パンを踏んだだけで地獄へ落とされるというのは本当か? 〜パンをふんだ娘のトラウマとキリストの肉体〜

 

パンを踏んだ罪で地獄へ〜お〜ち〜た〜〜〜〜〜〜

パンを踏んだだけで地獄へ落とされるというのは本当か? 〜パンをふんだ娘のトラウマとキリストの肉体〜

・ぼくは800kmのスペイン巡礼の道を歩いた
・突如思い出した「パンをふんだ娘」の物語
・パンを踏んだくらいで地獄へ落ちとされるというのは本当か?
・パンはキリストの肉体

・ぼくは800kmのスペイン巡礼の道を歩いた

時間は未来へしか進まないというのは本当か? 〜スペイン巡礼は過去へと通じる道〜

ぼくは約1ヶ月かけて約800kmを歩くというスペイン巡礼の旅に出ていた。スペイン巡礼の旅というのは不思議なもので、あまりに歩きすぎて普段使わない脳の部分が活性化されるからか何なのか、今まですっかり忘れてしまっていた昔のできごとをふと思い出したりすることがある。

 

・突如思い出した「パンをふんだ娘」の物語

ぼくは巡礼路の途中で、なぜか小学校の1年生の道徳の授業の時間に見た「パンをふんだ娘」という西洋の物語を思い出した。「パンをふんだ娘」はNHK教育の「こども にんぎょう劇場」でやっていた影絵の物語のひとつである。ぼくたちの小学校では、毎回道徳の時間にNHK教育の番組を15分間ほど見る時間が設けられていた。その時間に偶然見た「パンを踏んだ娘」の物語はぼくにとって、そしてきっとそこにいたすべての小学1年生のとっての大きなトラウマになったに違いない。それくらいインパクトの強い衝撃的な作品で、今でもこうしてスペインの巡礼路でさえ思い出すくらいだ。

「パンをふんだ娘」は北ヨーロッパのお話。美しくて性悪な女の子インゲルが主人公だ。容姿には恵まれていたものの性格が最悪に悪いこの少女は、いつも虫をいじめたり親にわがままを言ったりして暮らしていた。性格は最悪であるものの見た目はとても美しいので、子供のいない都会のお金持ちの夫婦からインゲルを養子に貰い受けたいとの申し入れがあった。インゲルのお母さんは悲しがったが、性格の悪いインゲルはこんな貧乏な家はまっぴらごめんだと常々思っていたので、お母さんの止めるのを無視してあっさりとそのお金持ちの家に養子に行ってしまった。

お金持ちの家で裕福に暮らし、ますます美しさに磨きのかかったインゲル。着せてもらう洋服も上質なものばかりで見違えるように華やかな娘になった。お金持ちの夫婦は、こんなにも垢抜けた姿をお母さんに見せておやりと、もとの家を訪れることを提案した。そして、お母さんへのお土産にと大きな白いパンをインゲルに持たせた。

インゲルは帰宅することに気乗りしなかったが、お金持ちの夫婦に従った。しかし、家に帰る途中の道に大きな泥水の水たまりが横たわり、インゲルが歩くことを邪魔していた。こんな汚い水たまりに入ったら高級なお洋服や靴が汚れてしまうわとひどく嫌悪感を抱いたインゲルは、あることを思いついた。それは、お土産にもらった白いパンを水の中に沈めてその上を渡り、靴が汚れないように水たまりを通ろうという計画だった。

せっかくもらったお土産のパンを、戸惑いもなく投げ捨て水の中に沈めたインゲル。そしてその上を渡ろうと靴でパンを踏みつけたその瞬間、おそろしいことが起こった。

 

「ぎやゃあああああああぁぁぁぁ!!!!!」

なんとインゲルは水の奥深くに沈み込み、やがてはどこまでもどこまでも底へと落ちて行った。落ちた先は、地獄だった。「どこまでもどこまでも落ちて行ったんだよ…」という低い男性のナレーションの声がまた格段におそろしい。落ちていくインゲルの背景がユラユラと揺らめきより一層の不気味さを引き立たせている。かと思えば甲高い女の声でいきなりおぞましい歌が流れ出した。その歌を小学校1年生で見たぼくは、未だに忘れることができないでいる。

♪パンを踏んだ娘 パンを踏んだ娘
パンを踏んだ罪で地獄へ落ちた
神様に背いたインゲル 神様に背いたインゲル
地獄へ落ちた♪

こんなおそろしい歌がこの世にあるだろうかと疑うほどの衝撃だった。

 

 

・パンを踏んだくらいで地獄へ落ちとされるというのは本当か?

しかしよく考えてみればおかしなことである。いくら日頃の行いが悪いからと言って、人間ってパンを踏んだくらいで地獄へと落とされるのだろうか。日本では地獄へ落とされるといえば、なんだか殺人でも犯したとか、ものすごい強盗などの犯罪を犯した極悪人というイメージがあるが、インゲルがそれほどまでに悪いことをしたようにはどうしても思えない。踏んだと言ってもたかがパンである。まさか親を踏んだわけでもあるまい。それでもパンを踏んだことを「神様に背いた娘」とまで歌の中で罵られる原因は、いったいどこにあるのだろうか。

ぼくがスペイン巡礼の道でなぜかこの物語を思い出し、一緒に歩いていた友人に話して聞かせたのにはそれなりの意味や思し召しがあるのだろう。ここはカミーノ、キリストの聖なる巡礼の道だ。ぼくたちは毎日、ワインを飲みパンをいただく。そう、キリストの祈りの道の途上では、ワインはキリストの血であり、パンはキリストの肉体なのだ。

 

 

・パンはキリストの肉体

この「パンを踏んだ娘」という西洋の物語には、キリスト教的な観念が多大に含まれていたのだろう。「パンを踏んだ娘」とはすなわち、キリストの肉体を踏みにじったキリストの教えに背いた人間の象徴であり、そのような種類の人間は最後の審判で地獄へと落ちてしまうのだという、キリスト教への信心深さの重要性を説こうとした物語なのではあるまいか。

小学校1年生では理解できなかった謎が、このように悠久の時を経て、スペイン巡礼の道の途上でキリスト教という宗教を通じて解決し、そしてそれらはすべて巡礼の祈りの道へと結果的につながっていくとは、なんと数奇で必然的な運命だろうか。ぼくたちはパンをふんだ娘とキリスト教を自然と結びつけてくれたスペイン巡礼の道に感謝しつつ、先を急いだ。

ぼくの旅ブログ、ミズイロノタビではスペイン巡礼800km約1ヶ月歩いた詳細を毎日欠かさず文章と写真で記事にしました。よかったら読んでみてね!非文明的だと思える800km歩行の先に、一体何が見えるのか?

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