旅をしているとぼくは髪が伸びてきた。
男は髪が短くて、女性は髪が長いというのは本当か?
・ぼくは今人生で最も髪が長い
・男は社会的に髪を長く伸ばすことができない
・男は髪が短くて、女性は髪が長いというのは本当か?
・髪が長いことの生きづらさとそれでも女性は髪が長い不思議
・ぼくは今人生で最も髪が長い
長旅をしていて、困るのは異国では髪を切れる場所がないということだ。もちろんどこの国にだって床屋さんはあるが、異国の床屋なんて心配なことこの上ない。それに加えてぼくは髪を伸ばして頭頂部付近で束ねるという「マンバン」という髪型に挑戦してみたかったので、必然的に髪を切る機会が皆無となり、今となっては1年半以上髪を切っていないので、今までの人生で最も髪が長いという状況になっている。
「マンバン」という髪型は結構大変で、前髪も後ろ髪も横の髪も男性としてはかなり長くなければ頭頂部で綺麗にまとめることができないので、普通に社会人をしている男性はマンバンをするのは不可能だろう。ぼくもすべての位置の髪がマンバンできるほどにまで伸びるのにかなりの時間がかかった。医者として社会で働いていたぼくも、旅人である今の機会しかマンバンなどできないというのが実情だ。
・男は社会的に髪を長く伸ばすことができない
それもこれも、社会的に男性は髪を短くすべきだという常識や思い込みがあるからだ。それに対して女性は自由に髪を伸ばしたり短くしたりでき、どんな髪型をしていても大抵責められることはないだろう。髪型に関して、女性の方が男性よりもはるかに許容され寛容に扱われていることは間違いないだろう。男性の方が女性に比べてはるかに髪型に自由が与えられていない。これは服装に関しても言えることである。
しかしこれに対して不満を述べる男性は少ない。社会的生き物である男性は、社会的観念や常識に対して本当にそれでいいのかと異を唱えるというよりはむしろ、常識や洗脳に大人しく従った状態で社会の部品として人間の集団にとって都合よく生きていく方が重要であるようだ。
女性というものは自分が性的に差別されていると感じるとそれを主張してもゆるされるような風潮があるのに対して、男性が性的に差別されていることを主張するのはなんだか野暮のように社会的にとらえられる風潮があると感じるのはぼくだけだろうか。弱いはずのもの(女性)が強いはずのもの(男性)に向かっていくのはよしとされても、強いはずのもの(男性)が弱いもの(女性)に向かっていくのは野暮なものだと社会的に封じ込められる。
筋肉量が多く背も高いので、男性=強い、女性=弱いという方程式を勝手に成り立たされて、自分が受けている差別に異を唱えることもゆるされない空気が蔓延しているなんて、男性というものはある意味不憫な生き物であると思う。女性が髪を長いことを社会的にゆるされているならば、男性も同じように髪が長いことをゆるされるべきでありそれが当然のはずだが、そのように主張する者はほぼ皆無である。
・男は髪が短くて、女性は髪が長いというのは本当か?
しかしどうして女性というものは髪の長いのが多く、男性というものは髪が短いのが多いのだろうか。それって誰が決めたのだろうか。様々な種類の人間がこの世にはいるものの、男と女、どっちが髪が長い種類の人間でしょうと問われたならば、よほどひねくれている人間でない限り、男の方が髪が短く、女の方が髪が長いと答えるだろう。
日本だけでなく外国を旅していても、大抵髪の長いのは女で、短いのは男である。全世界そのような仕組みになっているとすれば、人類の根源に遺伝子レベルで何かしらの髪型に関する暗黙のルールが横たわっているのだろうか。それとも男の方が髪が長い民族もどこかには存在しているのだろうか。ぼくはまだそのような民族を見かけたことはないが。
日本の古代の絵を見てみると、男性もちょんまげをしていたり髪を結っている時代もあって、実は男性も髪が長かった時代もあるのではないだろうか。縄文人の男性なんてよく髪が伸び放題のように描かれているが、あれはただの想像であり絵や写真も残されていないので想像するしかないのだろう。
しかしもし本当に遺伝子レベルで根源的に男=髪が短く、女=髪が長いものだと決まっているならば、体の仕組みとして、男の髪が長くなりすぎたら毛がたちまち抜け落ちて永遠に短い髪型が保たれるように設計されているべきではないか。ライオンだって男=たてがみがふさふさしているべき、女=たてがみがなくてツルッパゲであるべきと遺伝子レベルで組み込まれてるから、メスにはたてがみが生えてこないのだろう。人間はまだそのレベルには達していないし、男も髪を伸ばそうと思えば伸ばせるわけだから、人間の男=髪が短くあるべき、女=髪が長くあるべきという思い込みは、たかが社会的な妄想に過ぎないのかもしれない。
・髪が長いことの生きづらさとそれでも女性は髪が長い不思議
それにしても女性は好きで髪を長く伸ばしているのだろうか。それとも自分は女なのだから髪を伸ばすべきだと思い込み、伸ばしたくもないのに伸ばしているのだろうか。
ぼくは今人生でいちばん髪が長く、肩にかかるくらいにまで髪が伸びていて感じることは、髪が長いって実にめんどくさいということだ。今まで髪の長い女性の気持ちを考えたこともなかったが、今自分の髪が長くなって思うことは、彼女たちはなんて大変な生活を送っているのだろうということだ。
髪が長いというのは単純にものすごくわずらわしい。食べ物を食べようとすると食べ物が髪につきそうになって危ないし、シャンプーする時なんかも手間が何倍もかかるし、シャンプーの消費量だって半端なく増加する。ぼくが髪を伸ばして思うことは、髪は短い方がはるかに生きやすいということだ。
それに気づいた時に、女性に髪が長い人が多いのが不思議で仕方なくなった。髪が長いとこんなにも生きづらいのに、彼女たちはどうして自ら進んで髪を長くして生きようと思うのだろう。今初めて髪を長くしたぼくと違って、彼女たちは幼い頃から髪が長いからもはやその生活に慣れているだけのことだろうか。人間というものは楽な方へ楽な方へと流れくだる性質がありそうだが、女性にとって髪を長くすることはそれにも勝る利点があるのだろうか。
女性アーティストだって、一旦ショートヘアーにしても大抵また髪を伸ばし始める。安室ちゃんも宇多田ヒカルも浜崎あゆみもそうだった。やはり女性には髪を伸ばしたくなるという本能でもあるのだろうか。