Hはエッチじゃなくてエイチと読むんだ!!!!!
これはすごくHな記事です!Hはエッチじゃなくてエイチと読むというのは本当か?
・「Hはエッチじゃなくてエイチと読むんだ」というMくんの主張
・Mくんの予想と実際に起きた出来事は真逆
・確かにHはエイチと読むだろう
・排除される異端者と統一されゆく思想
・「Hはエッチじゃなくてエイチと読むんだ」というMくんの主張
小学校低学年の頃、朝学校に到着すると教室内で何やら揉めていた。遠くから聞いていると、どうやらひとりの男子Mくんが「Hはエッチじゃなくてエイチと読むんだ!鉛筆のHBはエッチビーじゃなくて本当はエイチビーと読むんだ!」と主張しているようだった。
それを聞いてクラスのやんちゃな男子たちは「エイチビーなんて変なのー!そんなの嘘だ!エッチビーと読むに決まってるじゃないか!」とMくんをからかって囃し立てていた。クラスのみんなもその話に興味を持ったが、Hをエイチと読むと主張するのは孤独なMくんただひとり、他のクラスメートはみんなエッチと読むんだと信じて疑わず、結局クラスのみんなが面白がってHをエイチと読むMくんをからかいはじめ、最後にはMくんは泣かされてしまった。
・Mくんの予想と実際に起きた出来事は真逆
Mくんはクレヨンしんちゃんでいうと風間くんのような存在で、きちんと教育されている家庭に育っているというイメージだった。おそらく塾か家庭教師かなんかで、みんなはHをエッチと読むけれど本当はエイチと読むのだと英語の勉強の時間に先生から教えてもらったのではないだろうか。英語の勉強を真面目に聞き入れたMくんは、周囲のみんなは間違っているんだ、自分だけがHをエイチと読むことを知っているんだと自身に誇りを持ち、自分の習いたての知識を友達にも披露して得意げになりたいという気持ちで、「Hはエイチと読むんだ!」と主張したに違いない。
Mくんの予想の中では友達がみんな「そうかHは今までエッチと読むと思っていたけれど本当はエイチと読むのか、そんなことを知っているMくんは頭がよくて賢くてすごい!」と感じ、尊敬の眼差しでMくんを見つめることを想定していたのだろう。しかし実際にはその真逆のことが起こってしまった。Mくんはみんなからバカにされ、間違った知識を披露する愚か者として泣かされてしまったのだ。
・確かにHはエイチと読むだろう
実際に英語では、Hはエイチと読むのだろう。英語の授業でHをエッチと読む人がいれば、なんだか昭和っぽくて笑ってしまうし、どことなく性的な暗示を禁じ得ない。Mくんは非常に正しかったのだ!Hは本当は、世界ではエイチと読まれているのだ!ではなぜ正しいはずのMくんは教室で泣かされてしまったのだろう。孤独に悪者として打ちひしがれていたのだろう。
・排除される異端者と統一されゆく思想
教室のみんなは、Hの正しい読み方なんてどうでもよかったのだ。真実を追求しようとして、Hの本当の読み方を調べようとする者など教室にひとりもいなかった。ただ周囲の誰もが鉛筆のHBをエッチビーと呼んでいるからHはエッチと読むに違いないと、きちんと調べもしない同調的で無根拠な意見が大多数としてクラスという場の正しさを支配し、圧倒的多数決によりHはエッチと読むことがクラスの法律になってしまったのだ。
Hをエイチと読むようなごく少数の異端者は、社会の秩序を乱す存在として罰せられるべきであり、泣かされて当然の存在であり、その意見を屈服させてHをエッチと読ませてしまおうとする統一の思想がクラス中に充満していた。そしてその通り、Mくんは罰せられ泣かされた。しかし彼は最後まで自分の真実を貫いていた。彼は泣きながらも「Hはエッチと読むのだ!」と主張し続けたのだ。せっかく家で頑張って英語の勉強をしてみんなに知識を披露したのに、どうして自分が間違った存在として見下されなければならないのか納得がいかないようだった。
ぼくはその顛末をそばで見ていて、自分の中の真実を貫こうとするMくんに深く感心する一方、Hをエイチと呼ぼうがエッチと呼ぼうが人生において何の違いもないので、どうでもいいことはどうでもいいこととしてスルーして白熱しすぎない生き方が、エネルギーを無駄に消費しない賢い道ではないかと心密かに感じていた。そして少数派や異端者を無理矢理に屈服させ、クラスを同じ思想で統一させて理想的な人間集団を作り上げようとする小学校の教室内の出来事は、そのまま人間の根本的な性質を暗示させているようで興味深かった。