他人を思いやり他人に対して誠実であることが重要であるというのは本当か?

 

誠実であることは重要だけれど…。

他人を思いやり他人に対して誠実であることが重要であるというのは本当か?

・「社会で信頼されるためには誠実であることが重要だ。」
・「自分に誠実である」ことと「他人に誠実である」ことの共存
・人間の集団は「他人に誠実である」ことを望む
・「誠実」とは自己犠牲を導き出すまやかしの言葉
・世界の幸福の在り処

・「社会で信頼されるためには誠実であることが重要だ。」

「社会で信頼されるためには誠実であることが重要だ。」と言われたならば、ほおそうか、なるほどと、実にもっともらしく聞こえるので、反論しようとする人もあまりいないだろう。しかし誠実であるべきだというのは、一体誰に対しての誠実さを意味しているのだろうか。

 

 

・「自分に誠実である」ことと「他人に誠実である」ことの共存

「自分に対して誠実である」というのと「他人に対して誠実である」というのは、随分異なる概念であるように思われる。自分自身の心に誠実に、自分自身の思いに正直に生きようとすればするほどに、他人に気をつかって、他人の思いを考えて行動するのは困難になっていく。自分と他人とは文字通り別の人間なので考えることもしたいことも当然大きく異なり、自分に誠実に、自分に正直に生きようという思いを貫こうとするならば、他人の意見や思いを無視せざるを得ない状況がどうしても出てくるからだ。

反対に「他人に対して誠実である」という態度を実行するならば、自分の思いや欲求を抑え込む必要がある。自分の持つ自我と他人の持つ自我がそこに共存している限り、相手のことを思いやり大切にすればするほどに、自分自身を思いやり大切にすることがなおざりになりがちであるという状況を、誰もが経験したことがあるだろう。

「自分に対して誠実である」ことと「他人に対して誠実である」ことを両方十分に発揮して生きて行くことが理想的ではあるものの、現実的に考えればそれは難しく、誰もがどちらが大切なのかを心の中で計算し、一方を削り取りもう一方を尊重しつつ、バランスを考えつつなんとか両方を必死に保ちながら生活して行くのが人間の運命だろう。

 

・人間の集団は「他人に誠実である」ことを望む

しかし「社会で信頼されるためには誠実であることが重要だ。」と言われるのは、十中八九後者のことであろうと思われる。すなわち、人間社会では「他人に対して誠実である」ことが高確率で求められるのだ。それはつまり、他人を思いやり大切にする代わりに、自分のことはなおざりにしあまり大切にしなくてもいいととらえることもできる。

他人を思いやり大切にすることは社会においてのみならず人間にとって重要な要素であることは間違いないが、しかしその「他人に対して誠実である」「他人を思いやり大切にする」というもっともらしい美しい言葉の裏には、自分の思いや願いを犠牲にしてでも他人に尽くせという強制力が働いているような怪しさをぼくは感じる。「誠実」というとてつもなく正しそうに聞こえる言葉に怪しい違和感を感じてしまうのはこのためである。

 

 

・「誠実」とは自己犠牲を導き出すまやかしの言葉

「社会で信頼されるためには誠実であることが重要だ。」という常識をふりかざすことによって、その「誠実」という言葉のまとう正しさに圧倒されて気づきにくいが、他人を大切にすることを優先し自分を大切にすることを犠牲にしろと強制されているのではないだろうか。そして「誠実」というあたかも正しそうな言葉のもと、自分よりも他人を優先するように潜在的に操られることで、他人の集合体であるところの「社会」への奉仕へと人の心は誘導され、自分の幸福を犠牲にしてでも集団の利益や幸福を優先・尊重するように仕向けられているのではないだろうか。

「他人への誠実さ」とは、人間が個人としての幸福や直感を追求することを防ぎ、人間の集団にとって都合のよい精神構造へと作り変えるための怪しいまやかしの言葉ではないだろうか。

 

 

・世界の幸福の在り処

「自分に対して誠実である」人間と「他人に対して誠実である」人間は、一体どちらが人間の生き方としてふさわしいのだろう。人間個人の幸福と、人間の集団の幸福が、常に交わらずにねじれの位置を呈するのはどうしてだろう。ぼくたちは常識的に「他人に対して誠実である」ことや人間の集団の幸福や利益の方が、いかなる個人的犠牲をはらってでも尊重されるべきだと教え込まれているけれど、それは本当に正しいことなのだろうか。

世界の幸福とは、個人たちが自らの幸福を犠牲にした先にたどり着ける極楽なのだろうか。ぼくにとって世界の幸福とは、個人が自らの幸福を徹底的に追求した先に立ち現れる異郷のように思えてならない。それは何ひとつ犠牲とせずに、立ち現れてくる幸福としての異郷だ。

 

 

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集団の幸福が個人の幸福であるというのは本当か?