人間は子孫を残すために生まれてきたというのは本当か? 〜人生の目的〜

 

子孫を残すことが生まれてきた目的なのだろうか。

人間は子孫を残すために生まれてきたというのは本当か? 〜人生の目的〜

・人間は子孫を残すために生まれてきたのか
・3つの本能の行方(食事、睡眠、生殖)
・人生の目的
・宇宙の言語

・人間は子孫を残すために生まれてきたのか

しばしば世の中では、人間の生まれてきた目的として、子孫を残すために生まれてきたのだということが語られる。そんな話を聞いて、ぼくたちはなにも考えなければなるほどそうかもしれないなぁと納得する。

周囲の人々を見ていても、誰もが性欲に支配されており、逃れられている者はない。しかしそれは本能と呼ばれる種類のものならば、逃れられないことはごく自然なことである。食べるとや、眠ることを止めることはできないように、性的な欲求も抑えられないことが普通である。そしていつしか子供が宿り、それを育てている多くの人々の姿を見ていると、ああ人間は結局これのために生まれてきたのかもしれないなぁとぼんやりと感じてしまう。

しかし果たしてそれは本当だろうか。多くの人々が本能的に生殖を成し遂げているからといって、果たしてそれが人生の目的となり得るのだろうか。それならば誰もが本能として行なっている、食べることや眠ることを指して、どうしてそれを生まれてきた理由とは言えないのだろう。食べることや眠ることだって、生殖と同様誰もが行う行為であるものの「食べるために人は生まれてきたのだ!」「眠るということが人生の目的だ!」と言われても、納得する人は少ないだろう。むしろ違和感を覚える人々が大半ではないだろうか。

 

 

・3つの本能の行方(食事、睡眠、生殖)

食事も睡眠も生殖も、どれも人間に備わった重要な本能であるのに、生殖とそれにつながる種の保存だけが人生の目的として見なされていることは不可解だ。どうして生殖だけが人生の目的として特別扱いされるのだろうか。

それは唯一、永遠へとたどり着けそうなものが生殖だけだからではないだろうか。たとえどんなに食事を取っても、睡眠をしても、健康には関与するものの、いずれこの身は滅びてなくなってしまう。どうせ消えてなくなってしまうもののために生まれてきたなんて、なんとなくさみしい思いがする。

しかし、生殖は違う。生殖すればそれはもしかしたら連綿と遺伝子の連鎖が永遠につながっていくかもしれなくて、また生物として永遠に連なっていくことを願って、雄は射精し、雌はそれを受け止め出産するのかもしれない。死によって終わってしまうものが人生の目的だなんて、なんとなく虚しい。死を超えてでも永遠に続いていきそうなものに、人生の目的を託すということは、人間の思考として自然な流れであるように思う。

しかし、永遠に血脈が続くなんてことは人間の幻想に過ぎないだろう。どんなに長く子孫を残せたとしても、いつかは太陽は膨張し地球を飲み込んでしまうのだから、そのときには地球上のすべての血脈は途絶える運命にあるのだ。もしかしたら優秀な遺伝子が科学の力で宇宙へと逃げ出し、ワープして遠い惑星で、酸素と水を作りながら生きながらえるかもしれないが、それも永遠に続くということはないだろう。

それならば永遠ではない、消滅を乗り越えられないという点で、生殖や子孫を残すという行為は、結局は食事や睡眠のような本能と同等となり、結局は「子孫を残すために生まれてきたのだ!」という文言さえ「食べるために人は生まれてきたのだ!」「眠るということが人生の目的だ!」という言葉と同様の価値しか持たなくなり、そこには違和感しか感じなくなる。果たして人間、本当ははなんのために生まれてきたのだろうか。

 

 

・人生の目的

そもそも多くの人々が生殖するからと言って、多数決のように、それが正しく正当であり、人生の目的にまで祀り上げられることもおかしなことかもしれない。多くの人は生殖するが、しない人だっているだろう。病気で生殖ができない仕組みになっている人だっているし、受精を果たさない生殖を行う人々もいることだろう。

それは食事と睡眠と、生殖との大きな違いであり、食事と睡眠をしない人はこの世にいないが、生殖しないという人は割とたくさんいるに違いない。そういう点から言っても、本当に人間に必要なものは生殖ではなく、食事と睡眠であり、むしろこれらの方が人生の目的と言っても過言ではないのではないだろうか。

しかし、誰もが行う行為だからと言って、食事と睡眠を生まれきた理由に挙げても、それらはこの一生限りの行為で、死を乗り越えてもまで引き継がれる永遠という神秘性を帯びないという点で、人生の目的にするには、違和感を覚えることとなるだろう。

する人もいれば、しない人もいる、そんな生殖を人生の目的に掲げることはおかしなことである。それは毎日毎日生殖したくて仕方ない人々が、ああ俺はこんなにいつもいつも生殖したくて発情してたまらないのだから、こんなにも生殖したいという思いに駆られ支配されているこの生命は生殖のために、そして子孫を残すためにあるに違いないと信じる、発情人間の戯言かもしれない。しかし世間では割と子孫を残すために生まれてきたのだという観念がまかり通っているので、そのような発情人間が世の中の大多数を占めていることに異論はない。

「人生の目的」というからには、誰にでも通じるような、たったひとつの理由があるような気がしまうが、生命の神秘というものは、そうやすやすとその答えを教えてくれはしない。人生の目的はもしかしたら人間の言葉では言い表せない、宇宙の言語なのかもしれない。

 

 

・宇宙の言語

アンパンマンのオープニングでだって「なんのために生まれて何をして生きるのか 答えられないまま終わる そんなのはいやだ!」と言っているが、毎週毎週、答えられないまま終わる そんなのはいやだと叫んでいるからには、人生の目的は未だにわからないままなのだろう。もちろん人生の目的は、人類の歴史上ずっと考察されてきた問題であり、このブログの単なる一ページで片付く問題でもなければ、アンパンマンで見つかる問題でもないだろう。

しかし、浮世の洗脳から解き放たれ、受け付けられたおそれに縛り付けられずに、人生の目的を問い続けることが重要である。問わない者は人ではない。それはあまりに重要な問題であるあまりに、それぞれの人によって同じ答えであろうと、違う形で天から与えられる宇宙の言葉かもしれない。

ぼくの場合は問い続ければ、創造という道にたどり着いた。旅をするのも生きるのも、ただ創造へと帰着するためである。創造は自分の腕から導き出されるものなのに、自分から生まれ出づるもの以上のものを感じずにはいられない。あなたの道も、きっとあなた自身の中に。怠ることなく、修行を完成させなさい。

 

 

 

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