日本人にとっての浄化とは?
引きこもりが悪いことだというのは本当か? 〜日本人の浄化方法は「はらう」と「こもる」〜
・日本人の浄化には2つがある
・「はらう」ことにより自らを浄化させる日本人
・ぼくは無意識のうちに引きこもりになった
・引きこもりが悪いことだというのは本当か?
・日本人の浄化には2つがある
ぼくが民俗学的な本を読んで「境界線」について学んでいるところに、とても印象的な言葉が出て来た。それは日本人の浄化についてである。
日本人にとっての浄化はたった2つしかなく、それは「はらう」ことと「こもる」だと書いていた。「はらう」ことと「こもる」ことが浄化につながるというのはどういうことだろうか。
・「はらう」ことにより自らを浄化させる日本人
「はらう」というのは浄化につながるのはよく理解できる。日本の神社でも「お祓い」というように穢(けが)れや悪いものを、はらうことによって取り除こうとする風習が日本各地に見られる。
日常生活においても、服にゴミなどがついたら「はらって」服を綺麗にしようとするだろう。「はらう」ことが日本人の浄化につながるというのは、ストンと腑に落ちるような思いがする。しかし「こもる」という行為が浄化につながるというのは一体どういうことだろうか。
・ぼくは無意識のうちに引きこもりになった
最近はインターネットでもテレビでも新型コロナウイルスの話題で持ちきりだ。日本での武漢肺炎の患者は日に日に増加し、特にクルーズ船内の集団感染は顕著である。メディアが人々に注目されるために過剰に報道しているのではないかと感じる節はあるものの、感染力の強い感染症に関する話題なので騒ぎすぎて過敏になるくらいがちょうどいいのだろうか。
ぼくは今日本の実家に暮らしているが、全然外出しなくなった。別に外出したい理由もなく、家でブログも書かなければならないことが山ほどあるし、感染症の噂も聞こえてくるので、外に出て人間の集団に出会わないに越したことはないと、無意識のうちに本能的に判断してしまっているようだ。近くのおばあちゃんの家には行き来しているものの、いわゆる「引きこもり」の状態であると言えよう。
こんな風に無意識に家に「こもっ」てしまっている自分自身を発見したとき、初めて日本の2大浄化の意味が理解できた。そうなのだ。ぼくはまさに今、自分が「こもっ」ていたのだ!感染症という異国の”穢れ”に触れないために!
「こもる」ことにより自分を浄化させようという行為は、むしろ予防に近いものなのかもしれない。こもることで最初から穢れに接触しないようにすることで、自分自身を綺麗な状態に保っておこうと気を配ることだったのだ。
・引きこもりが悪いことだというのは本当か?
日本にはたくさんの「引きこもり」の人がおり問題になっていると聞くが、もしかしたら日本人の彼らは直感的に自分自身を”浄化”させようとしているのではないだろうか。資本主義社会の現代においては、金を稼がないものは意味がない。ぼくたちは現代の流行的な資本主義の思想に染められて彼らを裁き、引きこもりはよくないことだと決めつけてなんとかして部屋から引きずり出す方法を必死に考案してしまうが、彼らはただ民俗的、伝統的に自らの魂を浄化の道へと導いているだけかもしれない。
あまりにも心が綺麗すぎて、あまりにも感受性が豊かで、社会に渦巻く人間たちの欲望という穢れに慣れることなく打ちのめされ、やがて人間の集団の中でこびり付いてしまった、とめどない欲望や不条理な常識や間違った正しさという”穢れ”を取り祓うために、神道的、宗教的、伝統的に「こもり」の儀式を発動させているのではないだろうか。それならばぼくたちはどうして、彼らの魂の浄化行為を妨げる権利があるというのだろうか。
日本の神話の中では、天皇の御先祖である天照大神という太陽の女性神でさえ、天岩戸に隠れて「引きこもり」を起こしたのだ(天岩戸伝説)。神様が引きこもりを起こしているというのに、どうしてその末裔である日本民族の人々が、引きこもりという魂の浄化を行ってはいけないという理由があるのだろう。もしも彼らのこの一生は、金を稼ぐでもなく、子孫を残すでもなく、「こもり」により魂の浄化を行うために与えられたという運命ならば、それを全うすることもまた人の生き方ではないだろうか。そしてそれは浄化を果たした先に、明るく世界を照らし清らかに世界を眺めるために。たとえこの一生の中ではなくとも。