必要なかった話とシュラフシーツの重要性

 

検索しても誰もインターネット上に答えを用意していない場合、しかしそれが自分にとって大切な疑問や不思議であった場合、ぼくたちはたどり着いた自分独自の世界の回答を自分自身で創造し、表現し、提出するしかないのではないだろか。だからぼくは記事を書いた。このブログ「みずいろてすと」は、ぼく自身の心の疑問と不思議から導き出された回答の結晶である。このブログはぼくの問題集でもあり、回答集でもある。そしてその問題も回答も両方、ぼくが生きる度に次第に変化し移りゆくことも十分にあるのだ。

手っ取り早いし受け取るだけだと楽だからとインターネットで簡単に検索し、他人の用意した答えにしたがって他人の人生をなぞって生きるよりも、まだ世界のどこにもない独自の回答を自分自身で創造し、世界へ向けてたったひとつの答えを表現する方が、はるかに生きがいがあるのではないだろうか。もちろん気力と体力の必要な生き方ではあるが。

 

 

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