男女平等という言葉だけでは語れない、直感的な問題がある。
男性生殖器と女性生殖器が平等だというのは本当か?その2 〜男性だけトイレで丸見えの不思議〜
・言語的、または温泉における生殖器の差異
・男子トイレと女子トイレの不思議な構造の違い
・世の中に渦巻き絡まり合う性のしがらみ
・言語的、または温泉における生殖器の差異
さて、先日「男性生殖器と女性生殖器が平等だというのは本当か?」という記事を書いた。男性の肉体は見せてもいい雰囲気があるのに見せれば不快でからかわれるもの、女性の肉体は見られれば幸福という風潮のある中でなるべく見せてはならない神聖なものとして扱われているということを、今まで生きてきた中での直感で文章にした。
その中で、テレビやアニメで男性生殖器はその通称を呼んでもいいのに女性生殖器の通称は決して言ってはならないと規則で決められているということ、古来よりその風潮があるので男性生殖器の通称は全国で共通して皆が知っているのに、女性生殖器の名称はそれぞれ地域ごとに特徴的な方言としてその名が残っていることを示した。
また呼び名だけに留まらず、アニメなどではクレヨンしんちゃんやドラえもんの中でも子供の男性生殖器は頻出しているのに女性生殖器は滅多に出てこない。男性生殖器に比べて女性生殖器というのは、アニメを見る子供たちにとっては見えもしないし聞こえもしない、まるでこの世に存在しないのではないかと疑われるほどに、大切に世界から守られて隠されているかのようだ。
これらの不思議な現象も、男性の肉体については明らかに表現して聞かせたり見せてもいいにもかかわらず、女性の肉体については大切に隠されるべきであるという風潮を裏付ける形となるだろう。
銭湯や温泉においてもその直感は顕著だ。ぼくたち男性はしばしば女性の係員が男湯に仕事として堂々と入ってくる場面を目撃する。しかし、それが逆では犯罪行為となることだろう。男女は平等なはずなのに、まったく同じことをしても片っぽは労働としてゆるされ、片っぽは逮捕にまで至るなんて、人間とはなんて適当で大雑把な観念で生きている生物なのだろう!ここでも男性生殖器は男女両性に対して見せることを割とゆるされる空気があるのに、女性生殖器は絶対に男性から隠さなければならないという本能的な意気込みが感じられる。
・男子トイレと女子トイレの不思議な構造の違い
ぼくがもっと違和感を感じるのはトイレについてである!トイレの形態ほど男性生殖器と女性生殖器の観念の違いが如実に表現されているシステムはないだろう。ぼくがわざわざ「男性生殖器と女性生殖器が平等だというのは本当か?」のその2の記事をしたためているのも、このトイレについて書き損じてしまったと後悔しているためである。
ぼくらはトイレのシステムについて慣れ親しんでしまったために何の違和感も持ち合わせていないが、よく考えればこれほどおかしなことはない。女性用トイレについては、ぼくは女子トイレに入ったことがないので予想でしか語れないが、もちろんそれぞれが個室で区切られているだろう。排泄をするという動物的な行為なんて、他人に見せるのが恥ずかしいからだ。せっかく「自分は動物ではなく文明的な人間ですよ」というような澄ました顔をして世の中を渡ってきたというのに、排泄行為が明らかになることによって自分は動物と同じレベルなのですと告げることなんて、男女ともに恥ずかしいに違いない。トイレの個室の壁は、自分が動物だと気づかれないための防御柵である。
それに比べて男子トイレはどうだろう!もちろん個室で区切られていることもあるが、そうではないトイレが存在する。尿を排泄するためのトイレがそれだ。よくよく考えてみればあのトイレはおかしい。どうして男子トイレだけは、排泄行為や生殖器が普通に見えてもいいことになっているのだろう。男性には自分の動物性を隠すための壁は用意されていない。むしろ自分の動物性を包み隠さず露わにすることが、その男性性を高めるという気配まである。
このトイレの構造こそが、男性生殖器は明らかになっても他人に見えても大丈夫だと世の中で思われている確かな証拠ではないだろうか。
・世の中に渦巻き絡まり合う性のしがらみ
男性というものは非常に日常的に、排泄を見せることも生殖器が見えることも厭わない生き物として成り立っているらしい。確かに自分が動物であるということを、世界へ向けて明らかにしやすいのは男性の方だ。男性が社会的に下ネタを言い放っても、まぁ男だしそんなものだろうとゆるされるのに対して、女性が社会的に明らかな下ネタを言えばさぞかし驚かれるのではないだろうか。
しかしそれを逆手に取るという女性も存在する。どんなに隠していたとしても、男も女も動物なのだということをぼくたちは知っている。インターネット上で過激で露骨な下ネタを言い放つ女性は、男が下ネタを言い放つことに比べて妙な面白さがあり受けがいいようだ。男が下ネタを言ったところでそれはどこにでもいそうな“普通の存在”でしかないものの、女性が下ネタをあからさまに言うと不思議に思われ珍しがられ、しかも誰もが共感する性的な話題なので魅力的な存在として高められていく。
ぼくたちの周囲では男女平等という偽物の言葉では計り知れないほどに、潜在的で直感的で野性的な性別差が出現している。普段からそれらを誰もが気づきもせずに、そんなものだろうと受け入れられて日常生活は営まれている。しかし性は人間という動物の根源だ。その性の仕組みや経緯を深く洞察することは、いつか人間の正体を明らかにする際の手助けとなるだろう。